第七話 気鬱

 ――うーん、居ると思うのですがねぇ……


 困り顔の、ウェイター。完全に同意だった。




 試しにドアノブを回す。


 ――ガチャ。鍵が、かかっていない。


 思わず、顔を見合わせる。




「……茂? 入るぞ〜」


 鍵をしていなかった。

 在宅だったとしても、在宅でなかったとしても、不用心だ。



 何かあったのだ、と思う。



 その、が、怖かった。その先を想像するのは……


「しげる〜?」


 ――しげるさ〜ん……サービスのコーヒー、お持ちしましたよ〜……


 ウェイターの声は小さい。そんな声ではアイツに伝わらない。不安なのかもしれない。

 この、平気そうにしているウェイターも。




 ふと、足が見えた。



 リビング。横になっているのか? 

 靴下を履いた、足が――。



 もしや。

 


「しげる!」


 リビングに、踏み入る。と。


 そこは、ゴミの山だった――


 テレビで見るゴミ屋敷……とまではいかないが。

 

 菓子パンとカップ麺ばかり食べていたのだろう。そのゴミが、そのまま机周りに散乱している。あとはゴミ袋がいくつか、部屋の端の方に積まれている。


 すえた臭い――というのか。何か臭う。衛生的でない印象を受ける。


 その真ん中に、茂はうつ伏せになって倒れていた。


「大丈夫か! 茂!」


「うう……」


 生きてる。想像していたものが現実になっていなくて、わしは心底ほっとしていた。


「清、なんでここに……?」


「デリバリーだよ、コーヒーのデリバリー。ウェイターに付いてきた。心配だったから。それより、お前……」


「いや、大丈夫だ、寝てただけだからな」


「…………寝てた?」


「ああ」


「布団もなしに……?」


「いや、しんどくてな」


「大丈夫か? それに、この部屋の惨状はなんだ? あとお前――風呂入ってるか?」


「いや、最近風呂も食事もめんどくさくて……。買い溜めのカップ麺があった頃はよかったんだが、それが尽きてからはもう。外出する気分にもなれなくて、ずっと横になってた」


「おい! 駄目じゃないか! 何故もっと早く……」


 早く、なんだというのだろう。何故もっと早く、自分に知らせなんだ、と?


 喫茶店で会うだけの間柄、連絡先も知らないというのに。


 言葉の続きが出てこない。


 蝿が飛んでいるのが見える。カップ麺の端、歩いて、前足をこすって、ぶんぶんと飛ぶ。こちらに飛び、あちらに飛ぶ――



 ――とりあえず、久々のコーヒーなんかいかがでしょう?



「ああ、頂くよ――――」


 茂は一口飲んで。

「ん?」

 いぶかしげな、顔。

「どうした?」



「味、変えたのか?」



 ――いいえ。いつものですよ〜。ウェイターは静かに答えた。

 

「悪いが、あんまり、美味しく感じないな……」


「本当にどうしたんだ、いつも美味しい美味しいって、飲んでたじゃないか!」 


「わからん。わからんが……」


「もう歳、ってことなのかな」


「最近新聞にも興味がないし、テレビもくだらなく感じて見なくなったし、喫茶店も……億劫になってしまった」


 弱っている。普段ならこんな事言わない。普段の茂は――強くて。しっかりしていて。


「妻に先立たれてから、しゃべる相手もいないし、喫茶店ではああだったがいつも……」


 だが、それは見せかけだったのかもしれない。



 今の茂の方がなのかもしれなかった。

 


 茂――寂しかったのか?



 ――茂さんは、介護サービス受けられてますか? 横田が口を挟む。


「いや、よくわからんが……」


 ――要支援一でもつけば、介護サービスが受けられますよ! デイサービス行くようになれば、お話相手も見つかるしお風呂やお食事もついてきますよ~


「ようしえん? 横田。詳しいな」


 ――横浜ですよぅ。僕にもおじいちゃんいるんで。役場の窓口に行けば申請できますよ!



「茂、わしと行こう」 



「清……」


「いいんだ。こういったことは、お互い様じゃないか。お前は一人じゃない。わしがいる」


「ありがとう……」



 茂の目元には、光るものがあった――



 今じゃ、茂はすっかり元気だ。デイサービスに通って、知り合いもボツボツできたらしい。


 食事もおいしいし、風呂に入れるから最高だ、とのたまっている。


 介護職員の若者は、心の気持ちいい奴らばかりだ、とべた褒め。若者批判はどこへやら。以前よりも丸くなった気もする。


 怒りよりも、笑顔が増えた。


 喫茶店には、今でもたまに来ている。来ればわしと顔を合わせて。以前のように話す。茂はわしにもデイサービスを熱烈に勧めてくる。


 だが――わしは、シルバーワークでも探してみようか、という気分になっている。

 


 まだまだ。若いもんには負けない、と。

 


 報告書

 対象 高齢者 七十代前半の男性二人

 A群(■■■■群)とB群(コントロール群)に分けて対照調査を行う。

 内服 月に四回

 結果 B群は精神状態が変わらなかったのに対して、A群は精神的に気落ちする傾向が見られた。また、投与をやめた後もなかなか復調せず。栄養状態か、もしくは高齢のためか。

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