第22話「有末精司」

吉田が恋い焦がれるファミレスのマドンナ・鳩山一華は、何とオラオラ金髪刺青ピアスの半グレコンプ男と同棲関係にあった。


「おい一華、そんなもん後でいいから、早くセックスしよう」


「ダメ、キッチンだけ片付けさせて……あ、いや」


一華が流しに溜まった食器を洗いかけたところ、ピアスの入った男の舌がねっとりと伸び、華奢な耳たぶをなめ回す。左手は乱暴に乳房をまさぐっている。


「相変わらず感じやすいんだから」


一華の体はあっけなく畳の上に組み伏せられた。


ここからしばらく、吉田が見たら恐ろしく気が狂いそうな二人の絡みが続いた。


男の名は、有末精司。一華と同じ27歳。


喧嘩自慢の素人たちが集い覇を競う「ナックルハート」に出場。動画サイトの格闘技チャンネル界わいではちょっとした有名人である。


1回戦で早々と敗退したものの、主催者の格闘家や元プロボクサー相手にも動じず啖呵を切るなど、蛮勇と悪態が話題を呼び、一躍時の人となった。


鳩山一華との関係は、まさに絵に描いたような美女と野獣のカップルと言ってよい。


清楚で一点の汚れもなさそうな鳩山一華が、危険な香りを匂わせる野生と攻撃性に満ちた男の牙にかかり、思うように扱われ、文字通りメロメロになっている。


「……行ってきたよ。仕事前に、歌舞伎町」


事が済み、下着一枚姿の一華は精司にそう報告した。右の肩甲骨に覗くトカゲと蝶が絡みつく文様の刺青。世の中の規定に忠実そうな彼女にもこんな反道徳的な一面があった。


「マジで行ってきたの? 放っときゃいいのに」


精司は呆れた顔をしている。


「そんなわけにはいかないよ。反社に出入りしてるとかAV女優と薬キメてヤッてるとかウソ書かれて。これを放置したら向こうは調子に乗ってまた無いこと書いてくるでしょ」


「書かせりゃいい。あいつら自分たちじゃ何も生み出せないかわいそうな連中で、光の届かないじめっとしたところでしか増えない寄生虫じゃないか。相手にするほうが負けなんだよ」


精司は眠そうな顔をしている。自分のことを書かれながら、まったく意に介していないようだ。


「精司は何とも思わなくても、私は気分悪いよ、黙ってらんない」


一華は泣きそうな顔で力を込めて言った。


美しい恋人にそう泣きつかれると、精司も少し神妙な顔になる。


「……その雑誌買ってこいよ。いっぺん読んでやる」


精司が仕方なさそうに言った。


「買うの? やだよ。家に置いとくなんて気分悪い。あの会社の売り上げになることするのも何か悔しいし」


一華はこの日、仕事前に精司の中傷記事を書いた「週刊真相」を発行する「東洋ジャーナル」オフィスを訪れ、直接抗議している。あのとき記事を書いた河野一男とかいう男のせせら笑いを思い出すと、余計に抵抗したくなるのだった。


「だったら忘れろよ」


精司はまたサバサバした調子に戻った。


一華はそこで、何か思い出したように口を開いた。


「お店にその雑誌ある……落とし物だけど」


一華の言葉に、精司は怪訝な顔色を浮かべ「落とし物?」と聞き返した。


「落とし物といって報告してくれたお客さんがいて、それがたまたまその雑誌だったんだけど……」


一華はそこで言葉を切り、考え込む顔になった。


(……本当にたまたま……?)


一華の中で引っ掛かるものがあった。雑誌を落とし物だといって報告した「吉田」という常連客の行動が、どうも怪しいのだ。


「お前が働くお店に、俺のことを書いてる雑誌の落とし物があったって? 気持ち悪い偶然だな」


それまで冷淡だった精司が少しだけ反応した。


「いや、偶然じゃないと思う……落とし物だと言って雑誌を渡してきた人、ちょっと行動が変というか……あやしいのよ」


「あやしいって何が?」


一華はその男に見られた不審な行動について説明した。精司の中傷記事を載せた「週刊真相」を落とし物だといって自分に渡してきた男はお店に足繁く通う常連客であること、その常連客が問題の週刊誌を発行する「東洋ジャーナル」の入るビルの前でうろつくところが監視カメラに映っていたこと、この二つをつなぐと、その常連が渡してきた雑誌が落とし物というのはウソで、何か別の目的で自分に近づいた可能性があることなどを精司の耳に入れた。


「確かに落とし物というのはウソだな。一体何の目的で歌舞伎町のオフィス近辺をうろついて、その後ファミレスに来てお前に週刊誌を渡したのか」


精司はその不可解な行動がどうも引っ掛かるらしい。


「もしかしてあの人も精司のことを追跡してる雑誌の記者とか? でもそれならコソコソせず、身元を明かして堂々と私にでも何か聞いてきたりしてもいいよね」


今日のことがあるまでその常連客とは一度も口を聞いたことがない。精司のことで張り付いている雑誌記者で、自分がその恋人である情報を入手しているとしたら、とっくに接触を図っていなければおかしい。一華にはやはり、ただ食事と休憩が目的でファミレスに通う一般客にしか思えなかった。


それまで寝そべっていた精司が身を起こした。一華と向き合うと、真剣な眼差しで、


「お前が目的かもしれないな」


と言った後、噴き出した。


「何がおかしいのよ」


一華は責めるように言った。


「まあそんなダセえナンパする奴いないよな。ナンパにもなってないし。お前が目的の可能性もあるけど、俺のことを探る目的で店に出入りしてたら、俺としてはそのほうが気持ち悪い。週刊誌はクソだがあれはあれで正々堂々やってる。俺はコソコソされるのが一番嫌いなんだ」


精司はそう吐き捨てると、もう一度真剣な表情に戻って、一華にこう告げた。


「一華、その男のことちょっと調べてみろ。何者なのか、目的は何なのか、しっぽつかんでやろうぜ。暇つぶしにちょうどいい」


恋人に突然言い渡され、一華は絶句してしまった。

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