FATAL ERROR 〜あらゆるプログラムを書き換える代わりに、激重デバフを背負わされる俺の復讐譚〜
くるまえび
まるでゲームのような世界
第1話 始まりと出会い
――眩しい。
白い光が視界いっぱいに広がって、次の瞬間、世界が横に吹っ飛んだ。
「っ……!?」
ドン、と何かにぶつかった衝撃。地面に叩きつけられた感覚。何が起きたのか理解する前に、全身に遅れて痛みが走る。
視界の端を、白いトラックが流れていった。
(……ああ、やっちゃったな、これ)
思考がやけに冷静なのが、自分でも不思議だった。
◆ ◆ ◆
話を少しだけ巻き戻そう。
俺の名前は一ノ瀬遥斗(いちのせ はると)、二十五歳。昔からゲームが好きで、そのままゲームを作る側に回った人間だ。
そこそこいい大学を出て、そこそこ有名なゲーム会社に就職して、毎日そこそこ楽しく仕事をしていた。
大手企業だから、基本は定時帰宅。もちろん時々炎上もあるけど、今日は珍しくちゃんとした休日だった。
「兄貴、急がね? 開店ダッシュ勢、なめんなよ?」
「はいはい。そんなに焦らなくても、限定BOXは抽選だろ?」
「抽選に並ぶ人が多けりゃ、それだけ競争率上がるじゃん。早く行くぞ、ほら!」
腕を引っ張ってくる弟の名前は一ノ瀬湊(みなと)。二つ下。昔からゲームもカードも一緒にやってきた相棒みたいな存在だ。
社会人になってからは、会社に近いところで二人でシェアハウスしている。
今日の目的は、某大人気カードゲームの新弾BOX。コンビニや小さなショップでは瞬殺されるやつだ。抽選販売をやっているカードショップに、朝一で並ぶことになった。
「よしっ、兄貴。一人一箱、確保!」
抽選の紙を引いて、その場で結果が出たとき、弟はガッツポーズ。俺も思わず笑っていた。
「朝早起きした甲斐あったな。いつもならこの時間まだ寝てるのに」
「こんだけのためなら、余裕で起きるわ。今日、絶対神引きするから見てろよ」
「俺の前でだけはやめろよ。メンタルにくるから」
他愛ない会話をしながら、店を出る。二人とも、紙袋の中にBOXを一つずつ抱えていた。
空はよく晴れている。休日の午前中、まだ人通りは少ない。
「そういや兄貴、このあとどうする?」
「とりあえず帰って開封配信だろ」
「してねぇよチャンネル!」
「したら伸びるんじゃね?」
「じゃあ兄貴が顔出し担当な」
「それは絶対やだ」
いつもの、くだらないやり取り。
それが、最後の日常になるなんて、その時は考えもしなかった。
◆ ◆ ◆
交差点に差し掛かったときだった。
信号は青。俺たちは何も疑わずに横断歩道を渡る。
その時、耳をつんざくようなクラクションが右側から鳴り響いた。
「危ない!!」
反射的に、弟の腕を引く。
視界の端に、猛スピードで突っ込んでくる白いトラック。フロントガラスに、ぐったりとした運転手の姿が見えた。完全に意識が飛んでいる。
(居眠り運転かよ……っ)
考えるより早く、体が動く。
俺は弟を後ろに突き飛ばした。代わりに、自分の体がトラックの進路に飛び込む形になる。
次の瞬間、轢かれた。
世界が、音ごとひっくり返る。
骨が砕けるような音がして、アスファルトが頬に叩きつけられる。肺から空気が全部抜けて、呼吸の仕方が分からなくなる。
「が、っ……」
視界が揺れて、上下も分からない。
血の匂いがする。自分のものなのか、弟のものなのか、それすら判断できない。
横で、何かが弾き飛ばされる音がした。
(……湊……?)
ぼやけた視界の中、弟の姿を探す。
でも、うまく焦点が合わない。身体も動かない。手を伸ばそうとしても、指一本ぴくりともしない。
(あー……やばい……これ、普通に死ぬやつだな)
ゲームで何度も見た「HP1」みたいな状況じゃない。もう、完全にゼロの感覚だ。
喉が焼けるように乾いているのに、声は出ない。
世界の音が遠ざかっていく。
最後に聞こえたのは、自分のものか他人のものか分からない悲鳴と、救急車のサイレンの幻聴みたいな音だけだった。
(……湊……無事で……あれ……)
そこで、意識は一度、ぷつんと切れた。
◆ ◆ ◆
――痛い。
最初に戻ってきたのは、痛覚だった。
頭。腕。胸。脚。全身がじんじんと痛む。事故直後のあの感覚によく似ている。
(俺……生きてるのか……?)
恐る恐る、ゆっくりと目を開ける。
そこには――
「……は?」
見渡す限り、一面の大草原が広がっていた。
高い青空。白い雲。どこまでも続く緑。コンクリもアスファルトもない。ビルどころか、電柱一本すら見当たらない。
俺は仰向けに寝転んでいて、草の匂いがやけにリアルだった。
「病院……じゃ、ないよなぁ……」
上体を起こす。痛みはあるが、動けないほどではない。さっきまでの「動かない死体感」と比べれば、天国みたいなものだ。
服装も違う。
いつものパーカーとジーンズではなく、粗末な布でできたシャツとズボン。昔のRPGで村人が着てそうな、地味な服だ。
気になって、自分の手をじっと見る。
(……小っさ)
指が細い。手首もほっそりしている。筋肉量も明らかに減っている。感覚としては、中学生くらいのときに戻ったような体だ。
胸ポケットを探るが、スマホも財布も何もない。
「いやいやいやいや……」
思わず立ち上がり、ぐるりと周囲を見渡す。遠くの方に、白い石壁のようなものが見えた。
城壁だ。たぶん。
その内側に、いくつか尖った屋根がちょこんと見える。城っぽい建物もある。
(中世ファンタジーかよ)
そうツッコまずにはいられない光景だった。
◆ ◆ ◆
とりあえず、立って歩くことはできるらしい。二本足が動くなら、人がいそうなところに向かうしかない。
俺は、遠くに見えている城壁を目指して歩き始めた。
草原の風が心地いい。痛みは残っているが、さっき事故で感じたあのどうしようもない絶望感に比べたら、全然マシだった。
(……じゃあ、俺、助かったのか?)
それとも――
(これ、よくあるやつか?)
ゲーム脳がひょっこり顔を出す。
トラックに轢かれる → 気づいたら見知らぬ世界 → 中世風 → 体は若返り。
このセット、もうテンプレだ。何度も企画会議で聞いたことある。
俗に言う、異世界転生。
「いやいや、そんな馬鹿な……」
言いつつ、心のどこかで「ありそう」とも思っている。
断言できる材料が何もない以上、否定もできない。むしろ、肯定したほうが状況は整理しやすい。
歩くこと一時間ほどで、城壁の近くまで来た。
石造りの巨大な門があり、その前には槍を持った兵士が二人立っている。門の向こうには、レンガと木材でできた家がぎっしり並んでいた。
まるで、ゲームでよく見る「最初の城下町」そのものだ。
(……マジで、異世界かもな)
ちゃんと人間がいる。とりあえず、人がいるなら話はできるはずだ。
深呼吸をして、門の方へ近づく。
兵士の一人がこちらを見て、怪訝そうに眉をひそめた。
「おい少年。どこから来た?」
「あー……その……」
どこから、と言われても困る。地球です、とか言ったら不審者確定だ。
言葉は自然と出てきた。翻訳魔法的なものが働いているのか、それともこの世界の言語を自動で理解しているのか。少なくとも、コミュニケーションは取れるようだ。
「ちょっと迷子になって。とりあえず、町に入りたいんですけど」
「身分証は?」
「……ないです」
「なら駄目だ。この町は、勝手に出入りできる場所じゃない。ギルドの証か、魔剣術学校の許可証がない者は通せん」
(ギルド。魔剣術学校。なんかそれっぽいワード出てきた)
だが今は、それどころじゃない。
「そこをなんとか……」
「ルールだ。悪いな」
兵士はそれ以上首を縦に振らない。どうやら、正門から入るのは諦めたほうがよさそうだ。
仕方なく、門から少し離れたところの土手に腰を下ろす。
城壁の向こうからは、人々のざわめきや、馬車の車輪が転がる音が微かに聞こえてきた。
(……湊)
ふと、現実が胸に刺さる。
弟はどうなったのか。
俺だけがここに来たのか。それとも、弟もどこかで目を覚ましているのか。
確かめる術は、今のところない。
考え込んだところで、腹の虫がぐう、と自分の存在を主張した。
「……腹、減った」
そういえば、朝からコンビニのサンドイッチしか食べていない。事故だの転生だの騒いでいるうちに、いつの間にか昼を過ぎているらしい。
食料を調達しないと、ゲーム的に言うと、餓死ルートが見えてくる。
町に入れないなら、外でなんとかするしかない。
城壁から少し離れたところに、こんもりとした森が広がっているのが見えた。
(森って、だいたい序盤の狩場だよな……)
スライムとか、うさぎとか、よく分からないキノコとか。
ゲームだったら、だいたい「最初に行く場所」だ。
現実だと危険もあるだろうが、他に行く当てもない。
「とりあえず……行ってみるか」
俺は立ち上がり、森へ向かって歩き出した。
◆ ◆ ◆
森の中は、外よりも涼しかった。木々が日光を適度に遮っていて、緑の匂いが濃くなる。
土の地面には、ところどころにキノコや小さな草が生えている。
「……食えるやつ、あるか?」
屈んで、目の前のキノコをまじまじと見る。
頭が紫色で、白い斑点がある。見たこともないタイプだ。RPGなら絶対に毒キノコのグラフィックをしている。
「これは、アウトっぽいな……」
他のも見てみるが、どれもこれも食欲を削ぐ見た目をしていた。赤黒いのとか、やけにぬるぬるしてるのとか。どれがセーフでどれがアウトか、素人の俺には判断できない。
30分ほど歩き回って、成果はゼロ。
(やっぱり、森に入るのは早まったか……?)
ちょっと後悔し始めた、その時だった。
「グァァァァァ!!」
耳をつんざくような、獣のような――けれどどこか人の声に近い咆哮が、森の奥から聞こえた。
「えっ」
反射的に声のした方を見る。
木々の間から、何かがこちらに向かってくるのが見えた。
緑色の肌。黄色く濁った目。尖った耳に、鋭い牙。
身長は俺より少し低いくらいだが、筋肉質な体に、木の棍棒を握っている。
――ゴブリンだ。
ゲームで散々見てきた「序盤雑魚モンスター」が、現実の質感を持ってそこにいた。
「嘘だろ……!」
声のした方向から、さらに二体、三体と同じ姿が現れる。あっという間に、五体ほどの群れになっていた。
ゴブリンたちは、何か喋るようにガアガアと声を上げると、一斉にこちらへ駆け出してくる。
「マジかよおおお!!」
体が勝手に動いていた。反射的に、背を向けて走り出す。
地面を蹴る。枝を避ける。根っこにつまづきそうになりながら、それでも必死に前へ進む。
後ろからは、バキバキと枝を折る音と、濁った咆哮が近づいてくる。
この体は中学生サイズだが、中身は二十五歳のデスクワーカー。筋力も持久力も、ゴブリンたちに勝てる気がしない。
(やっぱり来るんじゃなかった!!)
俺はただ走る。
どれくらい時間が経ったか分からない。息は上がり、視界は揺れている。それでも足を止めたら終わると、必死に自分を奮い立たせた。
やがて、視界が開けた。
目の前に、川があった。
森を割って流れる、そこそこ大きな川だ。水音が激しく、深さもありそうだ。向こう岸まではかなり距離がある。
飛び込んで渡るには、かなり無茶がいる。
(逃げ場、ないじゃん……)
背中に冷たい汗が流れる。振り返ると、木々の合間からゴブリンたちが飛び出してきた。
一体、二体、三体――。
完全に包囲されたわけではないが、細い足場を選んで川沿いを逃げ切る自信はない。
「クソっ……!」
ここでようやく、足の痛みに気づいた。
さっきどこかで枝か石を踏み抜いたらしい。右足のすねから血が流れている。走っている間はアドレナリンで麻痺していた痛みが、一気に主張してきた。
足が震える。呼吸も荒い。この状態で、ゴブリン五体と格闘戦をするのは、無理だ。
「せっかく生まれ変わったのに……ここでゲームオーバーとか、笑えねぇ……」
それでも、ただ立ち尽くすわけにはいかなかった。
俺はそばに落ちていた太めの枝を掴む。即席の棒切れを構えるが、手の震えで安定しない。
ゴブリンたちは距離を詰めてきて、そのうちの一体が、にやりと笑ったように見えた。
木の棍棒を振り上げる。
来る――!
(終わった……!)
覚悟を決めて目をつぶった、その瞬間。
「――フレイムショット」
澄んだ声が、風のように響いた。
同時に、俺の目の前をオレンジ色の光が横切る。
ゴブリンの悲鳴が上がった。
「グォォォォ!!?」
恐る恐る目を開ける。
さっきまで先頭を走っていたゴブリンの一体が、炎に包まれて転げ回っていた。皮膚が焼け焦げ、棍棒も一緒に燃えている。
残りのゴブリンたちが驚いたようにその方向を見る。
俺もつられて振り向く。
そこには――
「そこの君、大丈夫?」
金髪の髪が風に揺れていた。
陽光を反射してきらきらと光る、長い金の髪。透き通るような青い瞳。白いローブをまとい、片手をこちらにかざしている。
ゲーム画面からそのまま飛び出してきたような、美しい女性が立っていた。
白のローブの裾がふわりと揺れる。手のひらにはまだ、炎の名残が揺れている。
(……魔法、だ)
頭のどこかが冷静にそう判断した。
美しいとかどうとかよりも先に、「魔法だ」という事実が、ゲーム脳の俺の心を激しく揺さぶった。
ゴブリンたちは一瞬たじろいだが、すぐに咆哮を上げ、今度はその女性に向かって突っ込んでいく。
だが――
「ウォーターウォール」
彼女が静かに詠唱すると、水が盛り上がり、壁のように立ち上がった。水の壁はゴブリンたちの進路を遮り、その勢いのまま彼らを押し流す。
「グオォ!?」「ガァァァ!」
バランスを崩したゴブリンたちが、次々と足を取られて転ぶ。
彼女はさらに指先をくい、と動かした。
「ウィンドカッター」
今度は空気が裂けるような音がして、目には見えない刃が走る。さっきまでゴブリンがいた場所を風の刃が通り過ぎ、その背後の木の幹に深い傷が刻まれた。
転んだゴブリンたちは、それだけで戦意を喪失したのか、悲鳴を上げながら森の奥へと逃げていった。
あっけないほどの一方的な勝利だった。
俺はその場にへたり込み、口をぱくぱくさせるしかない。
「ちょっと、怪我してるじゃない」
気づけば、彼女はすぐ目の前まで来ていた。
近くで見ると、その顔立ちはさらに整っている。耳は長く、ゲームに出てくるエルフと一緒だ。年齢は……二十代くらいに見える。柔らかい雰囲気をまとっていて、怒っている感じは全くない。
ただ、俺の足元を見て、心底心配そうな顔をしていた。
「あ、ああ、このくらい平気だよ」
見栄を張ってそう言うが、足はズキズキ痛むし、立ち上がれる気があまりしない。
「平気じゃないでしょ。少しじっとしてて」
彼女はそう言うと、俺の前にしゃがみ込み、そっと手をかざした。
「ヒール」
淡い緑色の光が、彼女の手から溢れた。
光は、俺の右足を包み込むように広がる。じんわりと暖かい。さっきまであった鋭い痛みが、少しずつ抜けていく。
傷口からは血が止まり、さっきまでぱっくりと開いていた皮膚が、まるで逆再生の映像みたいに、滑らかに閉じていった。
その光景に、俺は言葉を失う。
(……これ、もう、完全にゲームじゃん)
思わず、自分の頬をつねる。
痛い。普通に痛い。
「ね、大丈夫? 痛みはどう?」
「……お、おう。大丈夫、だと思う。助けてくれて……ありがとう」
やっとのことで、礼を言えた。
彼女はほっとしたように微笑む。その笑顔は、さっきまでのゴブリンの咆哮や、自分の死にかけた状況を、一瞬忘れさせるくらい柔らかかった。
「よかった。それで――」
彼女は一呼吸おいて、俺の目をじっと見つめる。
「あなた、ちょっと危なっかしすぎるわ。その様子だと、魔剣術学校にも入ってないでしょ?」
「……魔剣術学校?」
聞き慣れない単語に、思わずオウム返ししてしまう。
彼女は小さく首をかしげ、少し困ったように笑った。
「やっぱりね。……まずは、名前を教えてくれる?」
「あ、ああ。俺は――」
そこで、ふと現実感が戻ってきた。
事故。トラック。弟。異世界っぽい草原。モンスター。魔法の女の人。
さっきまでの人生と、今目の前の光景が、全く繋がっていない。
でも、それでも。
この世界で、最初に自分を助けてくれた人がいる。
その人が名乗れと言うなら、名乗るのが筋だろう。
「一ノ瀬遥斗(いちのせ はると)。遥斗でいい」
「ハルト、ね。私は――」
金色の髪の彼女は、小さく微笑み、はっきりと名乗った。
「ルミナ・ブランシェ。ルミナって呼んで」
その名前は、この世界での俺の人生が、大きく狂っていく始まりの合図だった。
――この時の俺は、まだ知らない。
この優しそうな女の人が、いつか俺の世界を救って、そして、俺の世界を壊すきっかけになるということを。
第2話に続く
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