第10話 妹との幸せなひと時

 進藤幸村しんどう/ゆきむらが自宅の玄関ドアを押し開けると、ふわりと漂ってきたのは、なんとも食欲をそそる甘辛い香りだった。

 学校から帰ってきたばかりの幸村は、疲れた体にその匂いが染み込むように感じ、思わず鼻をひくつかせる。


「おかえり、お兄ちゃん!」


 リビングから出てきて玄関先に立っていたのは、実妹の香帆かほだ。

 香帆はエプロンを身につけている。そのエプロンは水色で、それに描かれたちょっとデフォルメされたネコのイラストが妙に愛らしい。

 満面の笑みを浮かべる香帆に、幸村は軽く挨拶して応えた。


「ただいまって、なんかめっちゃいい匂いしてないか?」

「でしょ! 今日の夕ご飯ね、私なりに気合入れたの!」


 香帆は得意げに胸を張り、リビングへと軽やかな足取りで進む。

 幸村もその後を追うように、靴を脱いでリビングの方へと向かう。

 リビングに足を踏み入れると、ダイニングテーブルにはすでに箸と台拭きが整然と並べられていた。


 すでにキッチンの方に向かっていた香帆が、キッチンから顔を覗かせ、ニコニコしながら宣言する。


「今日ね、肉じゃがを作ったの! 学校の調理実習で習ったやつなんだけどね。家で再挑戦してみたんだ!」

「へえ、それはいいね」


 幸村は感心したように呟き、背負っていたリュックを床に置き、テーブルの前の椅子に腰を下ろす。

 すると、香帆がキッチンから器に盛られた肉じゃがを運んできた。湯気がふんわりと立ち上り、ほくほくのジャガイモと具材がたっぷり詰まったその見た目に、幸村は思わず唾を飲み込む。


「それ、美味そう」

「でしょー! 私の自信作なの! ご飯と味噌汁はあっちにあるから、よそってきてね!」


 香帆がキッチンを指差すと、幸村は立ち上がり、妹と一緒に夕食の準備を始めた。

 ご飯をよそい、味噌汁を椀に注ぎ、二人でテーブルの上に並べていく。

 いつも通りの動作なのに、どこか心地よいリズムが生まれていた。

 二人はテーブルに向かい合って座り、さっそく夕食をスタートさせた。




 幸村は箸で肉じゃがをすくい、口に運ぶ。ほろりと崩れるジャガイモに、甘辛い出汁が絶妙に絡み合い、思わず目を見開いた。


「うわ、めっちゃ美味い! やるね」

「やった! お兄ちゃんにそう言って貰えてよかったー!」


 香帆はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。

 幸村もつられて笑みをこぼした。


 二人は和気あいあいと食事を続け、テーブルには穏やかな空気が流れる。まるで時間がゆっくりと流れているかのような、心地よいひとときだ。

 ふと、香帆が箸を置いて、幸村をじっと見上げた。


「ねえ、お兄ちゃん。明日の予定ってなんかある?」

「ん? 明日か? まあ、友達と遊ぶくらいかな」


 幸村は箸を動かしながら、さらっと答える。だが、香帆の目はキラリと光り、何かを見透かすような表情で畳み掛けてきたのだ。


「ふーん、友達ね。もしかして、彼女とかできた感じ?」

「え、なっ、なんだよ急に!」


 幸村は少し動揺しつつ、誤魔化すようにご飯をかきこむ。


 頭の中では、幼馴染の坂野純恋さかの/すみれと高井那月の顔がチラリと浮かんだ。

 二人とは昔から一緒に過ごしてきた仲間だが、最近は少し距離ができていて、ほとんど関わりがなかった。

 ましてや、妹にそのことを本心で話すのは、なんだか気が引けた。


「えー、なになに? じゃあ、昔から一緒にいる高井さんとか、坂野さんとか?」


 香帆がニヤニヤしながら身を乗り出してくる。


「いや、違うって! その二人じゃないよ」


 幸村は苦笑いを浮かべ、箸で肉じゃがをつつく。


「ふーん、じゃあ別の人なの?」

「……まあ、なんかそんな感じ、かな?」


 幸村は適当に言葉を濁した。

 幼馴染のことは、香帆にはまだ秘密にしておきたかった。心配をかけるのも嫌だし、なんだか踏み込んだ話をするのは引けたからだ。

 香帆は少し不満そうに唇を尖らせたが、すぐに目を輝かせて続ける。


「まあ、でも、一応は彼女ができたんだよね?」

「まあ、うん、そうだな」

「じゃあ、よかったね! おめでとう!」


 香帆の純粋な祝福に、幸村は照れくさそうに頭をかく。


「いや、ありがと、って感じだけど」

「でもさ、お兄ちゃんが楽しそうでよかったよ! 私、めっちゃ応援するからね!」


 香帆の言葉はストレートで、幸村の胸にじんわりと温かさが広がった。

 妹の素直な応援は、なんだか心の奥をくすぐる。


「そ、そっか。じゃあ、逆に香帆の予定は? 明日なにするの?」


 幸村は話題を変えるように、ちょっと強引に話を振った。


「私はね、友達と勉強会! この前のテストがちょっとやばくて……皆で頑張って挽回するんだ!」


 香帆は少し大げさに肩をすくめながら答える。


「へえ、勉強会か。真面目だな」

「真面目とかじゃないよ! 本当は遊びたいんだけど、次のテストでまた変な点を取ったら、マジでヤバいからね」


 香帆の淡々とした口調に、幸村は思わず笑ってしまう。


「まあ、休日にやることあるなら、お互い頑張ろうな」

「うん! 絶対頑張る! 次のテストに向けてね」


 香帆は力強く頷き、キラキラした笑顔を弾けさせたのだ。


「そうそう、肉じゃがまだいっぱいあるから、食べたいなら、おかわりしてね!」

「じゃあ、遠慮なく貰おうかな!」


 幸村は空になった器を手に、キッチンへと向かった。

 それからも二人は他愛もない会話を続け、食卓を囲む。


 学校での出来事や、友達との笑い話。香帆が楽しそうに話すそんな話題が、温かな雰囲気をさらに彩っていく。


 今週は何かとバタバタしていた幸村だったが、このひとときは心からリラックスできる時間だった。

 香帆の笑顔と、彼女の作った美味しい肉じゃがに囲まれて、なんだか世界が少しだけ優しく見えた。


 食事が終わり、片付けを終えた夜。幸村は自室のベッドに寝転がり、今日の穏やかな時間を思い返していた。

 スマホの画面をぼんやり眺めながら、明日の予定を頭の中で整理する。


「明日は日高ひだかさんと遊ぶ予定だし、達哉たつやの件もあるな。那月もサッカー部のマネージャーとして来るだろうし、ちょっと話しておかないとな」


 幼馴染である高井那月たかい/なつきの事も思い出しつつ、幸村は小さくため息をついた。

 幼馴染のことを考えると、なぜか胸がざわつく。

 そんな中、香帆の応援する笑顔が頭をよぎり、なんだか少しだけ気まずくなった。


「まあ、なんとかなるか……ていうか、何とかしないとな」


 幸村は明日からも頑張って行こうと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る