第2話:狩人2号

 俺は、赤ん坊の頃に山奥で捨てられていたらしい。それを偶然通りかかって拾った男は、狩人だった。物心ついた頃から、俺は狩人としての修行に明け暮れていた。彼は自身を父と呼ぶことは許さず、俺に名もつけず、ただ師匠と弟子2号という呼称だけが俺達の間にはあった。

 そう、俺は2号なのだ。

 15歳の誕生日……と言っても正確な誕生日は不明で、あくまでも拾われた日で起算しているが……とにかく誕生日に、ふと、気になった。1号はどうしているのだろう。


「師匠、兄弟子を見たことがないんだが、どこでどうしてるんだ?」


 俺が聞くと、普段仏頂面で無表情に見える師匠の顔が、少しだけ青くなった気がした。彼は剣の手入れをしながら、こちらに振り向くことすらせず、息を漏らした。


「処刑された」

「処刑? 何かしたのか?」

「魔女に魅入られた、ただそれだけだ」

「ケモノになったのか?」

「いや番(つがい)になったのだ」


 魔女の従者である魔法生物や人間は、ケモノと呼ばれる。そうなった人間や生物は、魔女と同じく狩人の獲物だ。

 じゃあ狩人がそうなった場合はどうなるか。昔、師匠が教えてくれたのを思い出した。国の抱える狩人達による討伐隊が派遣され、魔女ともども狩られるのだ。

 だが、番になったときた。

 それも、ケモノと処遇は同じだろう。実際、兄弟子は処刑されたのだから。


 俺には信じられなかった。魔女は古の文明の復権を望む異端の存在で、自然との調和を目指す現代文明では忌むべき存在だと師匠は言っていたから。


「お前は魅入られるなよ」

「心配要らないよ、俺はあんたの弟子だからな」


 師匠は、厳しい人だった。俺が剣の扱いを間違えると腕に一本の傷をつけられ、その傷の数がお前の過ちの数だと言い放った。食べさせられるものと言えば、ケモノの肉か山で採れる野草ばかり。

 ケモノの肉など、不味くて仕方がなかった。調理も焼いてただ塩を降るだけだし、炭水化物などは滅多に食べられなかった。

 甘味にしたってそうだ。野イチゴをただつまんで食べるだけ。街にはもっと華美で、趣向を凝らした甘味がたくさんあると知ったのは、行商人からの入れ知恵のおかげだった。


 それからしばらくして、師匠は魔女狩りに出かけることになった。俺も随伴することをはじめて許され、緊張しながら剣を携えてついていった。


「いいか? 魔女と戦うのは俺の役目だ。お前は見ているだけでいい」

「わかった、ケモノの処理くらいは任せてくれるよな?」

「俺の戦いを見ながら処理する余裕があればな」

「見物だけか?」

「見物も修行のうちだ」


 見て盗めってことか。

 言われてみれば、その通りだ。俺は、魔女と狩人の戦いを見たことがないし、そもそも魔女を見たことすらない。物心がついてから、ほとんどの時間を師匠の山小屋で過ごしていたのだから。


 山から降りてしばらくして、街からも師匠の山からも離れたところにある村に着いた。村に着いて最初に聞いたのは、怒号と悲鳴。最初に見たのは、先遣隊と思しき騎士連中から逃げ惑う村人の姿だった。


「村人はケモノなのか?」

「いやあれは人間だ、逃がすぞ手伝え」

「わかった」


 師匠は騎士たちから村人だけを庇い、逃がしていった。俺も同じように騎士と村人の間に割って入り、「ケモノ以外は狩ってはならない」と師匠から教えられた言葉を騎士に告げ、面白くなさそうに顔を歪める騎士から村人を引き剥がしていった。

 そうして村人が全員逃げ、先遣隊が引き下がり村の入口あたりで隊列を組み始めた頃、魔女が現れた。銀髪が美しい女だった。背が高く胸が大きいから大人びて見えるが、顔は童顔だ。

 顔だけなら、俺とそう変わらない年齢のようにも感じる。

 あれが、魔女なのか。


 だが、様子がおかしい。魔女に一目散に向かっていた師匠が、首筋に剣を当ててピタリと動きを止めた。それきり、数分が経ったように思う。

 騎士に、肩を叩かれた。


「あの狩人、魔女に魅入られたのではないか?」


 その言葉に、心臓がズキリと跳ねた。

 以前、師匠に言われていたことがあった。「俺が魔女に魅入られたら、お前が俺を狩れ」と。そのときが、来てしまったというのだろうか。

 あれだけ厳しかった師匠が、あれだけ魔女を憎んでいた師匠が、なぜ……。


「お前がヤツごと魔女を狩れ」


 剣を握る手が震える。鼓動がうるさい。狩れ、狩れ、と周囲から太い声が聞こえてきて、脳内にこだまする。ガンガンと響いて、頭が痛い。どうしてこんなことをしなければならないのだろう。

 呼ばせてもらったことはなかったが、父親だと思っているのに。そんなこと、俺にできるわけがない。吐きそうだ。やらなきゃ。できるわけがない。吐きそう。頭が痛い。

 クソ、外野が五月蝿い。


 ――お前が俺を狩れ。


 声が聞こえてきた。


 ――お前が俺を狩れ。それが俺達の親と子の情の総てだと思え。


「……そうだ、やらなきゃ、俺はあの人の子なんだから」


 そう口にした瞬間、俺は駆け出していた。

 気がついたら、師匠が血まみれで倒れていた。俺は茫然としていたのだろうか。


「魔女は……いない」


 そこからのことは、あまり覚えていない。先遣隊の連中に失敗を咎められ、頭がクラクラとしているうちに先遣隊は何者かによって全滅させられた。

 わかりきっている。あれは、魔女の仕業だ。

 近くの街の連中は師匠が魔女に魅入られたことを信じず、俺を身内殺しだと咎めた。そうして俺は、牢に入れられた。


 牢はとても冷たく、狭く、寒かった。冷たい床に冷たい壁、うんざりするほど高い天井に寒々とした鉄格子。窓と呼べるものはなく、日差しを入れてくれるのは鉄格子のついたわずかな隙間だけ。

 出てくる食事は必要最低限にも満たない。ほんの少しの粥と、僅かな葉野菜。山にいたときよりも数段と質素な食事で、満たされず、何もすることがなく、なぜここにいるのかも判然とせず、俺はただただ時間を無為に過ごした。


 考えるのは、いつも逃がした魔女のこととあのときの師匠のこと。あのとき、師匠は本当に魔女に魅入られていたのだろうか。

 本当は違うのではないだろうか。だとすれば、街の人達の言う通り、俺はただの罪人ということになる。最早、狩人とは呼べない罪人なのだろうか。

 もしそうなら、あのとき師匠はなぜ、魔女を斬らなかったのか。あるいは、斬れなかったのか。


 しかし、すぐに考えるのをやめた。


 処刑されず二年が経過しようとしていたとき、とうとう食事すら出なくなった。忘れられてしまったのか、これが処刑方法なのか、食事が出ない。

 水分も、隙間からたまに入り込む雨水以外にはない。

 このまま死ぬのかとも思ったが、俺は気がつけば脱出することを考えていた。


「……あれ」


 採光窓の鉄格子が、錆びて脆くなっているように見えた。ここのところ、よく雨が降ったからだろうか。俺はそれを見て、気がつけば跳躍し、鉄格子を掴んでいた。そのまま全体重をかけて、ぶら下がり続ける。

 すると、鉄格子が朽ちて壊れた。


「……出られる、か」


 もう一度跳躍し、頭を採光窓から出してみる。2年の質素な生活と、ここしばらくの断食のせいか、痩せ細っていたらしい。もともとの俺の体格なら出られなかっただろう。

 眩しい日差しに目を細めながら、俺は牢から出た。


 それから街を出て、野生動物やケモノを狩りながら、生き延びることだけを考えた。どこへ向かっていたというわけではなかったが、気がつけば都市にいた。

 都市にいて、狩人としての認可試験を受け、晴れて俺は狩人になった。


 なぜそうしたのかはわからない。

 ただ、俺は知りたかった。魔女と戦うというのがどういうことなのか。あのときの、師匠の感じていた感覚と気持ちを。

 俺はただ、知りたかっただけなのだ。

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