ことしも アメシロが きました

犬神堂

1:球状の巣の中

 アメシロっているだろ?

 あの白くてふわふわした毛虫。


 正式にはアメリカシロヒトリっていう蛾の幼虫で、街路樹や庭木に巣を張って、葉っぱを食い荒らすことで知られてるあれだよ。

 見たことない?

 都会で一人暮らしとかしていると、あんまり身近じゃないかもしれないな。


 でも俺の田舎だと昔からよく見かけるし、害虫としても有名だよ。夏になると、もう集落を挙げて大騒ぎだよ。あの白い網みたいな巣が木の枝にぶら下がってるのを見て、「ああ、またか」と思う人も多いはずだ。


 でも、最近ちょっと妙な話を耳にしたんだ。


 N県のある村——H村っていう山間の集落なんだけど、そこではアメシロが異常に増殖してるらしい。

 しかも、ただの大量発生じゃない。まず、殺虫剤がまったく効かない。


 村の人が言うには、農協から配られた薬を撒いても、まるで水でもかけたみたいに平然としてるって。葉の上でうねる幼虫たちは、薬剤の粒を舐めるようにして、逆に活性化するような動きを見せることもあるらしい。


 一説ではどうもアメシロの体内にあるタンパク質が変異していて、薬剤がうまく作用しないらしい。神経伝達を阻害するはずの成分が、標的に届かない。


 つまり、薬が効かない体になってるってことだ。こういう耐性は、他の害虫でも報告されてるけど、H村のアメシロはそれに加えて、ちょっと変わった行動をしてるらしいんだよ。


 何が変わってるかっていうと、植物じゃなくて、動物の死骸に集まるんだって。


 最初は野良猫の死体に群がってるのを見た人がいて、次は山で倒れてた鹿の死骸。どちらも、葉っぱのない場所にアメシロが密集してたらしい。

 しかも、H村のアメシロは球状の塊を作る。直径30センチから50センチくらいのでかいやつだ。

 アメシロはふ化後、葉に糸を出して巣網を作って、群生して葉を食害するのだが、サイズも作る場所もちょっと違う。白い繭みたいなやつが木の枝や廃屋の天井にぶら下がってる。しかも尋常じゃない数のアメシロがその球体の中にひしめいている。

 ただでさえ、気持ち悪い見た目なのに、うじゃうじゃと群れて巨大な巣を作るなんて気持ち悪いよな。


 その球体は中心部を見ることができないくらい、無数の幼虫が絡み合っている。村の若者が廃屋に入ったとき、天井からぶら下がってたその塊を面白半分に棒で突いたら、中から何かが落ちてきた。


 それが、人間の手だったんだって。


 半分白骨化してて、皮膚は乾いて白くなってた。指の関節には幼虫の抜け殻が絡まってたらしい。その手は、まるで何かを掴もうとしていたような形で固まっていたんだって。


 もちろん、大騒ぎだよ。警察が来て調べた。

 でも、手の主は分からなかった。DNA鑑定も不明。村の人たちも気味悪がってあまり話したがらない。


 調査に来た県の職員も、数日で引き上げた。理由は「調査環境の不適合」ってことになってる。死体を見たわけじゃないし。偶然、手がアメシロのコロニーに紛れ込んだ。みたいな結論に落ち着いたらしい。


 それ以来、この村では「人食いアメシロ」の件でもちきりになったみたい。しかも、アメシロの幼虫はほとんど無害なんだけど、たまにアレルギー症状が出る人がいるらしいんだよね。


 その話に尾ひれがついて、幻覚を見るようになる。なんて噂が立ち始めた。本当にアメシロのせいなのかは分からない。医者に診てもらっても、首をひねるばかりで、確定的な診断は出ていない。みんな、同じような幻覚を見る。なんて、できすぎた話も聞く。まあ、眉唾もいいとこだけど。


 科学的に考えれば、アメシロに薬剤耐性のつく変異は遺伝的なドリフトか、環境要因によるものだろう。草食の生き物が肉食になるなんて言う話もそれこそ馬鹿げた話と言える。


 でも、環境で食性が変わる、なんて話もあるし。哺乳類のカバが屍肉を食べるなんて話聞いたことない?

あっ、そう。


 殺虫剤の使用が長年続いたことで、耐性を持つ個体が生き残り、繁殖した。それ自体は珍しいことじゃない。


 死骸に集まる行動や、球状の巣の形成は、既存の昆虫行動学では説明しにくい。しかも、巣の中には時折、動物の骨や、布の切れ端、人間の髪の毛や爪のようなものが混ざっていることもあるという。他の生き物を食べて、たんぱく質を摂取するなんて、変容は聞いたこともない。ただ、その地方だけの特徴というわけでもないらしい。他県からも肉食の報告があったなんて噂もある。


 H村では、今も白い球体が木々の間にぶら下がってる。村の外れには防虫ネットが張られていて、観光客の立ち入りも制限されてる。公式には「害虫防除のため」とされてるけど、実際にはそれ以上の理由があるんじゃないかって思ってる人もいる。

 村の神社では、毎年夏になるとご祈祷が行われるようになったらしい。その事件があってからってことのようだけど、詳細は外部には公開されていない。


 俺がこの話を聞いたのは、大学の研究室で昆虫を扱ってる知り合いからだ。彼は現地に行ったわけじゃないけど、調査報告書を読んで、何かがおかしいって言ってた。「虫の話じゃなくなってる」って。


 まあ、信じるかどうかは人それぞれだけど、もし夏にN県に行くことがあったら、白い毛虫には気をつけた方がいい。


 特に、球状の塊には触らない方がいい。


 中に何があるか、分からない。

 <続く>

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