第25話 エルフの森からの使者

 天蓋の高い会議室に、夜の灯が揺れていた。国王アルスが静かに座す上座には、シルヴァ=ハルナ王から届けられた親書が広げられている。銀の封蝋印が、その真贋を証明していた。


「……以上が、オギュスト王よりの文面でございます」


 文官の結語とともに、場に重い沈黙が落ちる。そこには、前回の非礼を詫びる言葉と、再び使節を招きたい旨、そして次期国王となる王太子ミシェル自らがアルヴェリアへ赴きたいという申し出があった。


 ヴァリスは一礼し、周囲の視線を集めたまま、言葉を選ぶ。


「皆様、ご承知の通り、ローレル殿が遺した手記には、通信術式の痕跡がございました。フェリルが複合精霊アモンを継承したこと……その情報が、既にシルヴァ=ハルナ側へ伝わった可能性は高いかと存じます。その上での、急な方向転換であると私は考えております」


 慎重かつ明瞭な語りに、重臣たちは静かに頷く。


 アグレイア侯爵が卓に手を添え、静かに言葉を紡いだ。


「つまりは……戦の意志を、少なくとも今は持たぬと、そう受け取ってよろしいのでしょうな、殿下」


「はい、アグレイア侯。王太子殿下自らが訪問を申し出ている以上、和平の意思表示として見て差し支えないと私は存じます」


 重ねて幾人かの公爵、侯爵が肯定を示す。


 その中で、ロズハイム公爵が低く問いかける。


「……とはいえ、仮に影武者を遣わし、我らに隙を作らせる目的ではないと、言い切れましょうか。殿下」


 ヴァリスが答えようとした時、バルムート公爵の低い声が場を引き締めた。


「ないだろう。そもそもそこを疑う必要がない」


 軍事に精通するバルムート公爵ならではの短い断言。

 それ以上を語らずとも、その背景は明らかだった。

 ローレルによって引き起こされた問題の責任は確かにアルヴェリアにある。

 だが、もし真に戦が始まれば、有利なのはアルヴェリア側だ。

 既に国王アルスの裁可により、エヴァレット領には防衛の準備が進められている。

 持久戦に持ち込めば、こちらの被害は最小限に抑えられ、そして時間がないのはシルヴァ=ハルナ側。

 攻め手が不利な戦において、その軍事力の均衡が崩れている状況で、シルヴァ=ハルナに戦を選ぶ理由——権利と言い換えても良いだろう——はない。

 そういう理解がヴァリスの胸にもあった。


「我が国は確かに優位です。しかし、その優位を盾に相手へ過剰な圧をかけるような真似は、外交の本旨を損ねると私は考えております」


 ヴァリスは視線を巡らせながら続ける。


「そもそも今回の接触は、石灰資源やその他の問題において、精霊魔法スピリットアーツの支援を得る必要があったことが発端でした。ですから、必要以上にシルヴァ=ハルナへ負担を強いるべきではありません」


 場に静かな共感が広がった。

 だがヴァリスの胸中には、別の思いもあった。

 シルヴァ=ハルナの王太子ミシェルが、敵対の可能性もある国へ単身赴くというのは、それだけで常軌を逸した覚悟だ。

 そして、英雄や魔法使いが存在するこの世界では、単身だからといって無力とは限らない。

 個人であっても強大な力を持っていれば、何かしらの結果を出せる算段がある可能性もある。

 この場合は、先に想定したシルヴァ=ハルナ側の不利が後押しにもなりかねない。

 もちろん、そんなことはないとヴァリスは信じたい気持ちを手放さなかった。


「つきましては、ミシェル殿下とは、エヴァレット領の西方、リューイの村にて会談を行いたく存じます。中間地点を選ぶことで、誠意と用心の均衡を取ることができましょう」


 提案は静かに広がり、やがて納得の気配が場を満たした。

 アルヴェリアの側から誠意を示すこと、それは道義的に非のある立場である以上、必然であった。

 だが同時に、ヴァリスの言葉には最低限の備えを怠らぬ慎重さもにじんでいた。

 その心は、国王アルスや貴族たちにも正しく伝わったようだった。


 国王アルスが静かに問いかける。


「諸侯に異論は?」


「ございません」


 揃った返答とともに、議は決着した。


 * * *


 扉を出た先、長い石廊の陰で、二つの人影が待っていた。


「……どうだった?」


 フェリルの問いは、緊張を内に秘めていたが、声は柔らかい。ヴァリスはゆっくりと微笑んだ。


「目的地が少し近くなった。リューイという村で、王太子殿下と会うことにした」


「リューイ……じゃあ、お父様に……?」


「ああ、久しぶりに伯にも会えるだろう」


 フェリルは一瞬、表情を緩めかけ——だが、目元には小さな翳りが差した。レイナがそっとその肩に寄り添い、囁くように声をかける。


「……ふふ、フェリル。泣いたらだめよ? せっかくの可愛らしいお顔が」


「泣いてない……」


 フェリルが微笑みながら目を伏せ、ヴァリスは二人のやり取りを眺めて、息を小さく吐いた。


 信じたいという想いは、それだけで重い。だがその重みを支えるのが、覚悟という名の静かな防壁であるならば——それは王子としてではなく、一人の人間としての選択だ。


「明日の朝、出立の前にまた話そう。今夜は、ゆっくり休むといい」


 その言葉に、二人は静かに頷いた。夜の空気はわずかに和らぎ、石廊の先に広がる月明かりが、三人の影を静かに引き伸ばしていた。


 * * *


 翌朝。まだ陽が昇りきらぬ城の中庭には、出立の支度を終えた騎馬隊が列を成していた。

 馬の吐息が白く曇り、甲冑の金具がかすかに鳴る。

 緊張と静寂の混ざった空気が漂う中、ヴァリスは黒馬の手綱を取る。


「殿下、ご準備整いました」


 従者の報告に、ヴァリスは頷いた。視線を横に向ければ、レイナは既に馬上にあり、微笑を浮かべて彼を待っている。フェリルはまだ不安げに彼を見つめていたが、その瞳の奥には確かな決意も宿っていた。


「では行こう。エヴァレット辺境の村リューイへ」


 ヴァリスの声に合わせ、隊列が動き出す。

 蹄の音が石畳を叩き、城門が開かれる。冷たい朝風が三人の頬を撫で、遠い空に雲が流れていく。

 やがてアルヴェリアの王城が背後に遠ざかり、西方への道がまっすぐに続いていた。

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