迫りくる伝説の脅威

シーン1:非常警報


城塞都市アイギスは、その日も活気に満ち溢れていた。


広場では子供たちの笑い声が響き、市場では商人たちの威勢の良い声が飛び交う。畑では農夫たちが穏やかな日差しのもとで汗を流し、職人たちは工房で自らの腕を振るっていた。


誰もが、この平和が永遠に続くものだと信じていた。


その「時」が来るまでは。


カン、カン、カン、カン——!


突如として、街で最も高い中央見張り台から、甲高い警鐘が鳴り響いた。それは、これまで一度も使われたことのない、最上級の非常事態を知らせる音。


「なんだ? 何事だ!?」


「訓練じゃないのか!?」


街中の人々が、何事かと顔を上げ、中央見張り台に視線を向ける。


見張り台の兵士が、震える指で北の空を指さし、絶叫しているのが見えた。


「——敵襲! 北の空より、超巨大な飛竜接近! これは…ま、間違いありません! 神話の魔物…エンシェントドラゴンです!!」


その声は、魔法の拡声器によって街中に響き渡った。


エンシェントドラゴン。


その単語が持つ意味を理解した瞬間、街を包んでいた平和な空気は、氷のように凍りついた。


誰もが、兵士が指さす北の空を見る。


最初は、鉛色の空に浮かぶ小さな染みのようにしか見えなかった。だが、それは恐るべき速度で近づいてくる。


やがて、その異様な巨大さが、誰の目にも明らかになった。


山のように巨大な身体。漆黒の鱗。そして、広げられた翼は、空を覆い隠すほどの威容を誇っていた。


「ひぃっ…!」


「な、なんで、あんなものが、こんな辺境に…」


「壁は…あの壁は、ドラゴンにも耐えられるのか…?」


街は、一瞬にしてパニックの渦に叩き込まれた。人々は泣き叫び、我先にと家の中へ逃げ込もうとする。彼らが絶対の信頼を置いていた純白の城壁すら、伝説の厄災を前にしては、あまりにも頼りなく見えた。


希望の街アイギスは、建国以来最大の、そして絶望的な危機に瀕していた。


シーン2:領主の決意


「——状況は?」


領主の館に設けられた作戦司令室で、アルトは冷静な声で尋ねた。彼の前には、街の防衛隊長や幹部たちが、真っ青な顔で集まっている。


「はっ! 目標、エンシェントドラゴン! 現在、街まで約10キロの地点を直進中! このままでは、あと数分で接触します!」


「住民の避難は!?」


「すでに開始していますが、パニックで遅々として進んでおりません!」


報告を聞きながら、アルトは窓の外に広がる自分の街を見つめていた。人々の悲鳴が、ここまで聞こえてくるようだ。


(僕が…僕が作った、みんなの居場所が…)


その時、作戦室の扉が勢いよく開き、リリアが駆け込んできた。彼女の顔も、不安と恐怖で青ざめている。


「アルト! ドラゴンって、本当なの…!?」


「…ああ。本当だ」


アルトは、リリアの震える肩を抱き寄せ、優しく、しかし力強く言った。


「大丈夫だ、リリア」


彼は、彼女からゆっくりと身体を離すと、司令室にいる全員を見渡して、静かに、だが揺るぎない声で宣言した。


「——僕が、出る」


「なっ…!?」


「領主様、ご自身で!? 無謀です! 相手はあのエンシェントドラゴンですよ!」


防衛隊長が必死に止めようとするが、アルトの決意は固かった。


彼は、自分の腰に差している、何の変哲もない一振りの作業用ナイフに手を置く。それは、彼が唯一、自分の「武具」として持ち続けているものだった。


「これは、僕が始めた物語だ。なら、僕が終わらせなくちゃいけない」


アルトは、リリアに向き直り、安心させるように微笑んだ。


「心配しないで。戦闘をするつもりはないんだ。ただ、少し大掛かりな『作業』が必要になっただけだよ」


彼は踵を返し、司令室を出て、城壁へと向かう。


残された者たちは、彼の言葉の意味を理解できず、ただ呆然と立ち尽くすだけだった。


「街を守るための、過去最大の作業だ」


城壁へと続く石畳の上を歩きながら、アルトは静かに呟いた。


その瞳には、恐怖も絶望もなかった。あるのはただ、自らが築き上げたものを、愛する人々を、この手で守り抜くという、鋼鉄の如き決意だけだった。


伝説の脅威が、刻一刻と迫っていた。

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