第三話 スタッフ爆弾⑤
僕とニシが何のことだがわからず竦む中、四方香苗は気丈に振る舞った。
「――何のことですか?」
「二時限目のことよ。仁志君から話は聞いたわ。……貴女、随分と落ち着きがなかったようね」
四方香苗はニシをはっきりと睨みつけた。余計なことを言いやがって。そう言いたいであろうことが十分伝わった。なんてことはない。ニシはお人好しなのだ。
「何でもありませんよ」
「そうかしら? 何でもない人が試験中ずっとそわそわなんかしているかしら?」
「私は、そわそわなんか、してません」
「ふぅん……」
喜多の瞳に妖しい光がよぎった。
「そう……、案外小心者なんだね。自分の動揺にも気付けない。していないと思っているんだから」
四方香苗は目をひん剥いた。口を開く。目の前の敵を言い負かすための一言は飛びかけていた。だが、それよりも早く喜多は言い放っている。
「その下のポケットに入っているものを見せてくれないかしら?」
「……っ」
ぴたりと、彼女は押し黙った。喜多はいっそ愉しそうだった。ここぞとばかり、彼女は言い募る。どうして見せないの? なんてことのないはずでしょう? それとも見せられないの?
「……ハンカチです。それでいいでしょう?」
「違うでしょう? 仕方ないわね。私が当ててあげましょうか?」
間が開いて。
「――
四方香苗がそわそわしていた理由。それは入試によるトラウマでもなければ、ましてや地震によるショックでもない。彼女のポケットにある携帯にあった。ニシの人物評は当たっていた。悪い意味で、よく当たった。彼女の面はずっと厚かった。
「おそらく、最初の原因は昼休みの時間帯に弄っていた携帯をそのままポケットに入れっぱなしにしていたことでしょう? 貴女は試験が始まるその瞬間まで、その存在に気付けなかった」
入試監督及び監督補助は試験教室に携帯を持ち込むことを禁じられている。
その理由は、受験生が試験中に電子機器の利用を禁じているからだ。受験生はその間、電子機器の電源を切り、机に出してはいけない。もっと正確に言うならば、その姿を認識されてはいけない。――このルールに則り、受験生が守らなければならないことをM大学側が守るのは当然だ、という理屈に繋がる。
電子機器の利用は不正行為と見なされる。これが受験生への捉え方だ。だが、スタッフは異なる。ルールを出した側の方がルールを破るのだ。
ある種の禁忌とも言えた。
四方香苗の表情は真っ青だった。その反応で喜多の推理が当たったのだと理解する。
「貴女にとって、二つの不幸があった」
一つ目、携帯の電源を切り忘れていたということ。四方香苗の場合、マナーモードですらなかった。通知が来れば音が鳴る。その状況下で試験をやり過ごさなければならなくなった。
ニシの言った、そわそわの原因はそれだった。彼女はある意味、爆弾を背負っていた。
「もう一つが――、地震でしょう?」
地震……? 僕は一瞬、意図が見えなかった。遅れて、霧が晴れたように四方香苗の奇行の正体が見えた。
「
「比嘉君、正解」
四方香苗が一際挙動不審となった原因、それは地震によって起きる携帯の反応だった。危険な地震と判断された瞬間、携帯は緊急地震速報を鳴らす。音が鳴るのだ。
まさに危機一髪だっただろう。鳴らなかったのは奇跡としか言いようがない。
「けど、どうしてわかったんですか?」
僕は思わず尋ねてしまう。これまでの材料だけでどうやって辿り着けるというのか。黙り込む四方香苗に視線を向けながら喜多は答える。
「四方さんが化粧室に行こうとしたタイミングだよ。最初、わたし達はトラウマ説を疑った。トラウマ説であれば一時限目の段階で挙動不審になっている可能性が高いから線は薄い」
「でも、地震説が……」
「そう。その可能性はあった。けど、四方さんが化粧室に行こうとしたのは地震よりも前だった。その時点で、わたしは他の可能性が見えた」
四方香苗はどうしても教室に出なければならない事情があった。それは長時間ではない。受験生を化粧室に案内し、待機するまでの時間。彼女はたったそれだけの時間を望んだ。
短時間で済む作業とは何か。そこから喜多は推測した。
「携帯の電源を切る時間さえあれば良かったのね」
「……知りません」
四方香苗は強情だった。突きつけられた推理から目を逸らす。
「なら、ポケットの中身を見せなさい。それで貴女の疑いは晴れるわ」
「なんで見せないといけないんですか?」
「……貴女、私の話聞いてたかしら?」
「知りません」
話にならない。四方香苗のプライドの塊に僕は苛立ちを覚えた。停滞する空気の中、その空気を読むことなく声を出したのはニシだった。
「それにしてもキタさん。四方さんはなんで今も携帯を持っていると思うんです? 普通は懲りるもんでしょ?」
「この
これぐらいなら大丈夫だろう。あの時も問題なかった。地震の時だって問題なかった。そんな判断基準が崩されていく。彼女は確かにリスクに快感を覚えていたのだ。
「次こそ鳴るよ。鳴った時、貴女はどうするの? どう責任を取るつもりなの?」
「――責任?」
足元に視線を落としていた彼女が顔を上げた。そこに侮蔑の視線がある。ハッと鼻で笑った。
「この場所に、どこに責任があるっていうの? 底辺大学の試験を受けている時点で、終わっているじゃない。わたし達が何で責任を取る必要があるの? 本気でする必要、ある?」
「論点が違うわ」
喜多はばっさりと斬り捨てる。
「貴女のそれ、最近だと学歴コンプレックスというそうね。大学は学歴で選ぶ場所ではないわ。自分のしたいことを合わせて選ぶものよ」
「そういう綺麗事はいいんですけど。社会はそうじゃないって。学歴社会であることには変わらないし。それぐらいも知らないんですか?」
「そういう貴女は、どれくらい社会のことを知っているのかしら?」
僕は背筋に冷たいものを感じた。喜多の声音がそうさせていた。彼女は怒っている。今、目の前の女に対して。
四方香苗の表情は強張っていた。だが、退くつもりもないようだった。
「社会はね、変わってるのよ。私達が知らない間にも、良い意味でも悪い意味でも変わり続けている。二十年後、三十年後の世界では、貴女の言う良い大学が良いと言われ続けているとは限らない。このM大学だってそうなのよ。仮に貴女が良い大学に入れたとして、三十年後の貴女は底辺大学と罵られているかもしれない」
誰にもわからないのよ――。喜多は四方香苗を見抜いていた。
「だから、私から言えるのはたった一つだけ。貴女のコンプレックスを、他人にぶつけるのはよしなさい。ここに、その感情は相応しくない」
四方香苗の視線は震えていた。時刻、十四時十分。四方香苗は小さく息を吐き、ポケットから携帯を取り出した。
◇
牧田先生の背中を見ながら、僕と喜多は教室に向かっていた。三時限目は多教科のため、問題用紙の厚さがこれまでの倍近くある。腕の筋肉は悲鳴を上げている。
僕は四方香苗について考えた。あの後、彼女は携帯を置いて、ニシとともに試験へ向かった。僕達もまた、遅れて歩き始めている。
喜多は暫くの間口を開かなかった。重々しい空気が流れている。あの時、四方香苗に言葉を投げかけた時。僕には喜多が言葉以上の想いを抱えているような気がした。悲痛な訴えに思えた。
「あの、喜多さん――」
「妹はね」
唐突に喜多は口を開いた。
「妹が今年、M大学より上の大学を受ける予定だったんだ」
四方香苗と一緒だったよ。あの娘は、M大学を蔑んでいた。よく嗤っていたよ。
彼女が訴えていたのは四方香苗ではなかった。彼女から見えた、もう一人の死者に向けてのものだった。
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