第5話

婚約破棄されたことで、王子妃教育は「事態が落ち着くまで一旦中止」となった。

もちろん、私がそう願い出たのだ。

魔法の特訓のことは誰にも話していない。


けれどお父様は、私が王子妃教育をやめたいと言うと、

「今は無理に続けなくていい」と、あっさり頷いてくれた。

――本当は、私の気持ちを察してくれたんだろう。


週明け、学園へ行くと、私とレオンハルト殿下の婚約破棄の噂はすでに広まっていた。

学園には大臣や有力貴族の娘たちが多く通っている。

きっと、どこかから漏れたのだろう。


最近まで、私の周りには「未来の王子妃」に取り入ろうとする女子生徒が群がっていたのに、

今はまるで蜘蛛の子を散らすように姿を消した。

その代わり、遠巻きに私を見ては、ひそひそと囁き合う。


(……別に、寂しくなんてない)

(どうせ、みんな最初から私のことなんて好きじゃなかった)


そう思おうとするけれど、胸の奥がひりひりする。


「欲深い女」「王家を滅ぼす悪女」「傲慢な女」――

レオンハルトの贈り物が豪奢になってから、陰でそう言われるようになった。


学園で起きる些細ないじめの噂も、

「セレナ様の指示だ」「取り巻きがやったに違いない」と、

まるで決めつけるように囁かれていった。


レオンハルトもカイルも学園を卒業してしまった後だったから、

否定してくれる人は誰もいなかった。

気が付けば、私は友人と呼べる人は1人もいなくなっていた。


卒業すればレオンハルトの隣に行ける、それまで耐えればいい――

そう信じていたからこそ、今の現実はひどく堪えた。


ひとりで昼食をとり、ひとりで教室を移動し、

休み時間は陰口を聞き流しながら過ごす。

喉の奥がつんと痛んで、涙が出そうになる。


「……泣かない、泣かない」

小さく呟いて、拳をぎゅっと握る。


落ち込んでいる暇なんてない。

婚約破棄されたことは悲しい。

噂や視線に晒されるのは苦しい。

それでも、今はそれよりも大事なことがある。


――レオンハルトを助けなくちゃ。


深呼吸をして、気持ちを立て直す。


学園での授業を終えた私は、屋敷に戻るとすぐに制服のまま森へ向かった。

西の空は茜色に染まり始め、森の中は薄暗く、虫の声が響く。

けれど、怖いとは思わなかった。


(魔法を使えるようになりたい――)


胸の奥に小さな炎が灯るような感覚を抱きながら、

私は草木をかき分け、マルグリットの小屋へと歩みを進めた。


ドアを叩くと、奥から「入れ」と短い声。


小屋の中では、マルグリットさんが机に向かって座っていた。

机の上には分厚い本がいくつも積まれていて、まるで学者の研究室みたいだ。


「今日はこれを読んでもらう」


差し出されたのは、羊皮紙でできた重たい本だった。


「え、座学!? 魔法を教えてくれるんじゃないの?」


思わず声が大きくなる。

するとマルグリットさんは、深いため息をついた。


「これも立派な魔法の修行だ。

お前は魔法について、何も知らないのだろう?」


「でも、私……早く魔法を使えるようにならないと」


「何も知らずに魔法を使おうとするのは、自分も他人も滅ぼす行為だ」

マルグリットさんの声がぴしゃりと響く。


「魔力が暴走すれば、自分の体を壊す。

場合によっては、周りの森ごと吹き飛ばしかねない。

お前はレオンハルトさえ救えれば、他はどうなってもいいのか?」


「そ、そんなこと思ってません!」


「なら学べ」

冷たい声に、私の言葉は止まった。


「レオンハルトを救う魔法を身につけるためには、

基礎を飛ばすことはできない。他の魔法も通らねばならない」


それは、いきなり目的の魔法だけを覚えるのは無理、ということだ。

私は唇をかみしめ、こくりとうなずいた。


「……わかりました」


マルグリットさんは満足そうに頷くと、本を指さした。


「魔法は、使う者が危険を知り、理解して使ってこそ真価を発揮する。

何も知らぬ者には扱わせない――それが私の流儀だ」


講義は思ったよりも難しかった。


魔法を生み出す力――魔力――は、

自分の中と、空気や草木など自然界の中に宿っていること。


属性は「地・水・火・風・雷・氷・光・闇」の8つがあり、

魔法を使うときは、自分と自然の魔力を集めて濃くし、形にして放つこと。


闇属性は魔王や魔族にしか扱えず、

私が学ぶべきは光属性――ただし、光の魔法を使えるようになるには、

他の属性の魔法を一通り習得しなければならないらしい。


「魔力量は人それぞれだ。

足りない者が無理をすれば倒れるし、下手をすれば死ぬ」


マルグリットさんは本を閉じ、私をじっと見た。


「今日は魔力量を測るところから始める。

お前の限界を知るのが先だ」


そう言って、彼女はまたあのガラス玉を取り出した。


(……あの日みたいに、光るかな)


少し緊張しながら、私は両手で玉を包み込んだ。

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