2話 ◆真白明日香

◆――私は真白明日香ましろあすか。中学の頃からの幼馴染、煉にいつも振り回される。あいつは普段クールで、感情をほとんど表に出さない。でも、時々……いや、突然……楽しそうに目を輝かせる瞬間がある。そういう一面を、私はまだ理解できていない。


 今日は勇気を出して、駅前の服屋に煉を連れてきた。私に似合う服を、一緒に選んで欲しかったからだ。煉の目にどう映るかが、私にとっては何よりも大事だった。試着室の鏡を見つめながら胸が高鳴る。この服……煉、可愛いって思ってくれるかな……なんて、らしくもなく乙女モードになっていた。熱を帯びた頬を両手で触れて冷ます。ほんの少し期待を込めてカーテンを開けた――。


 「……煉、どう? って……あれ?」

 そこにいるはずの彼の姿が見えない。

 代わりに隣の試着室からざわつく声が聞こえてきた。煉の低い声に混じって、女性の笑い声。私は嫌な予感がした。

 私は試着室から身を乗り出す。カーテンは開いたままだ。

 覗き込むと――煉は知らない年上の女性と、やけに近い距離で立っていた。腰に手が……いや、布地をつまむ手の位置が……。


 「男相手なら出来るだけストレートに……こうやって見せると反応が良くなると思います」

 「あはは、君面白いねぇ」

 煉は布地を指し示し、女性の笑顔に頷く。淡々として、どこか楽しそうで。

 

 ――その瞬間、私の中で何かがブチッと切れた。

 「……ねぇ煉、何やってるの?」


 煉の顔は冷静すぎて腹立たしいほど落ち着いている。

 「あ、明日香ちょっと待って。 今、お姉さんの着替えの手伝いを――」


 呆れた。呆れはしたが、本気では怒れない。私と煉はあくまで幼馴染。だから声は半分怒り、半分はツッコミ。

 「お前、どんな役職だよ…………着替え補助係? 時給いくらだよ」

 「違うって、これは学術的興味で――」

 「……研究すんなよ 何学? おっぱい学か?」

 お姉さんは苦笑して「ちょっと落ち着いて」と言うが私の声は更に荒くなる。

 「いつまでいちゃついてんだよ てかまず私の服見ろよ! こっちが本命だろうが!」

 私は煉の腕をつかみ、試着室から引きずり出そうとした。煉はとっさにお姉さんの後ろに隠れ、芝居がかった狼狽を演じる。

 「やべ、助けてくださいお姉さん。この怖い人、追い払ってください!」

 いや隠れるな。そしてお姉さんを盾にすんな。

 私は思わずツッコミながらも、心のどこかで、この奇妙な光景に微笑んでしまう自分を感じる。怒りと困惑と、少しの期待――全てがごちゃ混ぜだ。

 「彼女さん?落ち着いて。そんなに血相変えないで」

 「……こ、こんな変態が私の彼氏なわけないだろぉぉ!!」



 ***



 「なあ、もう終わった?」

 振り返ると、煉が肩をすくめている。あの無表情。あの軽さ。結局試着室で着た服の感想は何ももらえなかった。

 「黙れよ! 終わったわ! もう服選び、煉なんかに頼まないんだから!」

 自分でも声が尖っているのが分かる。けど、ムカつくんだ。煉は困ったような顔をして、淡々と返す。

 「最初からそうしてくれって言ってるだろ」

 なんでそんな冷静でいられるの? なんでさっき初めて会った女にはあんなに親切で、私には興味示さないのか……

 「だいたい煉はもう少し褒め方を覚えた方がいいよ。そんなんじゃ彼女できないよ」

 悔しいけど、ついからかいたくなる。なのに、煉の視線は私じゃなく――さっきのお姉さんの方へ。胸が詰まる。無視されているみたいで、どうしていいか分からない。


 「お姉さん、連絡先教えてく――」

 その瞬間、気づけば私は煉の腕を掴んでいた。

 「うわっ」

 ぐいっと引き寄せて、言葉が勝手に口をついて出る。

 「……煉には勿体ないよ」

 顔を見られるのが嫌で、前だけを見て歩く。肩が熱い。声も震えていたと思う。それでも手は離せず、そのまま彼を引きずるように店を出た。怒ってるのか、泣きそうなのか、自分でも分からない。


 「明日香、その服が一番似合ってるよ」

 「だまれ」



 ***



 夕暮れの電車。窓の外が真っ赤に流れていく。

 「今日から毎日、一緒に帰ってもらうからね」

 無理やり明るく言ったのに、煉は窓の外を見たまま。

 「なんでよ……もうそろそろお互い友達できてきただろ?」

 胸が少し締めつけられる。

 「でも、仲良い人で帰りの方向同じ人、煉しかいないんだもん。煉もでしょ?」

 必死に笑顔を作るけど、返ってきたのは冷たい言葉だった。

 「帰りぐらい一人でいいよ。むしろ一人にしてくれ……お前、ほんと自己中増してきてるな」

 「そ、そうかな……?」

 分かってる。今日一日の私の行動は強引すぎたと思ってる。だがこいつに言われたくはない。

 「これから同じ学科の人と遊ぶこと増えるから、明日香に邪魔する権利はない」

 突き放す言葉に、何も返せなかった。俯いて、小さく呟く。

 「……じゃあ、たまには一緒に帰ってね」

 それしか言えなかった。夕陽に紛れてしまうくらいの声で。沈黙の中で、肩と肩が触れ合う。わざとじゃないのに、少しだけ近づいていた。



 ホームに立つ頃には、煉への怒りも少し収まり、私は純粋な疑問として煉に問いかけた。

 「怒らないからさ、教えてよ。普通にどういう流れであの人とあんな状況になったの?」

 煉があんなに一瞬で人と仲良くなれるなんて正直驚きだった。しかもあんなセクハラまがいのことが許されるなんて……

 「あ、明日香も知りたい? 一瞬でお姉さんと距離を縮められた訳……でも無理だな。悪用されたら困る」

 いやいや、あんたのは悪用と言わないのか?

 「私は使わねぇよ? 煉と一緒にすんな」

 拳骨で小突くと、「いたっ」と小さく呻く。

 「……煉って、やっぱ女の人のこと胸で見てんのかよ」

 「胸? 違うよ」

 即答。しかも真顔。

 「お尻の方が大事だよ。安産できるかどうか、見ないと……いでっ!」

 私の握り拳が迷わず飛んだ。

 「ほんと最低だな、お前」

 私が呆れて吐き捨てると、煉は首を傾げて真面目な顔をする。

 「俺が最低だと思う? まだまだ感性が子供だな。知ってたけど」

 「……いや効いてんのかよ」

 煉の口角がわずかに上がる。けれどそれは楽しげというより、どこか別の感情にひきつっているように見えた。

 そして次の瞬間――煉は吐息混じりに呟いた。冗談にしては声が低すぎて、笑いも混じっていなくて。ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。



 「……さっきの人、気持ちよかったなぁ……」


 「…………え?」

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