第11話「乾坤一擲の珍勝負」

吉田は日本有数の芸能プロダクション「ルビープロモーション」の本社が入る「渋谷ブルースカイビル」前に来ていた。全面ガラス張りの20階建てタワービルである。


受付で無愛想な初老の警備員に訪問先と用件を伝え、エントランスを通り、エレベーターに乗り込む。ルビープロモーション本社は最上階の20階にあった。


吉田は目的階まで昇る間、深呼吸を続け、緊張で高鳴る鼓動をなだめることに努めた。


エレベーターを降りて正面に事務所の受付があった。吉田は受付カウンターに座る女性に用向きを伝える。吉田の来訪が女性は内線電話で伝えられ、確認が済むと、通路をまっすぐ進んで一番奥の第一会議室に向かうよう促された。20階の各フロアはすべてルビープロモーションの専有らしかった。


吉田は、女性が取り次ぎをしている間、数人の事務員がデスクワークするオフィス内を眺めていた。遠巻きにスケジュール表が描き込まれたホワイトボードが見える。そこには、所属タレントの行動予定が書き込まれているはずであったが、吉田のいる場所からはとても確認できそうになかった。


(タレント歩いてないかな)


吉田は、過去透視の標的である三輪明日菜とここで遭遇する幸運を期待しながら歩いたが、通路に人影はなくひっそりしていた。両脇に並ぶいくつかの部屋は閉め切られ、中の様子は皆目わからない。ただ騒々しい会話のやり取りが聞こえる部屋もあった。


誰とも会わず、欲しい情報も得られず、面接会場である第一会議室前まで来た。


「失礼します」


挨拶をして扉を開けると、壁に沿って長机がロの字に並び、入って右奥に男性二人と女性一人が着席している姿が見えた。


「お待ちしておりました。どうぞそちらへ」


吉田は、三人の面接官と正面から向き合う席に座るよう案内された。


(遠いな……)


吉田の席から三人の面接官が座る席まで、5~6mはありそうなほど離れている。吉田は苦々しく思った。芸能記者の河野に渡すスキャンダル情報の最重要ターゲットは三輪明日菜だが、滑り止めとして考えているルビープロモーション幹部の過去情報を面接時に獲得するプランが、これでは心許ない。過去透視能力を使えば彼らの過去を丸裸にできるが、席の距離感が障害にならないか未知数で不安が残った。


「どうなされました?」


左端に座る男性社員が、落ち着かない様子の吉田を見かねて尋ねた。


「いえ、広い会議室だなあと思いまして。さすが大手プロダクションだと」


「そうですか? 普通だと思いますけど」


おかしなことを言う人だと言わんばかりの目つきで吉田を見ている。この3人の中では若輩で、年齢の割におでこが広い。


「では始めましょうか」


中央に座る五十がらみの男性が合図を出し、吉田に向かって挨拶した。


「はじめまして。本日面接を担当いたしますルビープロモーション人事部長の浅井と申します」


顔つきがいかめしく、目もギロッとして大きい。この中ではもっとも上役っぽい雰囲気が出ている。


「ようこそ吉田さん、今日という日を楽しみにしていました。私、当事務所に所属するマネージャーの指導を担当しております三枝と申します」


右端に座る40代くらいの女性が柔和な笑顔を吉田に送る。美人だが、目つきがきつく、意地悪そうな顔に見えた。


最後に左端に座るおでこが広い面接官が口を開いた。


「本日は面接にお越しいただきありがとうございます。研修事業部主任の渡瀬と申します。主に新人タレントの研修を担当しております。まずはじめに、弊社のマネージャー募集に応募頂いた志望動機をお聞かせください」


さっそくはじまった。吉田は不意を突かれたように少し驚き、必死に最初の言葉を考えた。実は三人が挨拶する間、この距離感で過去透視が使えるか気になってしょうがなく、ちょっと試みしてみようと思ってやり始めたところ、緊張と焦りと先方の挨拶情報がノイズになってまったく集中できず、何も見えない苛立ちと不安の中でいきなり話を振られて固まってしまったのだった。


「はい……あの、御社の長い歴史と芸能界における多大な功績、日本の芸能文化をリードする、革新的でファンタジックな事業内容に魅力を感じ……」


吉田は事前に丸呑みしていた、芸能事務所を面接で感動させる志望動機のChatGPT作文を記憶の中から引っ張り出し、どうにか答えることに成功した。


額から冷や汗がにじんできた。


(落ち着け落ち着け、とりあえず質問に集中しよう)


吉田はここにきて至極当たり前のことを思った。


「……ご経歴がすごいですね。ケンブリッジ大学に留学なさった経験もあるんですか」


三枝が感心しながら尋ねた。


「ええ、視野を広げるには海外を一度見たほうがいいと思いまして」


「視野を広げるためにケンブリッジに留学を……?」


三枝が腑に落ちないといった様子で尋ねる。


吉田の回答を聞いて浅井は気難しげに首をひねり、渡瀬のほうは口を軽く曲げて笑っている。


吉田は内心ムッとした。顔に出ないよう気を付けながら、何とかこんな回答をひねり出した。


「あの時は若くて、自分でも何をしたいのかわからなかったんです。それで、何かしらないけど日本を飛び出したくなって、気がついたらイギリスの名門大学の門を叩いていました。今思えば無茶だなと思いますけど、若くて怖い物しらずだったから冒険もできたと思います。でもあの時の勇気と行動が、未知の世界の扉をこじ開け、今ある自分をつくったと自負しています」


「吉田さんのケンブリッジに留学って、自分探しの旅だったんですか?」


三枝はあきれながら言った。浅井と渡瀬はもう遠慮せず声を出して笑っている。


吉田も仕方なく笑ったが、短気をこじらせヤケクソになってきた。


(もうダメだ。マネージャーはあきらめてこいつらの過去透視に専念しよう)


マネージャー採用が面接段階で絶望と判断された時、差し違える覚悟で面接官の過去を覗き見るプランへの切替を決断した吉田は、質問も半分程度に聞いて三人の過去に思いを巡らす。


(くそ、上手くいかない……やっぱりダメなのか)


やはり距離のせいか、いつもは相手の過去に思いを巡らすだけで浮かび上がる映像も、彼らの頭上に現れてこない。


質問に対する答え方もだいぶおざなりで、いい加減な態度の吉田に面接官の三人とも唖然となり、あきれ、蔑み、やがて不快な表情を隠さなくなってきた。


中央の浅井が、渡瀬に目で合図をする。それに応じるように渡瀬が「じゃあ最後に、吉田さんのほうから何か言い残したことはありますか?」と吉田に促す。それはこの無駄な時間を閉じるという先方の意思であった。


(このまま終わってたまるか)


マネージャー採用などとっくにあきらめている吉田は、最後の勝負に挑もうとしていた。


「実を言うと、私、役者の経験がありまして、最後に、私の好きな映画のシーンをここで披露させていただきます」


そう言うと吉田は無礼にも机をまたぎ、突進して、三人の面接官の眼前に立った。


「何ですかあなた!」


三枝が悲鳴を上げた。


吉田は無視して中央の浅井と向き合う。


「おい貴様、一体何考えてんだ、いい加減にしろよ」


浅井が憤怒の形相で怒鳴りけるも、吉田は意に介さない。


「吉田さん、もういいですのでご退室ください!」


渡瀬の叱責も物ともせず、吉田は目に力をこめ、顔に凄みをこしらえる。


「今私、ゴッドファーザー2でアルパチーノがシチリアマフィア相手に見せた鬼気迫る形相の真似をしていますけど、わかりますか?」


さっきから浅井の顔を凝視している吉田は、過去透視を試みていた。


果たして浮かび上がった。


トイレと更衣室に小型カメラを仕掛け、薄暗い一室で一人パソコンに映し出された映像に興奮している浅井の姿が。


「今日はどうもありがとうございました。これにて失礼します」


吉田は晴れやかな顔でそう言った。その心はすこやかな気分で満たされていた。それは限界に挑戦した者がよく見せる恍惚とした輝きで、サウナから出てきたばかりの人と見劣りしないくらいであった。実際、吉田はイイ汗もかいていた。


「気持ち悪い、変態」


立ち去ろうとする吉田の背中に、三枝の罵声が飛ぶ。


吉田は、その攻撃を振り向けるべき相手は私じゃなく隣の上司だと教えてやりたい気持ちを我慢しながら退室した。


会議室を出た吉田は、まっすぐエレベーターに向かわず、通路を途中で折れてトイレに入った。


個室にこもると、手持ちのビジネスバッグから大急ぎで変装衣装を取りだし、着替える。


(まだだ、まだ帰れない。もう少し頑張るんだ)


スーツを脱ぎ捨て、派手なアロハシャツとジーンズ、サングラスにロン毛のカツラとベタな業界人ぽいチャラ男に扮装した吉田は、次なる行動に打って出ようとしていた。

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