第3話 社畜も獣も麺に癒される
「正直なところ、俺もこいつがどこから来たのか分からないんだ……」
麺をずるずる啜っているキメラを見ながら、疑問が頭の中を渦巻く。
俺が目を覚ましたときには、すでにこいつがいた。
(もしかして……前の“俺”が残したペットなのか?)
だが、カリンの顔を見た瞬間、その考えは打ち消された。
彼女は俺の幼なじみで、物心ついた頃からずっと一緒に育ってきた。
もし彼女が知らない存在なら――少なくとも今日までは、こいつは存在していなかったことになる。
(じゃあ、まさか……転生ボーナス!?)
そう思ったら、なぜか胸が高鳴ってしまった。
「君の状況を考えると……」
カリンは顎に指を当て、しばし考え込む。
「この子は“心獣”なんじゃないかな。自分で目覚めさせる人も、稀にいるって聞いたことがある」
(さすが優等生……)
カリンは記憶にあるとおり、頭脳明晰で魔法の才能にも恵まれている少女だ。
この町で彼女以上に物知りなのは、一生本に埋もれている学者ぐらいだろう。
(でも……)
「心獣って、何なんだ?」
俺にはまったく分からなかった。
前の“俺”も、今の俺も、この世界のことは何一つ知らない。
結局どっちの“俺”にしたって、優等生とは言えなかったからな。
けれど、カリンはもう俺の疑問を見抜いていたらしい。説明を始めてくれる。
「心獣はね、精神世界の産物なんだ。普通は魔力薬を飲んで、召喚陣を使って呼び出すの」
そう言いながら、指でテーブルに円を描いてみせる。
俺は「おおお」と相槌を打つが、視線はつい机の上の麺に向いてしまう。
(やばい……このままじゃ、麺が伸びる……!)
「つまり心獣っていうのは、人の願いや心、感情が形になったもの。だから誰の心獣も一つとして同じじゃないのよ――」
カリンはすっかり話に夢中で、食事のことなんて完全に忘れている。
「わ、分かった! だいたい理解した! つまり、唯一無二のペットってことだろ? な、なぁ……まずはご飯にしない?」
東アジア人として、目の前で麺が冷めていくなんて――絶対に許せなかった!
「しまった、すっかり忘れてた……」
カリンはこういう子だ。学問の話になると止まらなくなる。
けれど、だからこそ彼女は頼りになる。
俺は視線を麺へと戻した。
俺にとって、この一杯は特別な料理じゃない。
だが、カリンは目にした瞬間、瞳を大きく見開き、箸を落としそうになった。
「えっ、セレン、麺が打てるの!?」
声には驚きが隠しきれない。
「こんなの、高級な料理店でしか出ない料理だよ。小麦粉自体は珍しくないけど……師匠の手ほどきなしに、この技を身につけるなんて、まず不可能だもん!」
彼女の常識では、こんな技術は家に代々伝わるか、師に長年仕えてようやく覚えるものだ。
けれど俺にとっては、ただの当たり前の日常でしかない。
(まさか……インスタント麺大国出身の俺が、麺で人を驚かせる日が来るとはな)
◇ ◇ ◇
カリンはそっと麺をつまみ、口に運んだ。
「……この味、意外とさっぱりしてるね」
ただの陽春麺。スープもラードと醤油、それに茹で汁だけ。
けれど混ざり合えば、不思議と温かみを帯びる。
「こういう麺ってさ、朝でも夜でも、すっと食べられそう」
彼女の瞳が柔らかくなる。
麺が胃に落ちた瞬間、温もりが全身に広がり、張り詰めていた胃を解きほぐしていくようだった。
(こんなふうに胃までほっとするもの……食べたの、久しぶりだな)
吐き出した息に、小麦と醤油の香りが混じる。
俺はそんな彼女の反応に、思わず満足げにうなずいた。
「たいしたもてなしじゃなくて悪いな。もう材料もほとんど残ってなくて……」
最後の麺を口に運ぼうとした時、ズボンの裾をちょんちょんと引っ張られた。
見下ろせば、小さなキメラが水色の大きな瞳でこちらを見上げている。
皿の中身は、すでにきれいに空っぽだった。
「お前……けっこう食べるな」
仕方なく、麺を数本とって皿に戻してやる。
「きゅ!」
一気に吸い込み、「ふーっ」と息をつく。
その顔は、まるで仕事帰りにソファへ崩れ落ちた俺の姿みたいだった。
(……こいつ、社畜の雰囲気まで覚えたのか?)
「そうだ、町で新鮮な食材を手に入れる場所、知ってるか? 一応食堂の店主なんだし、いつまでも店を開けないわけにはいかないからな」
カリンと小さなキメラが満ち足りた顔をしているのを見ながら、俺はそう尋ねた。
「あるよ。まだ行ったことないの?」
カリンは首をかしげ、少し思い出すように目を細める。
そういえば、この町に来てから、遊んでばかりで市場なんて一度も行ったことがなかった。
「じゃあ決まりだね。明日、私が町の市に案内してあげる」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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(みなさんも興味があれば、この麺の作り方を試してみてください。麺は中華麺でも和風のうどんでも大丈夫、かなり自由度の高い料理です。スープは前に書いたものをベースに、好みに合わせて黒胡椒や白胡椒を加えてみるといいですよ。【二つの胡椒は風味がまったく違うので、興味があればぜひ両方試してみてください】。さらに味の素や干しエビを入れるのもおすすめ。ネギを添えると相性抜群です。お肉好きならチャーシューをのせてもいいですが、僕はあまり入れません。あっさり感が失われてしまうからです。でも、目玉焼きとの相性は最高ですよ!)
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