第12話 告白

 璃玖の涙が涸れ果て声もれたとき、


「……リク」


 ベルトホルトがようやく口を開いた。だが、その声は璃玖の耳には届いても心には届かない。


「リク……!」


 ベルトホルトがやや強い声で繰り返すと、璃玖は放心した顔を自動人形オートマタのようにベルトホルトに向けた。


「リク、おれは十四年近く前に、おまえの前に支給されたニンゲンを……食べた。一年と二ヶ月ほどのちには、おまえを食べなければならないはずだった」


 ベルトホルトがあえて選んだのであろう直接的なことばに、璃玖はガラス玉のような虚ろな目をしばたたく。


「だが、魔蒼玉にひびが入り、おまえは目を覚ましてしまった。こういった場合報告すれば新しい魔蒼玉がもらえるが、魔蒼玉はいまでも王都で管理されており、厳正な審査もおこなわれるため、届くまでにはひと月ほどかかる。

 そのあいだ、おれはおまえにできるかぎりの幸福を与えようと思った。おれ自身の命や、貴族や領主として必要な力のためだと自分に言い聞かせていたが……本当はちがう。おれはおまえを……愛してしまったのだ」


 あい……?


 そのことばも、数時間前に扉越しに聞いた「殺す」ということばと同様、未知なるもののように感じられた。


「この期に及んで何を……と思うかもしれないが、おれはおまえを愛しているのだ。誰よりも大切で特別な存在だと思っているのだ」


 ベルトホルトが一語一語に力をこめてつづける。


 あい、愛……誰よりも大切で特別な存在……。

 ベルトホルトさんがぼくを愛してる? 殺すつもりだったぼくを、食べるつもりだったぼくを……。


「おれたちの社会では、大人の男が少年を愛するのは至極当然のことだ。大人の男が大人の男を愛することは珍しいが……」


 そう言われて初めて、璃玖はベルトホルトと自分が同性だということを思い出した。ショックのあまりそのことすら頭から消え去っていたのだ。


「だが、おまえが少年だから愛したのだとは思わないでほしい。美しいから愛したのだとも思わないでほしい。容姿をきっかけにおまえに関心をいだいたことは否めないが、いまでは何よりもおまえの内面を愛している。おまえの素直さを、純粋さを、無邪気さを、生き物への慈しみを……」


 融けてしまうのではないかと恐れているような手つきで、ベルトホルトは璃玖の頬に触れた。人間を食べたことがある相手だというのに、今日まで璃玖に真実を告げてくれなかった相手だというのに、身を引いたり振り払ったりする気にはなれず、璃玖はされるがままになっていた。


「おれにはおまえを食べることなどできない。といって、離れのニンゲン同士のあいだに生まれたニンゲンや、街で買ってきたニンゲンを、おまえの代わりに食べることもできない。どのニンゲンもおまえの同胞であり、おまえが自分の代わりに他のニンゲンが犠牲になることを決して望むまいと思うと……。

 だから、おれは決めたのだ。おまえが安寧に暮らせるようにあらゆる手を尽くしたうえで、ヴィルヘルムに領主の座を譲り、おれは死の運命を受け入れようと。むろん、ヴィルヘルムとてニンゲンを食べなければ生きていけないが、まさか、ニンゲンを食べるのは悪いことだからおまえも死ねと言うわけにはいかない。ヴィルヘルムの人生はヴィルヘルムのもので、だからこそおれの人生もおれのものだといえるのだ。逃げだと言われても、無責任だと言われても、我儘だと言われても、おれはもう二度とニンゲンを食べたくはない」


 ベルトホルトの真摯な訴えは、オリーブ色の瞳に宿る熱誠の色は、闇に沈んでいた璃玖の心に一筋の光を投げかけた。


 ベルトホルトさんは、ぼくを食べたくないと言ってくれている。人間を食べたくないと言ってくれている。そうしなければ自分が死んでしまうのに……。獣人の社会では、獣人がニンゲンを食べるのは当たり前のことなのに……。


 璃玖は人間だから、たとえ生きるためにであろうとニンゲンを食べるというのはおぞましく許しがたい行為だと思ってしまう。でも、人間だって二千二十年代後半までは生きるために動物を食べてきたのだし、璃玖だってこの一ヶ月は動物を食べていたのだ。もとの世界――いや、夢の中でも、動物を食べることにためらいや疑問をいだいたことはなかった。しかも、人間を家畜としてしか見ていないという多くの獣人たちとちがい、璃玖は生き物全般が好きだと言いながら動物を食べていた。矛盾しているのは璃玖のほうではないのか――。


 ベルトホルトを責めることはできない。憎むことはできない。彼はこの世界の獣人として、貴族として、領主として、しなければならないことをしただけなのだ。むしろ、命に代えてまで璃玖を守ろうとしてくれていることが、嬉しいとさえ思えてきた。心に差しこんできた光が、強く大きくなっていくような気がした。


 ベルトホルトさん……ありがとう。


 璃玖は心のなかでしみじみと礼を言い、胸に手を当てた。


 あなたの想いに……ぼくも応えたい。


 つづいてこみ上げてきた気持ちが、璃玖の頬に微笑を浮かばせる。春の雲のごとくに全てを包みこむような、やわらかい微笑を。


「リク……?」


 ベルトホルトが気遣わしげに顔を寄せてきた。璃玖が真実の重みに耐えかね、正気を失ってしまったのではないかと思ったのかもしれない。


 璃玖はベルトホルトを安心させるように頷き、


「ベルトホルトさん……一年二ヶ月が経ったら、予定どおりぼくを食べてください」


 我ながら驚くほど自然に言った。食べられるのが自分ではなく、ありふれた野菜や果物ででもあるかのように。


「……っ!?」


 ベルトホルトはまなじりを裂いて絶句した。


「もう一度魔蒼玉をつけられるのはいやだから、ここでできるかぎり幸せでいられるように生きようと思います。ぼくの人生は全部夢だった。ぼくの幸せは全部偽りだった。ぼくを心配してくれるひとも生き物もいないし、ぼくを待っていてくれる場所もない。だったら、唯一ぼくを、何も持たない空っぽのぼくを、その……」


 いくら素直で無邪気なたちでも、まだ十四歳にもなっていない璃玖にとって、次のことばは「食べてください」ということばよりも照れくさくて言いづらい。それでも、


「愛してくれた、ベルトホルトさんのために死にたいんです」


 一瞬口ごもってからはなめらかに口にすることができた。


「ただ、ひとつだけお願いがあるんです。ぼくが死んだらフルーの世話を……」


 皆まで言わぬうちに、


「だめだ、だめだリク!」


 ベルトホルトは激しくかぶりを振って璃玖を抱きしめた。その胸の感触や匂いはやはり心地好く、なのにどきどきさせられる。くすぐったくて落ち着かなくて、なのにいつまでもこうしていてほしくなる。


「わかってくれ、おまえのいない人生など、もうおれには意味がないんだ。ヒトツメコウモリの羽音やトビヤスデの足音すら聞こえぬ地下深い洞窟の中を、灯りも持たずに彷徨さまよい歩くようなものだ。おまえのために死ねるなら本望なんだ……」

「それは……ぼくだって同じです……」


 声が詰まり、涸れたはずの涙が再び滲んできた。璃玖がベルトホルトの大きな背中に腕を回して力をこめたとき――。


 誰かがドアをノックした。


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次回で最終回です!

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