第45話 悪役令嬢

 地上でミリアたちが創世神降臨コール・ゴッドを発動させた頃、ヴァリスは瘴気の漂う遺構内を先へと進んでいた。


 鼻腔を刺す冷たい匂い。石と金属と古い血が混ざったような湿り気。それでも足は止まらない。白の法衣の縁が、瘴気に触れるたび淡い光でさざめき、肌へ侵入しようとする冷たさを退けていた。


(法衣は効いている。呼吸も視界も問題ない)


 それにしても、とヴァリスは警戒をほどかず周囲を見渡す。


 これほど瘴気が濃いのに、ガーゴイルなど下級の妖魔の出現は確認できない。


 足音を抑え、ヴァリスは通路の継ぎ目を確かめるように進みながら、改めてレイナの行動の意味を一枚ずつめくっていった。


 父王アルスが母ミナと結婚するために、レイナの母ローラとの婚約を破棄したこと。


 レイナの父、アグレイア侯ライヴェールが語った――「レイナをアルスの子の婚約者に」と記されたローラの手紙。


 そして、ローラと共に埋葬されたはずの銀の腕輪が、異端の遺物としてベルテアでライナス・ウォルムの手に渡っていたこと。


 それらを並べた先に、婚礼の場で響いた、あの声がある。


 ---

「……モリガン。今は、わたくしはお母様と話をしています。静まりなさい」

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 レイナの口からはっきりと出たその名。古の英雄がこの遺構に封印した魔神――モリガン。いまレイナに影響を与えているのが、その同一存在であると知れた瞬間だった。


 さらにヴァリスは、このことについて交わしたフェリルの言葉を胸の中で反芻する。


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「……婚約破棄。その後の王子と、別の女性との結婚……レイナ姉様よりも、ローラ様の方が“悪役令嬢”としての条件を満たしている」

「そして、悪役令嬢の物語には、王子への意趣返しがつきもの……もし、それが終わってなかったのだとしたら……」

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“死んだ悪役令嬢”ローラが、王家への復讐を娘に託すため、王国に封印された魔神モリガンの力へ縋った――そんな物語像が、ピースのように嵌まっていく。


 魔族の瘴気は“感染”する。


 ベルテアで魔神ビブロスと対峙したときに、強い影響を受けてレイナが覚醒へ傾いたのかもしれない。


(……今回の事例と、これまでの知識を繋げれば、見える筋は一つ)


 いまレイナは、ヴァリスやミリア、フェリルたちへの想いを糧に、必死にモリガンに抗っている。


 モリガンは精神操作を得意とする魔神。その圧に、どれほどの痛みが伴っただろう。ヴァリスは無意識に唇を噛んだ。


(レイナに愛されることに甘えた。その苦痛に、気づけなかった)


 足下の石を踏む音が、ふいに軽く跳ね返ってくる。


 広間が近い――そう理解した瞬間、ヴァリスの思考が別の違和感を拾い上げた。


(……なぜ、レイナを“王太子の婚約者”にする必要があった?)


 ローラの願いは、自分を捨てたアルスと、そのきっかけとなったミナ、ひいてはアルヴェリア王家への復讐。モリガンの願いは、おそらく封印からの解放。


 ならば効率的なのは、幼いレイナへ王家への憎悪を植え付け、ライナス・ウォルムのように魔神召喚、封印解除へ誘導することだ。


 恋慕など、むしろブレーキでしかない。

 なのに彼女は婚約者という立場を通してヴァリスを愛した。それが、復讐の達成を遠ざけてさえいるのに――。


(幼い頃に共に向かった図書塔で“神代遺構”を口にしたレイナ。あれはモリガンが与えた知識。そして、事実でないのに肯定した自分……あれはモリガンの精神操作の擦り込みを受けた“認識改変”だったのかもしれない)


 かつてシルヴァ=ハルナに纏わる複合精霊アモンの覚醒の時にヴァリスは推定した。

 フェリルの中に眠るアモンが想定より早く目覚めたのは、園田優子という別の精神が宿ったためだろうと。


 同じように――


(俺自身も“坂上竜介”という別の精神が宿っていたせいで、精神汚染への抵抗が働き、影響は認識改変に留まった。ならば整合は取れる)


 ピースは次々と嵌まる。


 だからこそ最後の一片――なぜヴァリスの婚約者である必要があったのか――だけが、なおも空白のまま、胸に刺さっていた。


 * * *


「……!」


 前方、広間の奥から不快な悲鳴が反響してきた。アルスが斬った時に聞いた、あのガーゴイルの断末魔と同質の音。


 考えるより早く、ヴァリスは駆け出していた。


 石柱の林立する広間へ飛び込む。そこでヴァリスは見た。


 黒い烏の翼を大きく広げ、黒い大剣を携えた女の背。そして、その足元で塵となって消えゆく、ビブロス級の魔神の遺骸を――。


「……レイナ」


 ヴァリスが名を呼ぶと、彼女は遺骸を一瞥し、ゆっくりと振り向いた。


「ああ、ヴァリス。やっぱり来てくださったのですね」


 脳を直接撫でられるような、甘く優しい声。婚礼の夜よりも明らかに“魔力”が上乗せされている。


 法衣の護りと、書に宿るアモンの供給がなければ、意識を委ねていたかもしれない。


「邪魔なものは掃除しておきました」


 こともなげに言って、黒翼がふわりと揺れる。


 ここへ来てから――彼女にとっての“一日”ほどの時間で、遺構に巣食っていた魔族を片端から殲滅したのだろう。


「……一緒に帰ろう。レイナ。ミリアもフェリルも、君の父のアグレイア侯も待ってる」


 レイナは表情を変えず、その言葉を受け止めた。


「……いいえ、これほどの異端の力を有している……わたくしが戻ったら教国の聖戦ジハードが宣言され、アルヴェリアだけではなく、多くの騎士が、民までも傷つきます」


 ヴァリスは、思わず息を呑む。


「貴方が連れ帰るべきは、異端である、わたくしの首のみ。それですべての決着はつきます」


 教国の動向――ヴァリス自身も危惧していた現実を、レイナはいとも容易く口にした。そして、その解決策までも。


(正気だ。ローラにも、モリガンにも飲まれていない。――しかし)


 当初の作戦は、モリガンが完全に顕現しているのなら、封印の時空魔法で“網”を再構築して捕捉する、というものだった。

 だが今、レイナが抑え込み、なおかつ“死ぬ覚悟”を固めている以上、彼女を巻き込まず網を張るのは難しい。


 かといって、その意図を今ここで明かせばモリガンに逃げ道を与える。


 ヴァリスは喉の苦さを押し込み、縋るように言葉を放つ。


「レイナ! 俺の知らない誰が死のうとそんなことはどうでもいいんだ! 君さえ戻ってきてくれるなら!」


 彼女に“助けて”と言わせれば、それが隙になる。

 モリガンを表層へ引きずり出す切っ掛けへ――。


 だが、レイナは静かに嗤った。


 睫毛がわずかに伏せられ、唇だけがやさしく弧を描く。


「嗚呼、ヴァリス。わたくしは貴方のことをよく存じています。貴方は本当に強い人。多くの民の犠牲に目を瞑ってわたくしだけを助けるなんてことは出来ない」


 看破されている。ヴァリスの“演技”を、彼女は長年の恋慕で貫く。


 レイナは、ひとつ息を整え、目を閉じた。


「そして、これは、これこそが、わたくしの本当の願い。

 ミリアもいます。フェリルもいます。

 あの二人と御師様を始め、優しいアルヴェリアの方々に囲まれて、あなたは必ず幸せになる」


 その言葉は、刃のように冷たく、しかしどこまでも愛に満ちていた。


 黒い大剣が、からん、と音を立てて床に落ちた。レイナは両腕で自らを抱きしめる。黒翼が細かく震え、頬に髪が貼りつく。


「――わたくしは、この身に宿る母の呪いと魔神を道ずれにすることと引き換えに、この心は幸せに生きる貴方にとっての"疵"として一生、寄り添い続けましょう」


 ヴァリスは絶句した。

 これはレイナの本心。そして一朝一夕の願いではない。


 幼い頃から、ヴァリスの幸せを願いながら、同時に彼の心に残る疵として縛り付けたいと願ってきたのか。

 これが、取り繕いのない彼女の心なのか。


 確かに、レイナは嫉妬とは縁遠いのに、ときおりヴァリスに対する支配的な欲を覗かせた。

 その片鱗を、ここまで純度の高い告解として突きつけられるとは――。


「嗚呼、そのお顔を見たかった」


 ヴァリスの喉が、ひゅっと鳴った。

 レイナは微笑む。妖艶で、官能的で、そして痛々しい。


「――友を謀り、慕ってくれる妹を悲しませ、母の最期の願いにも、優しい父の想いにもすべてに背を向け、そして、誰よりも何よりも愛する貴方に消えない"疵"を残すことを願う……」


 黒翼がゆっくりと上下し、広間の瘴気が波打つ。


「――これほどの"悪"が他におりましょうや」


 恍惚な表情と言葉とは裏腹に、レイナの瞳から涙が溢れた。


 それは婚礼の前、ヴァリスが見た――声も立てず、瞼も閉じず、ただ真っ直ぐに零れ落ちる、不器用な泣き方と同じだった。

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