第26話「芦田仁志という男」
「本当、お手柔らかに頼みますよ。新進気鋭のやり手実業家なんて持ち上げながら、下半身のネタに集中砲火はやめてくださいね。今大切な時期ですから」
吉田と河野の前にさっそうと現れた青年は、愛嬌ある笑顔を向けてそう言った。
3人が席をとるカフェの店内は十卓がゆうに並ぶ広々としたスペースで、ビジネスマンや主婦の集まりなどでほぼ満席状態だ。
「ぜんぜんご心配なさらず。企画は普通に若手実業家のライフハックやビジネススキルに焦点を置くビジネスパーソン向けの記事なので。ではさっそく……」
河野が目の前の青年に対して仕事の現状や課題について質問していく。
その隣では、吉田が、二人の会話を神妙な面持ちで聞きつつ、卓の上に広げたノートに視線を落とし、時折思い出したようにメモをとるなど、「アシスタント」っぽい所作を見せる。
(芦田仁志……35歳……早稲田大学理学部卒……ソフトウェア開発『キビネック』社長……若手経営者向けオンラインサロン『ライジングサン2.0』運営……)
吉田は事前に河野に教えられてメモした芦田仁志に関する基本情報を確認しながら、キリっとした目元ながら全体的に柔和な顔立ちの青年の話に耳を傾ける。
同時に、その意識の底に眠るであろう記憶の映像化にも努めていた。
目の前ではきはきとしゃべる男の知られざる過去が、過去透視能力によってあぶりだされていく。
「……」
そのとき、芦田の携帯が鳴った。
「はい芦田です……え……わかった。ちょっと待ってな、今メディアの取材中だから……」
芦田は申し訳なさそうな顔を河野と吉田に向け、「すいません、ちょっとだけ外させてもらいますか。5分ほどで戻ってまいりますので」と申し出た。
「どうぞどうぞ」
河野に促された芦田は席を立つと、携帯電話で通話しながら外に通じる戸口のほうへ歩いていく。
「……なんかさわやか青年という感じで、黒い過去なんかありそうもないんだけどな」
河野はそう感想をもらした。
吉田のほうはただぼんやりと、ガラスウォール越しに映る芦田の様子を眺めている。
河野はそんなおとなしい様子の吉田に目が留まり、「おい、どうしたぼーっとして」と軽くとがめた。
吉田は冷めた目線を芦田に向けたまま、ぼそっと「この話、ちょっとヤバいかもしれません」と漏らす。
「ヤバい? どういうこと?」
思わせぶりなことを言う吉田に、河野が怪訝な表情を向けて尋ねる。
吉田は、河野の耳元に口を近づけ、小声でこうささやいた。
「あの人、人殺してますよ」
それを聞いた河野は目を剥き、のけぞった。
「マジか……」
河野が吉田の顔を凝視してつぶやいた。
「ええ、マジです」
「あの虫も殺さなそうな顔した青年が、人殺し……?」
「しー、戻ってきましたよ」
前方から携帯電話を仕舞った芦田が笑顔を向けて戻ってくる。
「お待たせしました。部下が見積りをミスってしまい、ちょっと早急に指示を出す必要があったものですから。でも片付いたので大丈夫です」
「そ、それは何より……」
そう返した河野の声はやや裏返っていた。
「では続きを……あれ、何の話でしたっけ?」
河野は吉田の忠告によほど動揺したのか、笑顔は引きつり、ボールペンを握る指先も若干震えていた。
(……そりゃ人殺しが目の前にいるんだから怖いわな……)
人殺しを向こうに平静を装いインタビューする身の河野に心から同情を寄せた。
(しかし俺もこのケースは初めてだな……)
吉田自身も、目の前ではきはきと明るくしゃべる男の裏に潜む恐ろしさを垣間見て、身震いせずにはいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます