精神科医神楽ルナ クトゥルフ神話断章のカルテ
NOFKI&NOFU
FILE01 深淵からの呼び声 ― サラリーマンの苦悩 ―
プロローグ
雨音に混じって、胸の奥がうずいた。
まるで雫が古傷を叩き、眠っていた記憶を呼び覚ますかのように。
忘れたはずの夜の傷が、まだ生きていると告げる。
白衣の胸元にそっと手をやり、
十字架のペンダントと勾玉を握りしめる。
母の形見である勾玉は、私の内に潜むざわめきと呼応する。
十字架の冷たい重みは、
背負わされた宿命を静かに思い出させた。
「パラディン――光を掲げる戦士の称号、
だが私にとっては烙印でもある」
救うたび、胸元の勾玉が微かに体温を奪っていく。
二階の「月詠心療室」の扉を押すと、
白檀の香りが迎えてくれた。
カチカチと古時計が刻む音が、
雨の夜の静寂を細かく切り分けていく。
その律動は心臓の鼓動に重なり、
奥底に潜む不安をかすかに揺らした。
受付の青葉ハルカが顔を上げ、じっとこちらを見た。
「ルナ先生、今日も顔色がよくないですよ」
「……天気のせい、
ということにしておきましょうか」
「またその言い訳」
唇を尖らせる彼女に、
私は小さく笑って肩をすくめた。
「ねえ、そんな顔するとシワが増えちゃうわよ?」
「せ、先生の方こそ……!
そのままじゃ患者さんに心配されますよ」
「まあ、それは困るわね。
私の一応聖女様の仮面が剥がれちゃう」
胸を張って流し目を作ると、
ハルカは頬をふくらませて書類を揃える。
その仕草に、私の口元にも自然と笑みが浮かんだ。
「でも本当に、無理はしないでくださいね。
『異端のパラディン』なんですから」
その言葉に、一瞬だけ笑みを止めた。
異端――光を掲げるはずの称号が、私にとっては冷たい烙印。
でも、説明しても無駄ではない。
この言葉には歴史と危険が伴うのだ。
「――またその言葉ね。パラディンとは、
選ばれた者が深淵と向き合う役目を背負う者」
短く説明するだけで、
ハルカの目に理解と不安が交錯した。
「心配してくれるのは嬉しいけど……」声を落として囁く。
「ハルカちゃんの心配性も、
ちょっとした職業病じゃない?」
「し、心配性なんかじゃ!」
頬を赤くする彼女に、私は肩を揺らして笑った。
こんな他愛ない会話が、私の緊張を少しだけ解きほぐす。
仕事中の私は患者の前で聖女でいなければならないが、
ここでは私自身が『普通』でいられるのだ。
だが胸元の勾玉と十字架はなおも熱を帯びていた。
勾玉のざわめきは心を震わせ、十字架の重みは逃れられぬ宿命を告げる。
まるで遠い深淵の底から、
囁き声が這い出そうとしているかのように。
(心の底で波紋が広がる)
そして私は知っている。
その囁きは、やがて患者の心に形を持って現れるだろう。
心に闇を抱えた来訪者がやってくる。
FILE-01 深淵からの呼び声 開幕。
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