第5話 真実は残酷だ

 五月の終わりの季節。

 高校二年生に進級した進藤幸村しんどう/ゆきむらの日常は、新しいクラスでの生活とともに少しずつ色を変えていた。


 新しい教室、新しい顔ぶれ。そして、幸村の心にひそかに芽生えつつある、名前のつけられない感情。


 教室の窓から差し込む柔らかな日差しの中で、窓際席の幸村はいつものようにライトノベルのページをめくっていた。

 休み時間に本を読む行為は、中学時代から変わらない。しかし、今年は少し様子が違う事があった。


 幼馴染の坂野純恋さかの/すみれが、最近になって陽気なグループたちとつるむようになってから、彼女との距離が微妙に遠くなっていた事だ。

 それだけではない。純恋が学校中の人気者、日高達哉と付き合っているという話が、幸村の胸に小さな棘を残していた。


 そんな中、ページをめくる指が一瞬止まり、視線は文字の上を滑るだけで、頭の中は別のことでいっぱいになっていた。


 日高達哉ひだか/たつや。サッカー部のエースで、誰もが認めるイケメン。

 気さくで人当たりのいい性格は、表面上は非の打ちどころがない。だが、幸村にとって達哉は謎の存在だった。


 知っていることといえば、彼が学校で人気者で、チームメイトからも信頼されているらしいことくらい。

 あとは、達哉の双子の妹が日高美波であること。

 その美波が最近、幸村にとって親しい存在になりつつあった。


 純恋との距離が遠のく中、美波との会話は彼の心の支えだった。そして、彼女が兄の達哉を嫌っているらしいという事実が、幸村の好奇心をくすぐっていたのだ。




 午前の授業が終わり、その昼休み。教室を出て、購買部でいつものパンを購入した後、屋上へ向かう。

 屋上にはすでに、日高美波ひだか/みなみがいて、ベンチに座っている。

 幸村は彼女がいるベンチに腰を下ろすと、左隣に座る美波に声をかけた。彼女の長い黒髪が、春風に揺れてさらりと光る。


「日高さん。ちょっと聞きたい事があって」


 幸村の声に、美波は少し驚いたように顔を上げた。


「何かな?」


 美波の瞳は、どこか探るような光を帯びている。

 幸村は少し緊張しながら言葉を続けた。


「達哉のこと、実はあんまり知らないんだけど。休日にサッカーの試合とか見に行ったら、何か分かるかなって思って」


 美波の眉が一瞬ピクリと動いた。彼女は少し考え込むように唇を引き結んだが、すぐに軽い口調で答えた。


「達哉の試合ね。今週末、別の高校で練習試合があるらしいよ。そこで見られるんじゃないかな? 私はあんまり興味ないけど……幸村が行きたいなら一緒に行っても良いけど」


 その声には微かな不満が混じっていたが、最後には小さな笑顔が浮かんだ。

 幸村は胸の奥でほっと息をついた。

 達哉のことを知るチャンスだ。少し離れたところから観察すれば、何か新しい発見があるかもしれない。


「じゃあ、決まりでいい?」


 幸村が確認すると、美波は軽く頷いた。


「うん、別にいいよ。付き合ってあげる」


 その言葉に、幸村の心は少し軽くなった。

 コッペパンを食べ終えた幸村は、ちょっと席外すと美波に告げて屋上を後にするのだった。




 屋上から校舎三階のトイレに向かうため、幸村は階段を下りた。トイレを済ませ、廊下を歩いていると、閉じたドアの隙間から漏れる声に足が止まった。


 聞き覚えのある声。それはクラスメイトの高井那月たかい/なつきのものだった。

 好奇心に駆られ、幸村はそっとドアに近づき、隙間から中を覗いた。

 そこには那月と、陽キャグループの男子の一人――しょうがいた。

 翔は達哉とよく一緒にいるサッカー部のメンバーだ。


「なあ、高井さんってさ、達哉のことどう思ってるの?」


 翔の軽い口調に、那月は少し照れたように笑った。


「え? うーん、普通に好きかな。サッカーの練習中とかに結構話すし」


 その言葉に、幸村の心臓がドクンと高鳴った。


 好き……?

 那月が、達哉を⁉


 頭の中で那月の言葉が反響し、幸村の思考は一瞬停止した。


「へえ、マジか! やっぱりな! で、付き合うつもり?」


 翔の質問に、那月は少し首を傾げ、考え込むように答えた。


「んー、今週末の練習試合の時に、告白しようかなって思ってる」


 その瞬間をドアの隙間から見ていた幸村の目が見開かれた。


 こ、告白⁉

 でも、達哉は純恋と付き合ってるはずじゃ……!


 混乱する幸村の耳に、翔の声がさらに追い打ちをかける。


「でもさ、達哉って坂野さんと付き合ってるって話があるよな?」


 那月の表情は一瞬硬くなったが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻った。


「うん、知ってる。でもさ、私、二股でもいいかなって。後で別れさせればいいだけだし」


 那月のセリフに、幸村は息をのんだ。


 二股でもいい?

 那月って、そんな奴だったっけ⁉


 那月の言葉は、まるでライトノベルの悪役のような冷酷さを含んでいた。


 幸村の知る那月は、いつも明るく、誰とでも気さくに話す女の子だったはずだった。でも、今の彼女は別人かと思うほど変わっていたのだ。


「へ、へえ、すげえ考え方だな。高井さんと坂野さん、友達じゃなかったっけ?」


 翔の言葉に、那月は挑戦的な笑みを浮かべた。


「友達? それは昔の話よ。今は向こうが勝手にそう思ってるだけ。私、別に友達だなんて思ってないし」


 その声には、普段の那月からは想像できない鋭い刃のような響きがあった。

 幸村はドアの隙間から、彼女の横顔をじっと見つめた。

 そこには、いつも笑顔で振る舞う那月とは別人のような、冷ややかな光が宿っていたのだ。

 翔は少し笑いながら、話を続けた。


「実はさ、高井さんが達哉に告白する気なかったら、俺、高井さんに告白しようと思ってたんだよね」


 那月は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにあっさりとした口調で切り返した。


「悪いけど、私、フリーだったとしても、翔とは付き合わないかな」


 その即答に、翔は苦笑いを浮かべた。


「うわ、実際にそういう言い方をされると正直キツいかな。あとさ、俺、今度の試合でサッカーの選手として出るからさ。勝ったら、付き合ってくれって言おうかなって思ってたんだけど、今の状況じゃ、無理そうだな」

「そんな簡単にOKするわけないでしょ!」


 那月は笑いながら、翔の背中を軽く押した。

 二人が廊下に出てくる気配を感じ、幸村は慌ててその場を離れた。足音を立てないよう慎重に移動しながら、心臓はバクバクと鳴り響き、頭の中は混乱でいっぱいだった。


 屋上に戻った幸村は胸の鼓動が収まらないまま、美波が座っているベンチに腰を下ろしたのだった。

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