日常



 その日、リーンが薪拾いから戻ると、村の入り口に一人の少女が立っていた。湖で会った精霊――エレインである。背に抱えた剣は微かに震えて光を放ち、まるで意思を持つかのように揺れていた。


 だが、不思議なことに村人たちには彼女の姿は見えていなかった。ただ、勝手に動く聖剣だけが目に映っていたのだ。


「おや、不思議なこともあるもんだ」

「剣が……一人でに動いているのか?」


 村人たちは驚きながらも、恐れることはなかった。この世界では、説明のつかぬ現象もまた“あるもの”として受け入れる懐の深さがあったからだ。彼らはただ興味深そうに目を凝らし、小さなざわめきを交わすにとどまった。


「……やっぱり君には見えるんだね」

 エレインが囁くように言った。


 リーンは頷いた。

 「湖で会ったときと同じだ。君は僕にははっきり見えているよ」


 シアンもまた目を細めて彼女を見つめた。

 「なるほど……村の人たちには剣しか見えていない。けれど僕とリーンには、君がいる」


 エレインは剣を抱きしめるようにして小さく微笑んだ。

 「それなら……ここにいてもいいかな」

 「もちろんだよ」

 リーンはためらいなく答えた。

 「ここは僕たちの村だから、君も安心して過ごしてほしい」


 そのやり取りに、近くの老人が目を細めて言った。

 「若い者たちは不思議と縁があるもんじゃのう。まるで古い物語のようだ」


 それきり村人たちは深く詮索せず、彼らを受け入れた。剣が勝手に動こうとも、それは“この世界において起こりうること”として語られ、やがて日常の一部となっていったのである。


 エレインはその後も村に滞在するようになった。彼女はリーンの家に身を寄せ、薪割りを手伝おうとしては剣がぎこちなく木を叩き割り、村の子どもたちを笑わせた。子どもたちには彼女の姿は見えないが、それでも「剣のお姉ちゃん」と呼んで親しみを込めるようになった。エレイン自身もまた、子どもたちの遊びに加わりたがり、時折リーンやシアンを介して遊戯に混ざった。


「リーン、もっとちゃんと振って! 木を倒すときは精霊の力を信じるの!」

「いや、僕は普通に斧で十分だから……」


 そんなやりとりに、シアンはくすくす笑った。彼にとっても、エレインが加わった生活は不思議と心地よいものだった。彼女の無邪気さが、村の空気を少しだけ明るくしていたからだ。


 夕暮れ時、リーンとエレインとシアンは縁側に並んで腰を下ろした。空は茜色に染まり、遠くで焚き火の煙が上がっている。村人たちの笑い声、獣の遠吠え、鍋の煮える匂いが入り混じり、穏やかな一日の終わりを告げていた。


「ここにいると、不思議と落ち着くわ」

 エレインは剣を抱いたまま、静かに言った。

「湖では感じられなかったものがある。人と一緒に暮らすということは、こういうことなのね」


 リーンは微笑んだ。

 「僕たちは普通に生きてるだけだよ。だから、君も一緒にいればいい」


 シアンも頷いた。

 「そうだな。君の剣が荒ぶって見えるなら、僕らが代わりに“精霊のエレイン”のことをみんなに伝えればいい」


 エレインの目がわずかに潤んだ。彼女は小さな声で「ありがとう」と呟いた。

 人に見えなくとも、共に過ごす時間が確かに存在している――そのことが、彼女の心を支えていた。


 しかし、この静けさも永遠ではなかった。誰もが笑顔で受け入れた“見えざる来訪者”は、やがて村を揺るがす大きな出来事の引き金となっていくのであった。

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