僕とお姉様。 -2
先輩と別れた後、再び廊下を歩いた。ホームルームが終わってから、それなりに時間が経っている。帰宅した生徒、部活に参加する生徒が減って、廊下の人通りも落ち着いていた。
「……僕、可愛いのかなぁ」
最近、よく容姿を褒められている気がする。
僕は自分のことをあまり美形だとは思っていない。だが、知らない相手の特徴を並べた時に目立つものがあれば、それに釣られて他の評価が歪むのも知っている。ハロー効果などと呼ばれる認知バイアスの一種だ。僕を可愛い後輩だと思って貰えているのなら、それに越したことはない。黙っているだけで睨まれるより、よほどいい。
色々と考え事をしていたら、見知った顔を見つけた。
「あれ? 波久礼ちゃん」
「……ん? 七里だ」
「ふふん。そうですし。七里ちゃんですし」
生徒会室の前に立っていたのは、クラスメイトの七里だった。制服からジャージへと着替えているところから察するに、野球部のマネージャーとして仕事をしている最中か。七里は手に持っていたバインダーから書類を抜き取って、僕へと押し付けてくる。
「これ、出し忘れてた申請書ね!」
「……あぁー。確かに! ありがと」
「へへっ。どういたしまして。波久礼さんも、生徒会頑張ってね!」
「ありがと。……七里も部活、頑張ってね」
バイバイ、と手を振った僕を置いて、七里は慌ただしく走り去っていった。廊下を走っているところを生徒指導に見つかると随分叱られるのだが、彼女は気にもしていないようだ。ひょっとしたら、生徒指導に目を付けられていない子は多少の違反にも目を瞑ってもらえるのかもしれない。
なんてね。
「お邪魔しまぁす」
考え事をしていたせいか、思いっきり抜けた声が出る。
生徒会室では柴田先輩が書類の整理をしていた。
僕が他の生徒に声を掛けられている間も、柴田先輩は仕事を進めていたようだ。他の生徒会メンバーも揃っているみたいで、生徒会室の奥にいくつか鞄が置いてあった。東風谷先輩の鞄には僕があげたストラップがついているから遠目でもよく分かる。その横に行儀よく並んでいるのは書記と会計の先輩の鞄だった。
僕も荷物を置いて、柴田先輩の向かいに座る。
壁を覆い隠していた資料の山は、生徒会の努力によって日々縮小していた。
「精が出ますね、柴田先輩」
「夏休みまでには片付けたいからな」
「……終わるんですかねぇ」
「終わらせるんだよ。後輩達のためにもな」
雑務なんて後輩(ぼく)に任せればいいのに、と思わなくもない。
はやく片付けを終えて、気持ちよく生徒会業務に集中できる空間にしたいものだ。
柴田先輩がキーボードを操作する音が生徒会室に響く。先輩の手元には必要事項を書き出した紙が置いてある。年間を通して作成が必要な資料を把握するため、チェックシートを作っているようだ。
すべての作業をパソコンで済ませるよりも、ロードマップをアナログでまとめておいた方が結果的に短時間で終わるらしい。僕はあまりパソコンでの作業が得意じゃないので、そうなんだなと眺めるばかりである。
「そういえばこの前、宿題の提出を忘れたんですよ」
「ふーん。なに、先生に怒られたんか」
「はい。それで、クラスの子に助けてもらったんですけど……」
雑談しながらも作業の手は止めない。壁際に積まれた資料を適当に取り上げ、書類の作成日を調べる。これは一昨年の資料みたいだ。バインダーを用意して、ダブった資料は捨て、まだ保存していない資料は綴じて残す。
作業開始から三十分が経った頃、少し疲れが滲んでくる。
他の生徒会メンバーは生徒会室に帰ってこない。お手洗いにしては長いし、今日は会議の予定も入っていない。突発の用事かと考えてみても副会長の柴田先輩が生徒会室に残っていることを考えると緊急性もないのだろう。
答え合わせをすべく、僕は柴田先輩に尋ねてみた。
「……東風谷先輩は? まだ帰ってこないんですか」
「あいつはポスターの貼り替えに行ったよ。末並先輩と瀬名先輩も一緒にね」
「あー、なるほど? 東風谷先輩だけだとポスター破けそうですからね……」
「凛琳でもそれはないだろ。去年は画鋲を床にぶちまけてたけどな」
ケタケタと笑った先輩に釣られて、僕も笑う。東風谷先輩は高校生になっても相変わらずのようで安心した。初見の印象は実に凛とした王子様なのに、付き合いが深まるにつれ頼りなくて抜けている幼い部分が露わになっていく。
だからこそ、少女達の母性をくすぐるのだろう。
先輩の笑みに惹かれた女性は数知れず。親子ほど年の離れた先生達には娘のように可愛がられ、同世代の少女達には姉妹のように懐かれていた。彼女が生徒会長になった後、手伝いを申し出た生徒は多いはずだ。生徒会室に積まれた資料の山は生徒会の面々がそういった助力の手を払いのけてきたことを示している。
仕事には責任があり、任せる相手には信頼が必要だ。僕が生徒会の手伝いをしているのは、庶務にしてもらえたのは、東風谷先輩の紹介だからに他ならないのだろう。
「波久礼、そこのテープ取って」
「ん。これですか」
「違う。青い方。かわいいネコちゃん柄の奴な」
「……タヌキじゃないんですかね、これ」
「は? 波久礼は猫型ロボットの悲しき過去を知らんのか」
「なんすか、それ」
柴田先輩と軽口を叩きながら資料の山と格闘する。一山分を清算して、今日の作業にキリをつけることにした。山ほど積まれていた資料も、丁寧に取捨選択を繰り返せば十数個ほどのバインダーに収まりそうだ。
込み上げる達成感よりも強い疲労感に襲われて、僕は机に伏せた。魂が抜けたように息を吐く僕の横で、先輩が何かを思い出したように声を漏らした。
「……どうしたんですか?」
「いや、波久礼に渡そうと思っていたものがあってな」
小首を傾げる僕の前に、先輩が投げ落としたのは何かの鍵だった。デフォルメされたカタツムリのキーホルダーがつけられている。使い込まれているのか、単純な経年劣化なのか、溝部分が僅かに錆びて茶色が浮いていた。
拾い上げて、言葉もなく眺める。
突き返したら、先輩は首を横に振った。
「生徒会室の合鍵だ。お前に渡しておくよ」
「え、いいんですか? というか、なんで……」
「生徒会室は、迷える生徒の居場所であるべきだ」
言い切った先輩は、僕の瞳を覗き込むように顔を近づける。
悪童の吹き溜まり、いい子ちゃんの休憩所。他にも様々な言葉の選択肢があるだろうに彼女は生徒会室に特定の意味を与えた。そして、それを僕に継承しろと告げてくる。
手にした鍵は次第に重みを増して、左手に握り込んだそれを僕は両手で抱えた。
「だとしても、これを僕が持つ意味。先輩には分かりますか?」
「不良が溜まり場にしちゃうぞってか? それでいいじゃないか」
屈託なく笑った柴田先輩が、メガネをくいと持ち上げた。
鞄から取り出したペットボトルの水で唇を湿らせて、先輩は机に肘をついた。
何も難しい話はしてないんだぞ、と彼女は先生みたいな前置きをした。
「波久礼。お前は自分で思っているよりも、多くの生徒に好かれているんだよ」
「どこ情報ですか、それ」
「春の訪れを告げる風が、噂を運んでくるんだ」
「……ん?」
「言葉遊びだよ。くくっ」
謎めいた言い回しだが、意味は込めてあるらしい。
困惑しつつも、少しだけ考えてみる。
季節に応じて、吹き込む風には名前がつけられている。春一番とか、花嵐がいい例だ。もう五月も終わりそうな時期に吹く風のことは――。ダメだ、分からない。薫風だっけ? ここに北村か、徳重パパがいればすっと答えを出してくれそうなものだが。
ニヤついた柴田先輩の表情に、ふと思いつく単語があった。
「……ひょっとして、東風(こち)?」
「正解! なんだ、東風谷の語源を知らんかったのか」
「知りませんよ、もう。僕は雑学王じゃないんですから」
「すまん。いや、私はクイズが好きなんだよ。凛琳ともよく遊んでるんでな」
肩を揺らして笑う先輩への不平不満はいくつかあるが、先輩が僕に鍵を押し付けた事実は変わらない。まるで僕の善性を試しているかのようだった。
「……分かりました。でも、僕は悪童ですよ。信じていいんですね?」
「知ってるよ。だからこそ託すんだろうが。もし私が波久礼を信じてなきゃ、生徒会にだって引き入れてないよ。普通、一年生は後期から生徒会になるんだし」
微笑んでいた先輩が真剣な目をした。
どうやら、何を考えているかは教えてくれないようだ。答え合わせを諦めながらも先輩の信頼を受け入れている自分に驚いた。鍵を胸ポケットに仕舞い込むとキーホルダーのカタツムリがひょっこりと顔を出す。可愛くて、こつんとツノを小突く。
半泣きの東風谷先輩が帰ってきたのは下校時間ギリギリになってからだ。横にいた先輩達が笑いながら慰めていて、柴田先輩も呆れたように肩をすくめる。
彼女達の眩しいほどの善性に、僕も続いて行けるだろうか。
頑張んなくちゃと胸ポケットの鍵を握った。
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