アルシアの輪廻 ―勇者を知らぬ星―
緑色shock
【1筆目】禁書の消失
霧が立ち込める薄暗い森の奥にそれは突如姿を現したと報告されている。数人の大人たちが息を潜めてそれを見つめる中、一人の少女が一歩前に出た。湿った土の匂いと冷たい空気が肌を刺す。
「これは、…これは何…?」
扉のない門のようなそれには未知の文字が刻まれており、呼吸でもするように、空気を吸い込んでいるようだった。地面がかすかに震え、緊張だけが漂っていた。
◇
「締め切りまであと1時間ですよ先輩!原稿まだですか!?」
アルバデラン王国の首都、ルミナにある小さな新聞社…『クロニクル通信社』の喧騒を切り裂くミカの声が響いた。
机の上で雪崩が起き床へまで広がった紙の山、各所に飛び散ったところで拭き取る時間すらないインクの匂い、それらが満ちた編集部の一角で、俺はずれ落ちかけた眼鏡を直しながら返事をする。
「問題ない。1時間あれば書き終わる」
「その貴重な1時間には"書き終える"ことと、"編集長に確認してもらう"こと、"印刷所へ入稿"することが含まれているんですよ?!移動時間も考えていますか?!」
「完成次第、君が全力で印刷所へ走れば何も問題ないだろう。なあ、ミカ?」
「きぃぃ!!また私に走らせるんですか?!」と、ショートカットを揺らしながら更に大きな声をあげる後輩を横目に執筆を続ける。どのみち書かなくては終わないのだ。彼女の機嫌を取るのはこの仕事が片付いてからでも遅くはない。
―――アルバデラン王国。惑星オールプクスで一番の面積と人口を誇る国家だ。この繁栄はここ数年での急成長によるものだが、その裏では今でなお増加しつつある移民による食糧不足、職不足が囁かれている。現代におけるこの星での困りごとといえば、種族の対立や国同士の領土争いといった醜いものばかりである。
「…よし。予定通り完成だ。悪いが頼んだぞ」
「もう!あとでパフェ奢ってくださいよ!先輩いつもこうなんですから!」
さすがはクロニクル通信社随一の足の速さだ。まるで飛ぶように駆け抜け、瞬きをした次には彼女はもう部屋から姿を消していた。
椅子の背もたれに全身を預け天井を見つめる。おっと、天井にもインクの汚れがついている。何をどうしたらそこへ飛び散るのかと湧いた疑問は、すぐに消え失せていた。多忙のあまり思考の隅へ追いやっていた、とある取材のアテが再び脳に戻ってきたからだった。
◇
「ほひゅほほへふか!」
「食べるか喋るかどちらかにしてくれ」
ルミナ一番の大通りの一角にある果実店。そこの飲食可能テラス席で「一番高いのをください!」…と店員へ笑顔を振りまいたミカは、その結果提供された宝石のように輝く果実がふんだんに盛り付けられたパフェを、頬を染めながら口に運んでいた。しばらくの無言を経て咀嚼を終え、もう一度問いを投げられた。
「どういうことですか?王立大図書館の禁書が消えたって。あそこは常に騎士団が巡回している、この国の中でも最高レベルの防衛力を持った場所ですよ」
「現時点では真偽はわからない。だから、何が起きているのかを調べに行く」
周囲を気にして口元に人差し指を立てながら答えた。念のため視線のみ動かして様子を伺うが、こちらの話に気づいている者はいなさそうだ。貴重なスクープを他社に奪われてたまるか。
「禁書の保管庫へは入れないだろうが、図書館に実際に足を運んでみないとなんとも…だな。食べ終わったら早速行こう」
◇
ことの発端は数日前。通信社の受付にあるポストに、小さく折り畳まれた紙が届けられていたのがきっかけだった。紙には小さく、こう記されていた。
【禁書が消えた。この手紙を見た者は、どうか手を貸してほしい。図書館のソフィアを尋ねて】
ただのイタズラかもしれないが、それでも投げられた「違和感」は潰さねばならない。編集長の許しも得て、ミカとともに早速出向くことにしたのだ。
さて、王立大図書館の近くになるつれ騎士団の人数が増えていく。王国が指定した禁書に限らず、重要文化財の保管もしてあるから警備が強力なのだ。一般人が立ち入れる施設の中で一番の鉄壁の守りを誇る場所といっても過言ではないだろう。要塞めいた大きすぎる門を潜り抜け入口へ向かい、静かな足音だけが空間に響く長い通路を歩いた先に受付を見つけた。多くの利用者に同時対応するためか円形をしているその受付には、10名ほどのスタッフが手元を見つめながら作業をしていた。
「すいません。ソフィアさんはいらっしゃいますか」
一番近くのスタッフに声をかけると、彼女は一瞬目を丸くしたのち、すぐに笑顔に戻り頷いた。
「ソフィア様ならこの時間は第12資料室にいらっしゃいますよ。右手を進んだ先にございます。……おそれいりますが、ご用件をお伺いしても?」
「申し遅れました。私はクロニクル通信社のクイルと申します。ソフィアさんから手紙をいただきまして」
ソフィア「様」という呼び方も、どこか不安そうに首を傾げるこの女性の様子にも疑問を覚えたが、ソフィアに会いに行くという目的は弊害なく達成できそうなことにまず、安堵した。
礼をして真っすぐ第12資料室へ向かう。高い天井には、俺の1か月分の食費なんて軽々と超えるだろう豪華な照明が立ち並び、その天井にまで届くほどの高い窓は通路の先の先まで続き廊下を暖かく照らしている。仕事でなければ1日入り浸ってはこの空間を楽しんでいたことだろう。
―――ふと、廊下の途中で壁に飾られていた絵画に目を奪われた。
金の額縁に収められたそれは、数歩下がっても見上げなくては全体が把握できないほど巨大なものであった。後ろを歩いていたミカも魅入っているのだろう、この一瞬だけすべての時が止まったように感じた。俺と絵画だけが世界に存在しているような感覚にさえ陥った。思わず息をのむ。
「なんの絵ですかね、これ…」
ミカのその声を皮切りに、呼吸を再開する。「わからない」と小さく返事をした。
名題、【結末】 作者、【不明】
人、であろうか。複数の黒い影が、中央にある黒い球のようなものを囲んでいる。とてもではないが和やかな雰囲気の絵画ではない。「あまり良い気持ちにはなりませんね」と呟いたミカに概ね同意し、逃げるように歩き出した。後ろ髪引かれる様な重く気怠い居心地の悪さを振り切るように。
◇
第12資料室はそこからすぐの場所にあった。扉を開けた目の前には厚い本ばかりを収めた本棚が整列している。どこか埃っぽい空気を纏ったこの部屋の奥―――高い場所にある本を読んでいるのか、脚立の上に座っている小さな背中を見つけた。ミカに目で合図し、近寄る。
「ソフィアさんですか」
「わー!」
突然声をかけたのが悪かったのだろうか。足音は立てていたはずなのだが…おそらく本の虫になっていたのだろう、彼女は悲鳴を上げそのまま後ろに倒れた。危ない、と口に出したその勢いで頭上から降ってきた彼女を両手で受け止める。
小柄で透き通るような銀髪。丁寧に編み込まれた髪が宙を舞うと同時に、少しの埃臭さと、まるで古い書物のページをめくったときに漂うインクと羊皮紙の香りがふわりと鼻をくすぐった。時を閉じ込めたような、神秘的な匂いだった。
「ナイスキャッチ!」と、共に上から落ちてきた分厚い本を受け止めたミカがこちらを見やる。
「ご、ごめんなさい! 本に夢中で…その、えっと…!」
俺の腕から飛び出した彼女は、少し大きいサイズのローブの袖口を握りながら深く頭を下げた。体の小ささからも想定していたが、まだ幼く見える。齢15前後ではないだろうか。
様子を伺うようにゆっくりと顔を上げこちらの様子を伺う彼女に本を返すミカが、俺を肘で小突いた。
「驚かせてしまったようで申し訳ありません。…ソフィアさん、でお間違いないですか」
「は、はい。ソフィアは私で間違いない、ですけど……」
ソフィアが言い終わる前に、例の【手紙】を取り出した。それを見るに、彼女の目つきが変わる。改めて、送り主は彼女で間違いないようだ。俺とミカを交互に見つめた後、ソフィアは今度こそ凛とした表情で言った。
「手紙を受け取ってここへ来てくださったんですね。本当にありがとうございます。その手紙は、…"条件にあった者の元へと届く"ようになっているんです」
「…条件?あの、どういう…」
俺が聞き返すと、ソフィアは一度唇を噛みしめ、そして決意したように告げた。
「とても大事なお話があります。全人類に関わる、とても大事な―――」
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