第5話 転生者の旅立ちと二人の魔術師

 初クエストから、まる一年が経った。

 この世界で、一ノ瀬遥斗として生き抜くと決めた日から、季節は一巡した。

 ルミナの家の裏手にある訓練場は、もはや俺にとっての第二の自室のようなものだ。かつては小枝一本も切れないでいた場所で、今、俺は汗まみれになって呼吸を整えている。


 一年間の生活は、ひたすら過酷な訓練と実戦の繰り返しだった。

 当初は週二回だったギルドの依頼は、いつしか生活の一部となっていた。D級の雑魚討伐から始まり、C級の「森の魔獣退治」や「山賊の拠点掃討」といった命がけのクエストも、今では単独でクリアできるレベルに達していた。

 特に、魔術の進歩は目覚ましかった。


遥斗「《ウィンド・サイクロン》!」


 右掌から放たれた魔術は、もはやテニスボールサイズではない。それは、周囲の空気を巻き込み、圧縮された巨大な風の塊となって眼前の岩に激突した。

 ゴッ、という鈍く重い衝撃音とともに、岩は表面が抉られ、まるで鋭利な刃物で削り取られたかのようにボロボロと崩れ落ちた。


ルミナ「素晴らしいわね、遥斗。もう《ウィンド・サイクロン》の制御に、魔力のロスがほとんど見られない。C級上位どころか、B級魔術師にも劣らない練度よ」

遥斗「どうだ、先生! 俺もようやくC級中堅くらいにはなれただろ?」

 俺は額に流れる汗を拭いながら、傍らで見守るルミナに問いかける。

 ルミナは一年間、ずっと変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。彼女はただ魔術を教えるだけでなく、危ない依頼の選び方や、実戦での立ち回り、魔物の生態学、そして何よりも「この世界で生き残るための冷酷な判断力」を叩き込んでくれた。

 そのおかげで、最初のゴブリンに必死に逃げ回っていた、あのモブ一般人の面影は完全に消え去った。体は引き締まり、瞳には緊張感と自信が宿っている気がする。


 午後。昼食を終え、薪がパチパチと音を立てる暖炉の前で、俺はハーブティーを飲みながら、意を決して切り出した。


遥斗「ルミナ。……俺、そろそろ旅に出ようと思う」


 ルミナは、カップを持つ手をぴたりと止めた。顔から笑みが消える。その瞳には驚きはなく、静かな、すべてを察したような色があった。

ルミナ「……やはり、そう来ると思ったわ。あなたの目的は、弟さんを探すことだったものね」

遥斗「ごめん。心配かけたくなくて、ずっと言い出せずにいた」

 この一年で、俺は十分な力を手に入れた。もはや、このバルモンドの片田舎に留まる理由はない。弟の湊がどこかの国で、あるいはどこかの街で生きているかもしれない。強くなった今、この家という温室から出て、広い世界を探し回る時が来たのだ。

ルミナ「……いいえ、謝らないで。成長したあなたを、いつまでもここに留めておくのは、私のエゴだわ。でも、旅立つなら、一つだけ確認させてちょうだい」

遥斗「なんだ?」

ルミナ「あなた一人で、この広い世界を旅する覚悟と実力が、本当にあるのかどうかを。口先だけでは信用しないわ」

遥斗「もちろん。だからさ……最後に、B級クエストを一つ、一緒に受けてくれないか?」

 B級クエストは、並の冒険者ではパーティを組まなければクリアできない難易度だ。それをルミナが見て、俺の実力を保証してくれれば、何も言わずに送り出してくれるだろう。

 ルミナは少しの間沈黙した後、いつものように優しく笑った。

ルミナ「いいわ。それがあなたの旅立ちの餞になるなら、喜んで付き合うわ」


◇ ◇ ◇


 翌日、バルモンドのギルドで受注したB級依頼は、「グレートウルフの群れ討伐」だった。通常のウルフより一回り大きく、魔力を帯びた牙を持つ危険な魔獣だ。


 討伐場所。俺はルミナを背後に従え、単独で先頭に立った。

 八頭のグレートウルフが、低く唸りながら俺を取り囲む。

 一年間の経験が、緊張を興奮へと変える。


遥斗「《ウォーター・シールド》」

 まず、足元に水の壁を展開し、敵の突進経路を限定する。

 次に、右手の火と左手の風を同時に展開した。

遥斗「《フレイム・ショット》!」「《ウィンド・カッター》!」

 火球は最も大きく、鋭い牙を持つリーダー格の顔面に。風の刃は、側面から回り込もうとしたウルフの足元を狙う。

 火球に顔面を焼かれたリーダーが怯んだ瞬間、俺は地面を蹴った。

 風魔術で足元をブーストする**《風脚(ウィンド・ステップ)》**。一瞬でウルフの懐に入り込み、腰の短剣を心臓に突き立てる。

 残りのウルフが、仲間が倒された怒りで一斉に襲いかかってくるが、俺はもう逃げ惑うモブではない。


遥斗「水よ、その身を硬き氷と化せ――《アイス・スピア》!」


 俺の意識が氷のイメージに切り替わると同時に、空中に出現した氷の槍が、突進してくるウルフの頭部を正確に貫いた。

 ルミナは、俺の戦闘の様子を最後まで静かに見守り、討伐後、ただ一言、「完璧よ」とだけ言った。


 ギルドでの報告を終え、家に戻ってきたとき。


ルミナ「もう大丈夫ね、遥斗。あなたなら、どこへ行っても生きていける」

遥斗「ありがとう、ルミナ。ルミナがいたから、俺は生きて、強くなれた」

 俺は懐から、旅立ちに合わせて自分でデザインし、町の魔道具師に特別に作ってもらっていたブレスレットを取り出した。

 青い魔石と、金の細工が施された、シンプルな装飾品だ。魔力を込めれば、MP消費を抑える効果を発動する。

遥斗「これ、俺からの感謝の印だ。あんまり無理して、魔力切れで倒れるなよ?」

ルミナ「あら、随分と素敵なものを用意したのね……。私のために?」

 ルミナは感動したようにそれを受け取り、すぐに左手首につけてくれた。

ルミナ「大切にするわ。……行ってらっしゃい、遥斗。あなたの旅路に、祝福があらんことを」

遥斗「ああ。またいつか、胸を張って会いに来る」


 俺はルミナの家を背に、北の方向へと歩き出した。湊の行方はわからないが、北のどこかにいるという、ただの直感が俺を動かしていた。


 家から少し離れ、森を抜けて、平坦な街道に出たとき――背後から、誰かが走ってくる足音が聞こえた。

「遥斗! 待ちなさい!」

 声の主は、ルミナだった。息を切らし、顔色は青ざめているように見える。

遥斗「ルミナ? どうしたんだ、忘れ物か?」

ルミナ「ええ……大事なことを、言い忘れていたわ」


 その瞳は、いつもの暖かさを欠いた、冷たい光を宿していた。

 ルミナの表情と声に、全身の毛が逆立つほどの違和感を覚える。

遥斗「ルミナ?」

ルミナ「あなたみたいな、正体が分からない奴は――あの方の計画に、邪魔になるのよ」

 その言葉の意味を理解する間もなく、ルミナは両手を前へ突き出した。無詠唱。その魔術の速度は、俺の《ウィンド・サイクロン》をも上回る。


ルミナ「《バインド》!」


 黒いロープのようなものがが、瞬く間に俺の全身を拘束する。鋼鉄の網のように締め上げられ、俺は指一本、魔力を流すこともできなくなった。

遥斗「なっ……ルミナ、何を、してるんだ!? 何の冗談だ!」

 驚愕と、裏切られた痛みが、胸を締め付ける。

ルミナ「冗談ではないわ。ここで死んでもらう、と言っているのよ。異世界から来た、不確定要素」

 その口調は、一年間俺に魔術を教え、生活を共にしてきたルミナとは全くの別人だった。冷酷で、感情がなく、事務的な、まるで誰かの命令を実行する道具のような響き。

 ルミナは腰に提げていた短剣を抜き、殺意のままに振り上げる――


「やめなさい!」


 その凶刃が俺に届く直前、もう一人のルミナが、絶叫とともに現れ、俺をかばうように飛び出した。

 偽のルミナが振るった短剣は、その本物のルミナの胸に、容赦なく深々と突き刺さる。


遥斗「え……二、人……!?」

 俺の眼前で起こった凄惨な出来事に、思考が停止する。

 短剣を突き立てた偽ルミナは、驚きもせず、短剣を引き抜く。その顔には、冷酷な笑みが貼り付いていた。

偽ルミナ「チッ……本当に邪魔が入ったわね」

 攻撃を受けた本物のルミナは、鮮血を吐き出し、力なく地面に倒れ込んだ。致命傷だった。防御魔術を展開する一瞬の隙さえなかったのだろう。

 本物のルミナは、痙攣する指で、俺が贈った青と金のブレスレットを強く握りしめた。


本物ルミナ「……ハルト……ご、ごめんね……」

 その声は、途切れ途切れだった。

 そして、その一言を最後に、彼女は息を引き取った。


遥斗「ルミナ……ルミナアアア!!」

 俺の人生の恩人であり、師であり、唯一の理解者であったルミナが、目の前で、呆気なく、殺された。しかも、彼女と全く同じ顔をした者によって。

 偽のルミナは、本物が絶命したのを見ると、まるで何かの演技が終わったかのように、口調をさらに荒々しく、威圧的に変えた。


偽ルミナ「ようやく静かになったか。クソ面倒くさい。『あの方』に知られたらまずいんだから、さっさと処分するか」

 偽ルミナは、本物から奪った剣を再び振り上げ、動けない俺に斬りつけようとする。


 全身の血が煮えたぎるようだった。

 絶望、後悔、悲しみ、そしてそれら全てを上回る、圧倒的な激怒。


遥斗(ちくしょう、動け! 頼むから動いてくれ! ルミナを殺したこいつを……この世界から消し去ってやる! それなのに、俺はなぜこんなロープごときに縛られているんだ! 俺の力は、なんのために強くなったんだ!)


 溢れ出す感情と、それを処理できない体の無力感に、視界が涙と怒りで真っ赤に染まる。


 その時。

 まるで、脳髄に直接電気が流し込まれるように、冷たく、合成されたような声が、遥斗の意識の深奥から響き渡った。


『あなたはこの状況を変えれる能力が欲しいですか、この世界"2人目の異世界転生者"よ』

『あなたには特別な能力を持っていますが、あなたは能力の1パーセントも使えていません』


 眼前には、殺意をむき出しにした偽ルミナの剣。

 脳内には、よく分からない謎の声。

 俺は、もはや思考ではなく、本能だけで叫んだ。


遥斗「力が……欲しい! こんな鎖、こんな偽物、全部まとめて吹き飛ばしてやるだけの力が! ルミナの仇を討てる力が、欲しい!!」


『確認しました。この現状を打破し、目の前の敵を討ち、復讐を果たせるほどの力を、あなたは望みますさ?』

 問う必要もない。

遥斗「当たり前だ……! 全部、焼き尽くしてやる……!!」

 怒りの叫びが、脳内のシステムを突き破る。


『あなたに私の記憶を共有します。この記憶があなたの目的に役に立つでしょう』

『この"世界線"でループが終わるのを私は願っています』

『――新プロジェクト【FATAL ERROR】を開始する』


 その声が消えた瞬間、俺の脳内には無い記憶が次々と思い出される。

 それは、一年間の訓練で培った知恵とは、全く異質の、世界の法則すら捻じ曲げそうな、恐ろしい能力の使い方であった。

 全身を縛っていた《バインド》の鎖が、バリバリと音を立てて砕け散る。

 俺の体には色ズレやノイズが発生しておりいわゆるグリッチが発生していた。そして俺の瞳は紫色に光っているのであった。


第6話に続く…

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