第20話「知らぬは吉田ばかりなり」
ファミレス厨房には、客席のほうで続いている先輩店員と常連客吉田の言い争いに注意を向けている鳩山一華の姿があった。
何かを探るような真剣な目つきで、表情もどことなく固い。
そこへ店長の名札をつけた背の高い男性が奥からやって来て、
「どうしたの?」
と鳩山一華に尋ねる。
「お客様から雑誌の落とし物を預かったのですが、それに対して笠木さんが納得いかないらしく、今お客様との間でもめてるようです……」
報告を受けて店長は眉間に皺を寄せ、笠木と呼ばれる店員が対応する客席を一睨みした。
「お客さんが落とし物だと言ってるんでしょ? それに何であの人が抵抗すんの? しょうがないなまったく」
店長はそう愚痴をこぼすと、面倒くさそうに厨房を飛び出していった。
鳩山一華の眉間から気がかりの色は消えない。
つい先ほど、この厨房で、こんなやり取りがあった。
鳩山一華は、客である吉田から落とし物として報告を受けた雑誌「週刊真相」を抱え、厨房に戻ってきた。
不思議なのは、そのとき、彼女が人目につかないよう雑誌を胸に抱えるようにして持ち込んできたことである。
目線や素振りも、どことなく人目を避けたい雰囲気が出ていた。
それが、あいにく先輩店員である笠木が目ざとく、「あれ? その雑誌どうしたの?」と指摘したものだから、仕方なく落とし物があったことを報告したのだった。
しかし笠木は納得しなかった。「ええ? ちょっとそれおかしくない? さっき私が片付けたとき、そんな落とし物なかったよ?」この店にパートとして働き始めて十数年、他のパート店員を束ねるリーダーに鎮座すること5年、お局様よろしく余計な首を突っ込んできた。
笠木は、先ほど吉田が着座するテーブルに注文の品を届けた際、そこに雑誌が置かれていたのを確認していた。前の客の忘れ物だというのなら、それを自分のもののように読んでいるのもおかしい。第一、それが忘れ物なら、どうしてあの時自分に報告しなかったのか。そんなふうに強い違和感を覚えた彼女は、詳しい説明を聞こうと吉田の元へ向かったわけである。そして今ちょっとした言い争いになっているのである。
吉田と笠木の間に店長が割って入り、笠木に詫びを入れさせ、店側が雑誌を忘れ物として預かるという常識的な対応で、どうやら丸く収まったところを鳩山一華は見届けた。笠木と店長が戻ってきた。
「あのお客さん絶対ウソ言ってると思いますけど」
まだブツブツ文句を言う笠木に、店長が「いいからもう、余計なもめ事起こさないでもらえますか」とたしなめる。二人の姿は、厨房奥の事務室に通じる廊下に消えていった。
「お会計お願いします」
鳩山一華が振り向くと、レジの前で伝票をかざして対応を促す吉田の姿があった。
「いや、お騒がせしました。あれ本当に自分のじゃないですけど……まあ自分がもっと早く報告してたらよかったんですけど、ちょっと気になる記事があって人のものと知りつつ読んでしまって……それが誤解を招いたみたいで、何かすみません」
吉田の弁明に、鳩山一華は「いえ、とんでもございません」と小さな声で返答した。
「あの店員さんにも申し訳ないことしたなと、あやまっといてください」
頭を下げる吉田に対し、鳩山一華は目を合わさず事務的に「ありがとうございました」とだけ述べて、レジ作業に取り掛かる姿勢を見せた。
その姿を見つめる吉田の表情は少し寂しそうだった。しかし彼はそこでどうすることもできず、くるりと背を向け、大人しく店を出て行った。
鳩山一華は顔を上げ、去って行く吉田の背中をしばらく見つめていた。
その目線はどこか白けていて、冷たい。わずかに敵意もにじんでいる。
それもそのはず、先ほどまでの落とし物をめぐる騒動、事の発端は「吉田のウソ」からはじまったことを、彼女は知っていたのである。
ここから、しばらく吉田のストーリーから離れて、鳩山一華という人物のことを語るパートに入る。
彼女は、この日ファミレス出勤前、新宿歌舞伎町にある雑誌「週刊真相」を発行する「東洋ジャーナル」を訪問していた。
東洋ジャーナルが入る商業ビルに入っていく姿を、偶然にも近くで「週刊真相」記者である河野一男と面会していた吉田が目撃した。ファミレスに通ううち店員である彼女に恋をした吉田は、本当に彼女がゴシップ雑誌を発行するオフィスに足を運んだのか、確かめたい気持ちを抑えられず、自ら持参しながら「週刊真相」をさも落とし物であるかのように装い彼女に提出し、もし表情に何かしらの反応が現れるようなら黒とみていいだろう。そんな策を弄した結果あんな騒動に発展したのであった。
吉田が最後まで気づかなかったのは、東洋ジャーナルが入居する商業ビル入り口には監視カメラが設置されていたことだ。鳩山一華の姿を目撃し、その後を追って建物に入った吉田の姿は、エントランスに設置されていた監視カメラにバッチリ映っていたのである。
このとき東洋ジャーナルオフィスの社長室では、所属記者の河野一男と、訪問者の鳩山一華がソファで対座していた。社長室には、監視カメラの映像を出力するモニター画面が設置されている。え吉田がバッチリと映る姿をモニター越しに見ていたのが、河野一男と鳩山一華である。エレベーター前でウロチョロする吉田の姿は、きれいに映し出されていた。
「……あいつ吉田って奴じゃん。何やってんだ? もしかしてつけてきた?」
河野が吉田の映るモニターをぽかんと眺めながら言う。
彼女は彼女で、画面に映し出されたのが勤務先のファミレスにちょいちょい姿を現す常連客だと気づいて、思わず「あっ」と声が出た。
その目には強く警戒の色がにじむ。
「あれ、お宅もあの男ご存じで?」
反応の様子を目ざとく見つけた河野が確認する。
彼女はそれには答えず、正面の河野に向き直り、きっぱりとこう言った。
「有末精司の記事の件で抗議に来ました。まったく根も葉もない中傷記事です。よく平気であんなウソ書けますね。撤回してもらえますか」
ヒナを守る母鳥のように、その目には強い意志と一歩も引かない真剣さが表れていた。
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