レディオジャンパー 〜共鳴跳躍者〜

みつつきつきまる

第1話

「そっちに行ったぞ!逃すな!」


 闇夜の静寂を鋭い声が切り裂く。大勢の足音が響き渡る。


 静寂になればあいつは現れる。静寂が深い程、あいつは自由になる。ここ最近王国でしきりに流れている、そんな噂。


 王都警備兵のジーク・レオナルドはそんな噂は信じていなかった。静寂だろうが何だろうが、警備兵の探索から逃れる術はない、と思い込んでいた。王都警備兵は優秀だ。単独でも魔王討伐が可能な能力を備えた、エリートで組織されている。その王都警備兵がこれまで取り逃した被疑者はゼロだ。ゼロだった。


 ジークは魔王討伐のパーティの一員として活動していた時期もあった。惜しくも魔王討伐とはいかなかったが、最後の一人になりながら魔王に深手を負わせた事を評価され、王都警備兵へと誘われのだ。そんな手練れ達がごろごろいる。


 そんな王都警備兵が手玉にとられている。セオドール王国全体に魔力を供給する魔王炉の核として稼働しているファントムが盗まれ、犯人は未だに捕まっていない。先日北の魔王炉のファントムが盗まれ、今日北東の魔王炉のファントムが犯人の手の中にある。


 国王が鎮座する城郭のほど近く、住宅街と言える区画をジークは駆けていた。この先は袋小路になっているはずだ。逃げ場は無い。


 キーン・・・


 甲高い音が響いた。小さいが、澄んだ、囁くような音。


「ここか!」


 飛び込んだ袋小路には人の姿は無かった。人どころかネズミ一匹いない。


 それを確認した後、ジークは背後に気配を感じた。重苦しい、そんな気配。


 振り向くとそこには人影があった。フードを目深に被り、その顔は確認出来ない。その人影は、訓練された警備兵に気づかれる事なく、背後に回り込んでいた。


「この、いつの間に」


 ジークは言うが、


 キーン・・・ 


 瞬きをしている間に、その人影は消えた。周囲を見回すも、どこにもその姿は無い。


 夢を見ているのか?ジークの心にそんな考えが虚来する。しかし、王国のファントムが盗まれたのは間違い無い。犯人がどこかにいるはずだ。


 キーン・・・


 再びあの音。ジークは音を頼りに犯人を探した。


「こっちにいるぞ!」


 先輩警備兵の声。2ブロック程先か。いつの間にそこまで逃げたのか。


 声の方まで走る。


 キーン・・・


 再びあの音。それが響いたとき、あの人影は突如ジークの目の前に現れた。


 亡霊のように現れたその人影に、思わず切り掛かる。


 キーン・・・


 あの音が響くと、一瞬にしてその人影は剣撃の場所にはいなかった。いつの間にかジークの背後に回り込んでいる。


「このっ」


 振り向きざまに剣を横に薙ぐ。


 キーン・・・


 剣は人影を捉える事無く、虚空を切り裂いた。


 人影は背後に立っていた。まるで最初からそこにいたような空気で。


 ジークはゆっくりと振り向く。どうやら、攻撃はほぼ意味をなさないらしい。人影を観察する。


 先程確認したように、魔術師が着るような黒いローブに身を包んでいる。頭からフードを目深にかぶり、その顔は確認出来ない。身長は高くもなく低くもない。鍛えられた警備兵の中に入ってしまえば、小柄な部類に入るだろう。それ以外は何も感じない。存在感すら消してしまったかのように、ただの虚空がそこにあるようにすら感じられる。それこそ、ただの影なのではないかと思うほどだ。そして限りなく透明に近い赤いキューブを手にしている。


 その人影は身じろぎひとつせず、ジークの事を見ていた。見ているように思えた。


「貴様・・・なぜファントムを狙う」


 ジークは尋ねる。答えを期待していたのではない。この人影の動きを見る限り、まともな攻撃が通用しそうにない。油断を誘う意味での言葉。


 人影はしばらく何も語らなかった。数分と言える時間、静寂が流れた。


 人影は懐から白濁したキューブを取り出す。一辺が五センチメートル程の、ぼんやり光るキューブ。王都の全てを支える、ファントム。こうして見ると、もう一つのキューブと大きさは同じようだが、色が違う。


 魔王の体内で生成される、魂の結晶。


 人影はファントムをジークに向ける。


「貴殿は、従うべき主はおるか?」


 ふいに人影から声、無機質な、頭に直接届くような、地の底から響くような、そんな声。


「従うべき主だと?もちろん、セオドール国王を、命に替えても守るつもりだ」


 ジークの決意を人影は理解したようだった。


「ならば、私の行動も理解出来るはずだ」


 キーン・・・


 音が響く。人影は瞬間的に消えた。しかし、ジークはその瞬間を見ていた。人影が手にした赤いキューブを指で弾いた時、あの音が鳴った。その瞬間に、人影は消えたのだ。あのキューブが、この現象に作用している。


 人影が角に消えていくのが見えた。


「こっちだ!」


 再び声がする。まるで、王都警備兵を弄んでいるかのようだ。


 ジークもそれに合流する。弄ばれていたとしても、王国を守るためには犯人を追いかけなければならない。


 追いかけているのは警備兵数十人。これだけいれば、本来なら逃げる事など出来るはずがない。


 キーン・・・


 音が響き、ふいに人影はジーク達の目の前に現れた。


 一人が大剣で切り掛かる。


 キーン・・・


 再び音がすると、そこには人影はもうない。剣を振り下ろした者の背後にいる。


「くそっ」


 別の兵が切りかかるが、人影は仲間の背後にぴたりとついているため、躊躇いが生まれて剣は空を切った。


 キーン・・・


 次に現れたのは、警備兵の真ん中。ふいに現れた人影に、数人が思わす切り掛かってしまう。


「まずい!」


 キーン・・・


 ニックが声を上げるのも虚しく、人影は姿を消した。そして振り上げられた剣は人影でなく、別の警備兵二人を切り付けてしまう。


 悲鳴をあげながら二人は倒れ、苦悶の表情を浮かべる。


「シリルとアンディを救護班の所に連れて行け!早くしろ!剣を下ろした奴が責任を持って連れていくんだ!


 分隊長のマックスが言うと、若い兵が血のついた剣を放り出して仲間を担いで行く。


 キーン・・・


 音の方を見ると、人影は木の上から警備兵を見下ろしていた。


「ちくしょう・・・おちょくってやがる」


 マックスが苦々しく見上げる。その時、誰かが弓を放った。


「無駄だ!やめろ!」


 キーン・・・


 ジークの言葉通り、人影は一瞬で姿を消し、矢は闇夜を切り裂いて飛んで行った。


 そして人影はジークの目の前にいた。


「この!」


「くそっ!」


 ジークとマックスが同時に動く。渾身の力で剣を振り下ろす。


 キーン・・・


 音は響いたが、人影の姿はそこにあった。ただ、手にした赤いキューブとファントムで、それぞれの剣をぴたりと受け止めていた。身じろぎもせず。


「なっ・・・」


 言葉を失う。渾身の力で振り下ろした大剣の一撃を簡単に受け止めた人影に、畏怖にも似た目を向ける。


「あっ」


 そして次の瞬間、二人が持っていた大剣が剣先から順に砂のように崩れて行った。何年もその手にあった愛用の剣が、風に吹かれて消えてゆく。


 呆然とする二人を後に、人影は踵を返して駆け出した。


「行くぞ!」


 まるで自分に言い聞かせるように、手に残った大剣の残りを手で払ってマックスが言って走り出す。ジークも同様に追いかける。


 ジーク達はいつの間にやら森の中にやって来ていた。真紅の森と呼ばれるその森は、ゆるやかな山道になっている。子供の頃からこの森で生まれ育ったジークがよく知っている場所だ。


 もう少し登った先に吊り橋があるはずだ。そこで追い詰める事が出来れば——


「この先には吊り橋があるな」


「はい」


 マックスもこの場所には馴染みがある。


「第二分隊には反対側から攻めるように聖霊を飛ばした。俺たちはこっちから追い詰める。挟み撃ちにするぞ!」

 

 そう言ってマックスと共にジーク達は人影を追いかけていくうちに、大きな谷を渡す吊り橋に到達する。高さは百メートル程ある中央付近で人影は足を止めた。反対側から第二分隊が押し寄せて来る。ただ、吊り橋と言う性質上、何人もが同時に乗ることは出来ない。


 人影はの様子を確認するように、左右を交互に眺めているように見えた。逃げ場はないと悟ったか。


 と——


 人影は躊躇なく、吊り橋から飛び降りた。


 急いで谷底を見下ろす。人影はゆっくりと、しかし確実に谷底へと落下していた。鳥のように優雅に見えたのは気のせいか。


 その時——


 キーン・・・


 あの音が響き、その瞬間谷底に吸い込まれていた人影は跡形もなく消えた。まるで最初からそんな物は存在しなかったように、虚空しかそこには存在しなかった。


共鳴跳躍者レディオジャンパー


 誰かが呟いた





 

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