木枯らし

 夏休みが終わり、早速彼に会って話した。公園のベンチに彼は座っていた。

「どういう意味ですか・・・・!」

「・・・・さあ・・・・?」

 目の前の美青年は相変わらず笑っていた。

「さあって・・・・! あなたのせいで親友がおかしくなってしまったんですよ!」

「おかしくなるって・・?」

 目を細めた。

「何って・・・・突然押し倒したり・・・・」

「ぷ、あはははははは!」

 突然、低い高笑いが響いた。僕は訳が分からなかった。

「はははは・・・・そんなに・・・・! こりゃあ重症だ・・・・!」

「っ・・・・何がおかしいんですか!」

「師、まだ気づいていないんですか・・?」

 声が止んで、いつものうつくしい微笑に戻った。足を左右組み替えて、腕を組んで顎を指に置く。

「何を・・・・」

 立ち上がって、僕に近づいた。至近距離で見下ろされている。

「それなら僕が、宗也さんの代わりを務めてもいいんですよ」

「・・・・っ」

 僕は一気に後退りした。彼はもう一度ベンチに座り直す。両腕を広げて背もたれに乗せた。

「ああ、宗也さんの名誉のためにも言っておきますね。・・・・僕から彼に接触したんですよ」

「それって・・・・」

「ええ。あの夜、あの人が師を家まで送った後、一人になったところをね。最初は、君の病状が心配だからどうすればいいか教えて欲しいって、言ったんですよ。それで、何かあったらって、連絡先だけもらったんです」

「・・・・・・」

「最初は僕ばっかりが君の話を聞くために連絡していたけれど・・・・次第にね・・・・大学での君の様子が知りたいって、あっちから話しかけるようになって・・・・」

「騙したんですね・・・・!」

「騙してなんかいませんよ・・・・。僕は今まで彼に対して事実しか言ってこなかった。でも・・・・その事実が・・・・彼を狂わせたみたいですねえ・・・・」

 悪趣味な薄ら笑いを見せる。僕は肩にかかった鞄のベルトを力強く握り締めた。

「・・・・僕のせいだって言うんですか・・・・」

「ああ・・」

 真顔になった。

「そうかも」

 首を右に傾けて笑った。彼が立ち上がって、公園を出ようとした。僕の横をすれ違おうとして、一瞬立ち止まった。

「彼を苦しませたくなかったら・・・・考えてくださいね・・・・?」

 こんなの・・・・! こんなのって・・・・! 僕は眉を歪ませながら、去っていく彼の背中を見ていた。

「どうしよう・・・・」

 僕は彼が座っていたベンチに力無く座り込んで、頭を抱えるように項垂れるのだった。


 宗ちゃんとはあの盆以降会っていない、連絡も取っていない。秋の学祭、僕は黒野くんと一緒にキャンパスを回っていた。

「美幸さんが選んでくれた服、バイト先で褒めてもらいました!」

「そうなんですね・・! よかった」

 さっき買った、チュロスを二人で頬張る。

「宗也さんたちは最近どうなんですか?」

「え・・・・ああ・・・」

 僕は咀嚼を停止させて、答えあぐねていた。

「わ・・・・わからないです・・・・」

「・・・・何かあったんですか・・・・?」

 勘の鋭い子だなあと思った。心配そうに眉を下げる。

「ああ・・・・忙しくて・・・・最近連絡が取れていなくて・・・・へへ・・・・」

「ご近所なのに・・・・?」

「へ・・・・? ああ・・・・実は・・・・喧嘩してしまって・・・・」

「宗也さんと師さんが・・・・!? あんなに仲が良いのにどうして・・・・?」

 切れ長の、目尻の下がった大きな瞳を見開かせた。

「・・・・僕のせいなんです・・・・」

 僕は少し俯いた。

「僕・・・・少し・・・・いや、結構・・・・彼の期待を裏切っちゃったみたいで・・・・」

「期待・・・・ですか・・・・?」

「ええ・・・・彼は・・・・僕が無理して人を助けることを・・・・やめて欲しいって思っているんです」

「・・・・どうして・・・・?」

 彼は僕に肩を寄せた。

「実は僕・・・・昔・・・・友達を助けるために、生死を彷徨ったことがあって・・・・。宗ちゃんはずっとそれがトラウマなんです・・・・」

 ぽつりぽつりと、黒野くんには言っていなかった過去の話を話した。虐待されていた友達と心中未遂をしたこと、それから居場所をなくして引きこもったこと。

「そんなことが・・・・」

 彼は食べかけのチュロスを持ったまま、僕を見つめた。

「師さんは本当に優しい人なんですね・・・・」

 ふわりと優しい笑顔を見せた。宗ちゃんみたいだ。

「・・・・正直、宗也さんの気持ちもわかりますよ・・・・。だって、幼馴染で親友のあなたが自分を犠牲にしているなんて・・・・。それで・・・・また失ってしまったら・・・・どんなに恐ろしいことか・・・・ぼくだって・・・・」

 彼は俯いて少し唇を噛んだ。

「僕は・・・・宗ちゃんにはたくさん感謝しています・・・・。でも・・・・どうしても・・・・一人の人を、放って置けなくて・・・・やっぱり・・・・駄目なんでしょうか・・・・」

 年下の黒野くんに対して情けないなあと、自分で自分を恥じた。

「だけれど・・・・ぼくは師さんの助けがなかったら・・・・宗也さんたちに出会えませんでした・・・・。ぼく・・・・感謝しています・・! だから・・・・師さんも、助けてばかりじゃなくて、たくさん人を頼ってください・・! ぼくも相談に乗ります・・!」

「でも・・・・」

「遠慮ばっかりしちゃあいけません! 僕に頼って良いって言ってくれたのは、あなたじゃないですか! ぼくも師さんの助けになりたいんです・・!」

 きらきらした瞳だった。僕は胸を打たれた気がした。

「・・・・ありがとうございます・・・・黒野くん・・・・じゃあ早速、抱きしめてもらっても良いですか・・?」

「ええ! もちろんです」

 チュロスを持ったままの僕らは向かい合って優しくハグをした。


 黒野くんとはシフトで別れた後、人気のないキャンパスの裏を散策していた。銀杏がたくさん落ちている。寒い秋の風で、落ち葉が巻き上げられる。暖かいほうじ茶を買っておいてよかった。手がとても冷たい。イチョウの木の下で、黒のチェスターコートが静かに佇んでいた。

「・・・・勝くん」

「ああ、偶然」

 うつくしい微笑を見せた。

「師も来ると思ってましたよ。うるさいところはお互い苦手ですものね」

「・・・・そうですけど・・・・」

 僕は眉を顰めた。

「それで・・・・、結論は出せたんですか」

「何の・・」

「何のって、宗也さんのことですよ」

「それは・・・・わかりません・・・・」

 僕は自信を無くし俯いた。

「なるほど・・・・では聞きます。君は彼にどうなって欲しいんですか」

「僕は・・・・宗ちゃんには・・・・僕を気にしないで生きてほしい・・・・。もう僕を・・・・これ以上助けようとしないでほしい・・・・」

「なるほど」

「でも僕は・・・・つい彼に頼ってしまって・・・・。いつか依存してしまうのが怖いんです・・・・僕が彼を縛り続けるのは・・・・もう嫌だから・・・・」

 言いながら僕はだんだん苦しくなってきた。胸を押さえて唇を噛む。

「ならば、頼る先を変えたら良いんじゃないですか」

「・・・・え」

 点滅する視界に、大柄な彼が近づいてくる。

「僕なら、宗也さんの負担を減らせるかもしれない」

 手が震えだす。足に力を込められなくなってきた。彼が手を差し伸べた。

「僕に頼ってくださいよ。僕なら、宗也さんの次に君のことをよくわかっているつもりです」

 震える手からほうじ茶の紙コップが落ちた。視界がひっくり返る。僕は奇妙な叫び声を上げて倒れた。それ以降は記憶がない。


 目が覚めると、救護室だった。傍には勝くんが座っていた。

「起きましたか」

「あれ・・・・僕は・・・・」

「てんかん発作だそうです。最後になったのは数年前だそうで、前に宗也さんから聞きました」

 僕は飛び込むように彼の手を両手で握った。もう駄目なんだと思った。

「・・・・助けてくれませんか・・・・。勝くん・・・・」

「・・・・・・」

 ぐにゃりと、彼の目が静かに歪む。

「ええ・・・・もちろんです」

 僕の手に彼の蜘蛛のような右手が重なった。


 それ以降、僕は勝くんと二人きりになることが多くなった。大学でもよく会うし、彼の家にもよく上がり込むようになった。宗ちゃんとは未だに連絡を取れていないままだ。

「寒くなりましたねえ・・・・」

 二人で駅までの道を歩いている。あれ以降、何かと駅まで送ってくれることが増えた。

「そうですね・・・・」

「最近、体調は? 流行り病も出てくる頃ですし」

「ええ、順調ですよ。予防接種も打ちましたし」

「そうですか、ならよかった」

 低い声で微笑む。

「クリスマス、また一緒にどこか行きませんか?」

 こちらを向いた。

「・・・・怖いのは無しですよ・・・・?」

「ふふ・・・・どうでしょう・・・・」

 薄ら笑いをして目を閉じた。

「・・・・勝くんは相変わらずの意地悪ですね・・・・」

 僕は眉を顰めた。

「良いんですよ。別に、後で宗也さんに泣きついたって」

「・・・・・・」

 僕は少し俯いた。

「・・・・もう・・・・泣きつけないですよ・・・・」

「そんなこと、ないんじゃあないですか?」

「え・・・・」

「師」

 駅の方から聞き慣れた声が聞こえた。

「宗ちゃん・・・・?」

 振り返ると、黒縁メガネの幼馴染が手を振っていた。

「な・・・・なんで・・・・!?」

「僕が連絡したんです」

「師、ごめんな。あの時はつい焦って・・・・お前の気持ちを考えていなかった」

 僕の手を取って優しい笑みを向ける。僕はひどく戸惑った。

「え・・・・僕は・・・・負担を減らしたいって・・・・」

「ええ、負担を減らすという観点では、間違っていないはずでは?」

「師、聞いたんだ。お前の病状が悪化してるって。だから、二人で協力しようって、勝に話したんだよ」

「・・・・ど・・・・どういう意味・・・・?」

「役割分担です」

 隣の笑顔と目の前の笑顔を見て、僕は唖然とした。

 宗ちゃんと二人で電車に乗った。

「ど・・・・どうしてわざわざ・・・・来てくれたの・・・・」

「勝の口から伝えるより、俺が言ったほうがいいと思って」

 勝って・・・・いつからそんなに仲良くなったのだろうか。

「でも、本当にあの時はごめん。いきなり触ろうとしたりして・・・・」

 眼鏡の先は真剣な眼差しであった。

「い・・・・いや・・全然いいよ・・・・。僕の病気のためにそうしたんでしょう・・・・」

「・・・・・・病気のため・・・・・・」

 彼が一瞬固まった。

「・・・・?」

「あ・・・・ああ、そうだな・・・・」

 目を逸らして正面に向き直った。

「こんな時間に来てくれて大丈夫だったの・・? 仕事とか・・・・」

「ああ、大丈夫。最近はあんまり忙しくしないようにしてる。・・・・俺、気付いたんだよ・・他人を助けるの、向いてないなって・・・・。だから、見ず知らずの人に気を配るより・・近くの人を優先したいって思ったんだ・・・・。お前の父さんのようにはなれなかったよ・・・・憧れてたんだけどなあ・・・・」

 俯いて苦笑した。膝に置かれた彼の拳に手を置いた。

「・・・・それで宗ちゃんが生きやすくなるなら・・・・十分だよ・・・・」

 こちらを向いて彼が眉を下げた。

「でも・・・・本当なんだ・・・・、お前のヒーローになりたかったのは・・・・。お前だけは誰よりも優先したい・・・・。俺・・・・お前の為に生きたいんだ・・・・」

「そんな・・・・プロポーズみたいな言い方・・・・」

 僕の肩が少し強張った。


 師たちが去った後の駅を出ていって、帰路についた。咲宗也。彼もなかなかやるみたいだ。あのまま黙って退場するのかと思ったら、協力関係を持ちかけてくるなんて・・・・よほど焦っているんだなあ・・・・。僕は歩いているうちに楽しくなってきた。賢い人形と遊ぶのは好きだ。これなら、奪い合いをするよりも、もっといい方法があるんじゃないか。二人同時に捕食者がいたっていいだろう。ああ! 師が可哀想! 親友に裏切られていることをまだ知らないんだ。僕は冬前の冷たい風に吹かれながらも、恍惚で体が熱くなっているのを感じていた。二人から同時に喰われてしまうなんて、いったいどんな気持ちなんだろうか。引き裂かれてしまったらどうしよう。それもまたいいなあ。不意に携帯が震えるのを感じた。父親からだった。

「こんばんは。お父さん」

”勝。元気してるか・・?”

「ええ、もちろん」

”今度の休み、また家に来てくれないか・・? 知り合いからいいお酒を貰ってね”

「それは・・・・面白そうだね・・・・」

”じゃあまたいつもの時間に”

「ええ、また」

 通話を切った。母の手紙はまだしまってある。遥か昔に別居になって再開した父とは順調である。たまに会っては出かけたり、話したり、失われた時間を取り戻すように、少しずつ距離感というものがわかってきた気がした。今では敬語も抜けている。母に対してはずっと敬語のままなのに。

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