總序「氷剣 血海に殉じ、御子 炎中に生まる」
炎が、踊り狂っていた。
駆け抜けるのは、耳を覆いたくなるような悲鳴。
鼻を突く強烈な悪臭。
肌を撫でゆく熱風。
目は煙に霞み、喉からは乾いた咳が漏れた。
人々が逃げ惑う叫喚の中、そこだけは時が止まったかのように静かだった。
幾人もの武官を従え、隆々たる長躯を黒衣に包み、炎風に真紅の長髪をなびかせる男。
片や、漆黒の髪を結い上げ、射貫くが如くに強烈な光を宿す蒼の瞳で男を見返す女。
そして彼女の背後、何人もの女官とおぼしき女達の中心には、臨月の腹を守るが如くに抱える女がいた。
その場の誰よりも豪奢な真紅の衣に身を包んだ彼女は苦しげに柳眉を寄せている。
未だどこか娘のようなあどけなさを残しながらも、その眼差しには、凜とした強さがあった。
「孝王・
詰問する女に、男はやれやれ、と言った風情で肩をすくめた。
「何用とは、――火の手が上がったと聞き、皇后殿下をお助けしようと参ったまで」
「そなたの助けは不用。皇后殿下はわたくしがお連れする故、下がりなさい」
警戒心を剥き出しにぴしゃりと返す女の声に、男は息を吐いた。そして、端麗な顔に似合わぬ兇悪な笑みを浮かべた。
「――
「……孝王……やはり、そなたが……!!」
「今上の皇后は、逃げ遅れて腹の子ともども火事で焼け死んだ、それで
命を受けた武官が、剣を手に身重の女に迫る。
女官達は、怯えた様に身を震わせながらも主の盾となろうとする。その一人を切り裂こうかというその時、武官の首が高らかに宙を舞う。
無言の内に、衝撃のみが駆け抜けていった。
刃の血を払って鞘に戻したのは冰貴妃と呼ばれた女だ。
彼女は振り返ると、蒼の瞳を静かに燃え上がらせて、殺気立つ敵を睨み据えた。抜剣からそこに至るまでの一連の動きは、舞のようにしなやかで無駄がなく、その――「冰」の名の如く、鋭い。
「――この
「死に急ぐか、麗卿。なぜそなた程の女が貴妃などに甘んじる。……あのとき、そなたが俺を――!!」
「それが冰家のつとめ。――わたくしが後宮の妃たるも、そのために過ぎぬ」
ぴしゃりと、孝王の言葉の先ごと切り捨てるように麗卿は言い放つ。
それは、何よりも明確な、拒絶だった。
言い放つや、彼女は剣を手に、煌びやかな衣の裾を翻し、敵に立ち向かう。
瞬く間に、孝王の周りに取り巻く兵を何人も切り捨て、そして――孝王へと挑みかかった。
這うようにそろりそろりと近づく火の手に、事態を見守る女達は身を竦ませる。
が、彼女達の主は、狼狽えた様子はない。
ただ、その眼は己を守ろうと孝王の前に立ち塞がる麗卿に注がれている。断続的に現れる痛みと炎とに、霜月と言うのに、額にはしとどに汗が光る。
「……冰貴妃!」
鈴の鳴るような可憐な声が、凜と響いた。
が、応えの声はない。
「麗、……卿……! よ、く……も……!!」
孝王の怒声。
そして、ドサリと、男が倒れる重い音が響いた。
麗卿の嫋やかな背から突き出た剣。その鋼の鋒に落ちた月華の煌めきが、――彼女の目を貫いた。
「……麗卿!!」
「……どう、か……つつが、な……く」
僅かに振り向いた麗卿は、静かに微笑み――倒れた。
「――!!」
手を伸ばすが、自身も身動きが取れず、苦痛に眉をしかめる。その、両の眼から、涙が溢れる。しかし、迫る熱風が、伝い落ちるより先にそれらを攫っていった。
「――皇后殿下、お気を確かに!!」
泰恒二年。
今上の兄、孝王・
かくして、烈火の只中にあって、
事件のあった離宮は全焼したが、皇后の周りのみは不思議と炎が燃え広がる事はなかった。人々は、炎の中を生き延びた皇后と、生まれた御子を、炎瀞帝君の
* * *
月の
天も貫こうかと高くそびえる山に建てられた、堅牢にして風雅なる北の大国・
「――帰国の祝いだ!! さあ飲め。遠慮無く飲め。――正体を失うくらいに!! おまえらが暗殺を警戒しないで飲めるのなんて、今日が最後かもしれんぞ? 俺とこの国に全力で感謝するがいい」
杯を掲げ、南面して豪快に笑う男。
客人の位置には、伏し目がちの青年と、釣り上がった目の青年がそれぞれ端座している。
「気楽な学徒の時代も終わりだな。
「黙れ、
応じたのは吊り目の青年である。その耳は魚の鰭のような形をしており、白くやや青みを帯びた肌にも鱗が見え隠れする。海の覇者・
「ははは!! 俺は勝ち組だしぃ~? 忌々しい霧魔どもでもなければ、うちを狙ってくるような馬鹿もいないし」
己の冠を指でくるくる回しながら言うのは、崇の若き皇たる
「……とはいえ私は、継承権から遠い第六位。真っ先に禍を蒙ることが予想されるのは、第一皇子たるそなたであろう。――白夜」
「頼んだぞ、白夜!!
水を向けられた青年は、目元のみを動かして応じる。
伏し目がちなその瞳は――燃え盛る炎のような鮮烈なる真紅。
大陸一の版図を誇る――大国、
物静かな雰囲気の眼が、一度、真っ直ぐに人に向けられれば、誰もが背筋を寒くする凄味を感じさせる程の威を放つ。まさに武門の国の皇族たるにふさわしい佇まいでもあった。
彼らは、大陸に四つ存在する、「示」を姓に持ち、君主が「皇」号を名乗ることを許された、皇国の若き皇族達であった。留学の期限を迎え、白夜と瀧晏は母国に帰ることになったため、景行が二人の為に送別の宴を開いたのである。
「それにしても白夜。お前、国に戻るのは5年ぶりだろう? ……大丈夫なのか、そんな感じで」
「?」
軽く首を傾げる。その眼の鋭さ。
「そんな兇悪面で、臣下達の支持が得られるとでも思ってるのか!? 帰ったらあれだ――すぐ冰家の人間と主従の盟約を結ぶ必要があるんだろう? 『顔が怖いから嫌です』とか断られたらどうする!? お前はもう少し、笑顔と人当たりの良さをだな――」
言い募られ、白夜は無言のまま、ぐっと柳眉を寄せた。
「だからお前、怖すぎるんだよ。――顔はいいくせに!」
――――――――――――
【ご挨拶】
このたびは本作に目を留めてくださり、ありがとうございます。
本作は、「文弱」と誹られる無愛想な皇子と、クールで少し天然な美貌の男装剣姫が織りなす――
主従×恋愛の中華風ファンタジーです。
最初は少し違って見えるかもしれませんが……(^_^;
見た目クール×クールなふたりが出逢ったとき、どんな化学反応が生まれるのか――
その変化を、にやっとして楽しんでいただけたら嬉しいです。
♥やコメント、フォロー、お星様などで応援いただけましたら、励みになります。
※本作はフィクションであり、実在の人物・団体・地名等とは一切関係ありません。
資料を参考に執筆している部分もございますが、多くの設定は創作によるものです。
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