アイドルの彼女は、私にだけ壊れた笑顔を見せる

高町 希

プロローグ

ステージの上の彼女は、まるで光そのものだった。

客席の誰もがスマホを掲げ、彼女の名前を叫び、涙ぐみながらその歌声に酔いしれている。

──完璧美少女、橘あやめ。

同じクラスの、そして今や全国的アイドルの彼女を、こんな近くで見ているのは私だけだろう。


「今日もすごいなぁ……」

モニター越しに呟いた声は、雑音に紛れて誰にも届かない。

でも、胸の奥に生まれるざらつきは隠せなかった。

まるで自分のものを、みんなに取られていくようで。


ライブが終わり、ファンの歓声が残響のように続くなか、彼女は裏に戻ってくる。

スタッフに笑顔で頭を下げ、記者のカメラに微笑みを投げる。

そのすべてが“プロの橘あやめ”だ。


けれど、控室の扉が閉まった瞬間。

彼女は、糸が切れた人形のように私の胸に崩れ落ちた。


「……っ、はぁ……っ、ねぇ……しんどい……」


細い肩が震えて、衣装に施されたビジューがかすかに鳴る。

その顔は、ステージで輝いていた誰よりも美しいはずなのに──泣きじゃくって、赤く濡れた目で私を見上げてきた。


「……ねぇ。約束して」

「……なにを?」

「絶対に、私から離れないで」


指先が私の制服の裾を握りしめる。

必死に、壊れものを抱きしめるように。


「ファンのみんなには笑顔を見せるよ。スタッフにも、仲間にも。……でも、本当の私は、あなただけに見せるから」


その瞬間、背筋に冷たいものが走った。

だって彼女の言葉は、愛の告白よりも──檻の鍵のように重かったから。

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