第15話 エフィカ姫の秘密の部屋

「そうか、の一言で終わりって何なんだよまったく」

 王に帰国を報告したものの、軽く追い払われたラフィ王子は、従者のポトシと別れ、自分を歓迎してくれそうな姉の部屋に向かっていた。

「エフィカ姉様、ラフィです。戻りました」

 ノックに応じて出てきたのは姉の世話係をしているミサリーだ。もともと第二王妃の侍女にと大陸から渡ってきたミサリーは、歳も近いからと王妃の配慮でエフィカのもとに来た。

「お帰りなさいませラフィ王子」

 ドアを開きうやうやしく挨拶をする。耳の下で切りそろえられた髪型はこの国の年頃の娘では珍しい。

 部屋に入るとミサリーはドアの鍵を閉める。病弱なエフィカ姫には明るい日差しの差し込む場所をと、渋る母上を説得して数年前この部屋が姉のものになった。もともと来客用に作られた広いバルコニーがある部屋だが今はカーテンが閉められて薄暗い。

 天蓋付きベッドには横たわる人のかたちと赤い髪が見えている。その横をミサリーはスタスタ通り過ぎ、一角に花畑のような本の一群がある本棚のいくつかの本を手際よく押していく。カチリと音がするとミサリーは重そうな本棚を滑らかに横に動かした。そこには扉があり、ノックをするとその奥には。


「ラフィお帰り! 船酔いはもう大丈夫? パレチアは三日前に来たわよ。あ、ミサリーお茶入れてくれる? 一緒に飲みましょう」

 天窓から注ぐ光に照らされているのは、病弱設定でありつつ実は頑健極まりない姉、エフィカ姫である。

「エフィカ、この間のベリーのお茶はどう?」

 ミサリーは世話係と言っても姉と年もさほど変わらず、友人のようなものなので周囲に外部の者がいなければ基本くだけた接し方をしていた。

「それがいい! ラフィも好きよね? あ、はちみつも入れてね」

 手を振りながらミサリーはきちんと扉を閉じて部屋を出る。

 カチリと音がした。不意の来客時に困らないように都度この部屋を隠しているのだ。ちなみに内側から開けるときは本棚の操作などという面倒なこともなく、ドア横のボタン一つ押せばよい。そもそも来客用の部屋の奥になぜ隠し部屋があるかなどということについては身内の恥なので伏せておく。

「いやあ、本当にひどい嵐で、危うく死にかけました」

「船の旅は危険なのね。無事帰ってくれて嬉しいわ。見たわよ兄様用の面! やっぱりいいわね猫面!渡す前にちょっと手を入れさせてもらったわ」

「リュゼス兄さんはその後こちらには……」

「そうね、もう何年もお会いしてないわね」

 目をそらして耳飾りに触れる。エフィカ姉さんが髪を結う年にリュゼス兄さんが贈ったものだ。光の当たり方によって色を変える不思議な石はプリエラのものである。

 この国の女子は16になると髪を結う。結婚適齢期の合図として。姉さんがその年を迎えて以降、兄さんはこの西の塔に来なくなった。そしてエフィカ姉さんは病に臥した。仮病だけど。

 いや、はじめは仮病ではなかったと思う。兄さんがここを出てしばらくして、兄さんと伯爵令嬢との縁談が聞こえてきたときの姉さんの落ち込みようと言ったらとても見ていられるものではなかった。結局その後兄さんは軍に入り、大怪我をしたことで破談になったと聞いた。

 その後ミサリーが来てから、エフィカ姉さんは元気にあれこれ発明したりなんぞしている。最近じゃ伸ばしていた髪も短く切って身代わり人形を作る始末。もっとも、姉さん曰くアイデアから資材調達までミサリーがほとんど作っているようなものとのことだが。

「病で髪を切らなければならぬエフィカ姫がお気の毒で」などとさめざめ曰いミサリーも同時に髪を短くしたが、この部屋では、「長い髪を結うなんて面倒なだけよ。私結婚もしたくないし」などと平然と口にしていた。どうも女性というのは結婚すれば夫の家にがんじがらめにされてしまうのが常らしい。ならばそれを嫌がる気持ちもわからなくはない。

「恋物語のような恋愛はその辺に落ちていないし、私には不要だわ」

 とはミサリーの談。普段は貴族らしく振る舞う女性ばかり目にしがちなので、このようにあけすけな話を聞くと女性も大変なものなのだなとしみじみ思う。とはいえ、男は男で大変なわけで。

「兄さん……来ればいいのに」

 微笑む姉は寂しそうにも見える。

「仕方ないわ、お忙しいんですもの。でも手紙はくださるのよ。以前ラフィから渡してもらった方位磁石と日時計つきの腕輪も気に入ってくださったみたい。あなたも要る?」

「いや、僕はそういうのは使うことなさそうだからいいよ」

 僕が産まれてから姉さんが16になるまで、リュゼス兄さんはずっと一緒に暮らしていたんだ。エフィカ姉さんだって会いたいに決まっている。

「ああ、そうだ。今日ルシウム兄様にも会うのでしょう?これを渡してほしいの。なかなか機会がなくて」

「なにこれ? アクセサリー?」

 渡されたのは不思議な文様の入った小さく丸っこい銀色の何かである。

「ふふ、秘密の鍵よ。この間奥方のエディーナ様が来られてね……」

「お茶が入りましたよ」

 カチリと音がして甘い匂いが漂ってきた。

「ここじゃ狭いわね。ミサリーそっちに行くわ。カーテン開けてちょうだい」

 二人は部屋を出て本棚を戻し、ミサリーは手際よくベッドを整えてからカーテンを開けた。


「ああ、そうそう、プリエラ王国のアリル姫から手紙が来ていてね。ほら、冬のはじめにプリエラの王様が亡くなられて、もうすぐイレア姫が王を継ぐでしょう? 不安も多いでしょうに、あの子は気丈なのね」

「イレア姫が王かぁ。さすがにもう僕のことは覚えてないだろうなぁ」

「あら、忘れるわけないわよ」

「だったらうれしいけど」

 プリエラ王国の森や湖は今でも懐かしく、恋しく思い出せる。イレア姫、あの淡いはちみつのような金色の子は一体どんな姫になっているのだろう。そして、そうか、王様になるのか。王になったイレアの隣には一体どんな男が立つのだろう。ミサリーの入れてくれたお茶は甘酸っぱかった。


「大陸から戻っても王子はあまり変わった感じしなかったわね」

 ラフィを送り出した部屋でミサリーとエフィカはくつろいでいた。

「外に出せばもう少し大人になるかと思ったけど。まぁ、あの子はあれが良いところでもあるから。でも、ちゃんとイレア姫に釣り合うか不安だわ」

「運命の糸ね。そそる話だわ」

 プリエラ王国の二番目の姫アリルが初めて手紙をくれたのはもう随分前のこと。リュゼス兄様がここを離れて、伯爵令嬢との婚約が決まったと聞いた後。夜会での品定めされる視線に吐き気を催し、近々私の意思など無視して婚約者が決められることを知り、この後の人生に希望が見えなくなった頃。旅商人のパレチアが手紙を持ってきてくれた。

 以前、リュゼス兄様とラフィと一緒に行ったことのあるプリエラ王国。直接会った時のアリル姫はまだ小さすぎて王妃から離れられない幼子だったけれど。

『いまは文字をれんしゅうしています。エフィカさまのお体がはやくよくなりますように』

 たどたどしく一生懸命書かれた手紙はとても心が温まるものだった。幼いアリルは自らも体調が思わしくない日が多く、同じように寝込んでいる私を心配してくれたのだった。

 プリエラ、あの国には幸せが詰まっていた気がした。アリルの身体が良くなるにはどうしたらいいのかしらと色々調べているうちに、自分の身体はすっかり健康になってしまったけれど。誰かの妻になることなく、時が来るのを待つには病弱な姫で居続けるしかない。


「そういえば、アリルの手紙に『鍵の乙女の物語』のことも書いてあったわよ。イレア姫が愛読してるんですって」

「あらまあ、それは嬉しいわね」

 ミサリーは微笑んだ。

「次回作が楽しみだわ」

「そうね、新しい物語の種を探しに行きたいところだけど」

「それは困るわ! でも、あなたの人生ですものね……」

 下を向いたエフィカの手にミサリーが手を重ねた。

「まだどこにも行かないわエフィカ。いつか、あなたの望みが叶う時が来るまで私はここにいる。それに、ここにいればロルギニスの書物庫の本が読み放題だもの、簡単には離れられないわ」

「まぁ!」

 ミサリーはエフィカの名前で本を借りてきて読んではエフィカにあらすじを語って聞かせているのだった。それはこの国の本、大陸の本にとどまらず、失われてしまった国の本などにも及んでいる。際限のない知的好奇心を持ち、何でもできてしまうミサリーをエフィカは心の底から尊敬していた。

「ありがとうミサリー。そうね、時が来たら」

 エフィカはミサリーの手を握って言った。

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