『未公開映像ファイル No.33 : アマゾン奥地・ムクア族調査記録』

 この映像は、某局が製作していたドキュメンタリー番組のロケ素材である。


 その企画タイトルは──「アマゾン奥地・未接触部族の素顔(仮)」。


 だが、このロケは失敗に終わっている。取材班の半数が、生きて戻らなかったからである。


 以下は、残されたメモリーカードと、帰還したスタッフ二名の証言をもとに再構成した記録である。





 舞台となったのは、南米某国・アマゾン川支流域。現地の噂では、「川を三本越えた先に、“ムクア”と呼ばれる部族がいる。森に入った者は、森に食われて戻らない」と囁かれていた。


 「人喰い族」だ、と笑い話のように語る者もいれば、一切その名を口にしようとしない者もいた。


 ディレクター・三田(業界歴20年)、カメラマン2名、音声、通訳兼コーディネーター、現地ガイド2名──計7名の小規模チームで奥地へと入っていった。



 映像は、まず船上から始まる。


 濁った川面。

 周囲は森というよりも、うっそうとした木々が生い茂りった薄暗い密林。


 現地ガイドのひとりカルロスが、カメラに向かってこう言う。


「ここから先の森は通称……持って行く森です」


「持って行く?」とディレクターが聞き返す。


「人を、です。生きていても、死んでいても。ムクアは森と仲が良い。森はムクアのために人を隠すんです。ここから先は何があっても絶対に一人きりにならないと約束してください」


 笑っているように聞こえるが、その目だけは笑っていなかった。





 三日かけて川を遡り、さらに徒歩で半日。


 三日目の午後、密林の奥に、突然何かが開けた。


 映像には、集落の入り口と思しき場所に立てられた木の柱が映っている。粗く削られた柱の先端には、『人の足』だけを模したような彫刻がぶら下がっていた。


 逆さに吊るされた足。

 膝から上は削り落とされている。


「これ……歓迎の印じゃ、ないですよね?」


 音声が冗談めかして言うと、後ろで現地ガイドが小さく首を振った。


「ムクアに伝わるならわしの一つで、ここから先はお前の足は意味を成さないって意味です」





 その先に、ムクアの集落はあった。集落は木々に囲まれていて昼過ぎだというのに薄暗く、どこか不気味な雰囲気が漂っていた。


 映像はブレながらも、確かに人々の姿を捉えている。


 上半身ほぼ裸の男女。

 腰には動物の皮のようなものを巻き付け、顔の左半分だけを、白い顔料で塗りつぶしている者や顔全てを塗り潰している者もいた。


 彼らはこちらを見ても騒がない。怒鳴り声も、威嚇もない。ただ、全員が、同じタイミングでこちらを振り向く。


 老人も、子どもも、女も男も。みんなで何かを呟いていた。


 通訳が震え声で言う。


「彼ら……『客が来た。森が喜んでいる』と言っています……」





 テントが張られ、簡易のベースキャンプが集落の外れに設置された。


 撮影された夜の映像には、中央の少しだけひらけた広場で続く奇妙な儀式が記録されている。


 村の中心に、いびつな形をした、粘土で作られたような大きな壺のようなものが据えられている。


 常に火が焚かれ、そこから黒っぽい煙のような蒸気が上がっている。蒸気はもやのように地表近くを漂い、足首あたりで揺れている。


 壺の周りを、顔半分を白く塗りたくったムクア族がぐるぐると回る。低い声で歌のようなものを繰り返しているが、その意味は通訳にも分からないという。





 二日目の夜。


 テントの外から、何かを擦るような音が記録されている。


 ズズ……ズ……ズ……


 カメラが外に向けられる。


 赤外線の映像の中に、地面を這う複数の人影。

 顔全体が白く塗られたムクアの男たちが、四つん這いでテントの周囲をゆっくりと一周している。


 ライトを当てると、彼らは何事もなかったかのように立ち上がり、笑顔で手を振った。


 翌朝、村長らしき老人が通訳を通じてこう言ったと記録されている。


「お前たちはよく眠れたか?森は、お前たちの匂いを覚えたそうだ」





 三日目の午後。

 村の中央にある壺に近づこうとした時、最初の異変が起きた。


 音声スタッフAがカメラに向かって、冗談交じりに言う。


「いやぁ……これ、中身なんだと思います? ちょっとだけ、覗いてみません? 人骨とか入ってたりして」


 ディレクターが「やめろって」と制止する声が入る。


 だが映像は、Aが壺の縁に手をかけ、中を覗き込む様子を捉えている。


 次の瞬間──


 村人全員が、同時にこちらを向いた。


 歌も、足音も、一瞬で止まる。


 子どもも、老人も、女も男も。

 全員の顔が、カメラの方を向いている。


「……やめろ。離れろ」


 現地ガイドの低い声が入り、Aは慌てて壺から手を離した。


 その間、誰一人として笑っていない。


 通訳は後に、「あの時、村長が小さく『森が怒っている』と言った」と証言している。





 四日目の朝。

 最初の欠員が出た。


 現地ガイドのひとり、カルロスがいなくなっていた。


 テントも寝袋もそのまま。手荷物も、靴も、大きな荷物も、すべて残されている。


 ただ、足跡だけが森の方へと続いて、途中で途切れていた。


「昨日の夜、彼、テントから出ていきましたよね?」


 カメラマンのひとりがそう言う。


「トイレかなと思って……。戻ってこなかったけど、気付かないうちに戻ったものだと。自分が絶対に一人になるなって言ったくせに……」


 設置されたカメラの映像には、明け方の薄暗い森に向かって、カルロスの背中と思われる黒い影がフレームを横切るシーンが残されている。


 その背後を、地面を這うような別の影が、静かに追っていた。





 不穏な空気の中、ディレクターは撤退を提案するが、局サイドと連絡が取れず、船の手配にも時間がかかるという。


「近くに船がいたそうで、明日には船を手配出来るそうだ。今日は最小限撮って、すぐに引き上げよう」


 そう判断し、取材は続行された。


 ここから先の映像は、時間ごとに断片的となる。

 誰かが意図的にカメラを切ったのか、記録が失われたのかは分からない。





 問題の最後の夜。


 キャンプに向けて固定されたカメラには、異様な光景が映っている。


 テント前に、ムクア族の男が一人立っている。

 顔の全体が白く塗り潰されている。


 暗闇で最初は誰か分からないが、ライトが当たると、ディレクターが小さく呟く。


「……カルロス?」


 その顔は、行方不明になったガイドに酷似していた。ただし、彼の瞳は完全に焦点が合っておらず、まるで別人のようでもあった。


 ムクアの男たちが、そのカルロスの肩を叩きながら笑っている。


 通訳が震える声で訳す。


「……『森が、彼を返してくれた』と言っています……」


 その後、映像はノイズとともに数秒間途切れ、

 次に映ったのは、慌てて走るカメラの揺れだけだった。



 最後に残されてい映像は、生きて帰ったカメラマン・山根が抱えたハンディカメラのものだ。


 伏せた状態で地面を映し、息を荒げながら走っている。


 背後からは、複数の足音と、低く歌うような声が近づいてくる。


 ズズ……ズル……ズズズ……


 山根の息が途切れ途切れに入り込む。


「……やばい……やばい……マジで……」


 枝が折れる音。

 何かがすぐ側を通り過ぎる影。


 画面が大きく揺れ、カメラが土の上を転がる。


 レンズが上を向いた時、

 そこには“顔の全体を白く塗った男”が覗き込んでいた。


 肌の色は、ムクア族のそれとは明らかに違う。


 現地で雇ったカメラマン、エリックの顔だった。


 ただしその表情は、エリック本人として記録されているものとはまるで別物だった。笑っているのか、泣いているのかも判断できない、引きつったような顔。


 その背後に、白く塗られた半顔のムクアたちが何人も立っている──。


「お前たちは帰れ。森が許した。後の者は返さない。森がそう決めた。」


 通訳によるとムクアの一人がそう告げたそうだ。


 そこで映像は唐突に切れている。





 帰還できたのは、ディレクター三田とカメラマン山根、そして現地の通訳の合わせて三人だけだった。


 三田は現地政府への報告書に、「ガイドとクルーメンバー三名が行方不明」とだけ記した。

 ムクアの名は出さず、何が起きたのかも詳細には語らなかった。


 山根は一度だけ、「あれは食人族だったのか」という問いに対し、こう答えている。


「……分かりません。あの村で振る舞われた料理が、なんだったのかガイドも通訳も何も教えてくれなかった。よくわからない植物と、筋張った硬い肉が多かった」





 現地政府は「遭難事故」として事件を処理した。ムクア族に関する公式記録は存在しない。


 ただ、捜索隊の一人がこっそり残したというメモだけが、資料室にコピーとして残されている。


「ただ一つ、気になることがある。最後の時、カルロスやエリックは確実に村にいた。ただ、本当にあれが本人たちだったのかどうかは断言出来ない」


 この映像素材は現在も未編集のまま、局の保管庫に封印されている。


 ムクア族は、公式には「存在しない」。だが、今も現地でガイドに頼めば連れて行ってもらえるそうだ。



──森は、今日も静かに人が訪ねてくるのを待っている。

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