第8話 最後の夜明け、決戦前夜

アリスが率いる反乱軍は、着実に勢力を拡大していった。


彼女の純粋な「光」は、絶望に覆われた人々の心を照らし、王の圧政に苦しむ市民や、各地に潜伏していた元兵士たちを惹きつけた。


老医師の薬学の知識と、元騎士たちの熟練した剣術が、反乱軍の確かな力となっていた。


王都の外れにある、隠れ家と化した古い修道院。


そこには、夜の帳が降りる頃、静かな緊張感が漂っていた。


明日、反乱軍は王都へと進軍し、アゼル王との最終決戦に挑むことになっていた。


修道院の中庭で、アリスは一人、空を見上げていた。


鉛色の雲は依然として空を覆い、星の光は届かなかった。


しかし、アリスの心には、故郷の夜空を輝かせていた星々が、今も鮮やかに焼き付いていた。


「アリス……」


背後から声が聞こえ、振り返ると、カインが静かに立っていた。


彼の姿は、もう曖昧な影ではなく、一人の青年として、そこに確固たる存在感を示していた。


「明日、父と戦うのね」


アリスは、静かに言った。


「うん……そうだね」


「本当は……戦いたくない。父を傷つけたくない。ただ、もう一度、昔の父に戻ってほしいだけなの……」


アリスの瞳に、悲しみの色が滲んでいた。


カインは、何も言わずにアリスの隣に寄り添った。


言葉ではなく、ただそこにいることで、彼女の孤独を分け合おうとした。


「僕がこの世界に生まれてから、アリスが僕に『存在』をくれた。温かさも、悲しみも……すべてアリスから教わった。だから、僕はアリスの味方だ。何があってもずっと、そばにいるよ」


カインの言葉に、アリスは微笑んだ。


その笑顔は、悲しみの中に一筋の光を宿していた。


修道院の広いホールでは、反乱軍の主要メンバーが集まっていた。


老医師は薬草の入った袋を静かに確認し、元騎士団長は、地図を広げながら、部下たちに最終的な指示を出している。


彼の顔はやつれていたが、瞳には確固たる使命感が宿っていた。


「アリス様。我々の勝利は、この国全体の希望です」


元騎士団長が深く頭を下げた。


「我々は、必ず光を取り戻します」


アリスは、彼の真剣な瞳をまっすぐ見つめた。


「ありがとう。そして、みんな」


アリスは、一人ひとりの顔を見渡した。


市民たち、傷を負いながらも立ち上がった元兵士たち、そして彼女を信じてくれたすべての人々。


彼女は、少し言葉を切った後、覚悟を込めた声で言った。


「私たちは皆、無事に生きて帰って来れる保証はないわ。明日、王都の門をくぐれば、生者と死者の境は曖昧になるでしょう」


その言葉に、ホールが一瞬静まり返る。


しかし、誰1人として揺るがなかった。


彼らは毅然とした態度で、アリスの言葉を受け止めた。


「アリス様。帰りの心配はいりません。我々にとっての『帰り』とは、新しい夜明けを迎えたこの国にいることです。たとえこの身が滅びようとも、故郷と家族のために戦うのが、私たちの選んだ道です」


元騎士団長の言葉は、集まった人々の心に、不安ではなく強い決意を植え付けた。


「明日、私たちは、憎しみのためではなく、この国の民たちと未来のために剣を取ります。どうか、生きて、新しい夜明けを迎えてください」


アリスの言葉は、集まった人々の心に静かに、そして強く響いた。


彼らは、アリスの清らかな光に照らされ、最後の夜の不安を乗り越えようとしていた。


ホールには、緊張感とともに、一つの目的に向かう人々の強い絆が生まれていた。




その頃、王宮の玉座の間では、アゼルが一人、静かに酒を飲んでいた。


彼は、窓の外に広がる闇の風景をじっと見つめている。


その瞳には、かつてのような慈愛はなく、ただ虚無だけが広がっていた。


「アリシア……なぜだ……。なぜ、君は僕を置いて逝ってしまったんだ……」


アゼルは、誰もいない空間に語りかけた。


彼の背後では、漆黒の蛇の魔力がうごめき、アゼルの孤独な心に囁きかけていた。


「心配いらない。お前はもう、何も失いはしない。すべては、お前の『意思』のままに……」


その魔力は、アゼルの喪失感を餌に、彼の精神を深くまで侵食していた。


アゼルの心の奥底には、愛娘アリスへの微かな情愛と、かつての己の正義感が残っていたが、それは闇の囁きによって押し殺されていた。


彼は、愛するものを失う恐怖から逃れるため、自ら闇に身を投じたのだ。


「誰にも、僕から何も奪わせない。アリスにも……奪わせはしない」


アゼルの手にある杯が、音もなく粉々に砕け散った。


彼の決意は、もはや後戻りのできない、冷たい鋼鉄のようになっていた。



その瞬間、遠く離れた修道院でも、アリスの胸のブローチが、微かに光を放った。


それは、かつて母アリシアが身につけていたブローチだった。


アリスはブローチをぎゅっと握りしめた。


「母様……」


アリスとアゼル。


光と影に分かたれた父娘は、それぞれの想いを胸に、最後の夜を過ごした。


そして、夜が明け、太陽の光が昇り始めたその時、アリスが率いる光の反乱軍は、王都へと向けて進軍を開始した。


決戦の時は、刻一刻と迫っていた。


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