SFと歴史の分岐点小説
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年7月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。
「質より量」
ということで、アマチュアながら、ずっと小説を書いている人がいる。
普段はサラリーマンをしているが、
「趣味で小説を書いている」
ということで、最近では、同僚などもそのことを分かっているのだが、以前は、恥ずかしさからか、
「大した趣味はないですよ」
とうそぶいていた。
しかし、
「趣味がない」
というと、
「飲みに行こう」
という同僚の誘いが断れないと思い、一度、
「悪いんだけど」
といって、
「趣味で小説を書いている」
ということを正直に話すと、
「なんだ、そうだったのか。それならそうといってくれればいいのに」
といって、笑ってそれからは誘わなくなってくれた。
その同僚も、本来であれば、
「自分も何かの趣味を持ち、人を誘うことがなくなれば、それに越したことはない」
と思っていた。
しかし、実際には、
「ちょっと何かをかじってはみるが、すぐに、
「俺にはできない」
とあきらめてしまう。
そもそも、
「趣味というのは楽しいもの」
ということで、
「いくら生みの苦しみといっても、苦しみを伴うようなことはしたくない」
という思いがあるから、どうしても楽な方に流れると、
「酒を飲んだり、旅行に出かけたり」
という趣味に走るのだった。
それでも、
「旅行に出かける」
というのは、まだ、
「アクティブな趣味」
ということで、悪い趣味ではないといってもいいだろう。
そういう意味では、主人公の長瀬勉も、学生時代から、
「旅行に出る」
ということが好きだった。
しかし、社会人になってからは、旅行に出ることはほとんどなくなった。
彼の場合に旅行というと、最低でも三泊四日というのが、自分の考え方であった。
「ただ、どこかに出かけて、温泉に入ったりするだけでは、旅行とはいえない」
と思っていたからだ。
少なくとも、現地から数か所を回らないと気が済まない。それだけに、旅行というと、
「観光地」
というよりも、
「名所旧跡」
であったり、
「神社仏閣」
などというのを見て回るのが好きだった。
そして、大学時代には、そこに、
「お城巡り」
というものが加わった。
お城というと、どうしても、
「天守の壮大な佇まい」
というものに目が奪われがちだが、歴史を勉強していると、
「天守を持たない城がどれだけ多いか?」
ということ。
そして、
「天守以外にも、石垣、櫓、門などと、見るべきところがいっぱいあるというのが、城の醍醐味なのだ」
ということであった。
中には、
「城郭の中に、神社がある」
というところもあったりして、それらがまた、
「歴史を感じさせる」
ということで、その時代背景や、
「群雄割拠」
というものを感じさせられるのであった。
また、城の歴史というと、どうしても、戦国時代以降という意識が強い。
なぜなら、近代城郭の基礎となったのが、
「戦国の城」
ということだからだろう。
ただ、
「城の歴史」
というのは、結構古いもので、実際に、どこからを城郭といっていいかは難しいところであるが、少なくとも、
「何か特定の外敵から守るため」
ということを考えると、
「飛鳥時代」
からではないかといえるだろう。
というのが、時代としては、
「大化の改新」
の真っ最中という時代のことである。
「大化の改新」
というと、
飛鳥時代に、隆盛を極め、天皇家と同等程度の勢力を持っていた蘇我氏というものを、中臣鎌足と中大兄皇子のクーデターによって、蘇我氏を滅ぼしたことで、
「天皇を中心にした、中央集権国家」
として、大陸に倣った、
「律令制度」
と呼ばれる、日本最初といってもいい、
「法治国家」
の建設を目指したものであった。
その時、ちょうど、朝鮮半島において、それまでの、
「三国体制」
といってもよかった均衡が崩れたのだ。
高句麗、新羅という王朝が、もう一つの王朝である、百済に攻め込み、百済を攻め滅ぼしてしまったのだ。
そこで、百済の残党が、百済復興を目指し、かねてより信仰の深かった日本の国に対して、助けを求めてきた。
当時の天皇は、それに応じ、朝鮮半島に、
「百済復興」
というものを目指し、大軍を送ったのだが、高句麗、新羅の連合軍に、大敗を喫することになってしまった。
これでは、
「百済の復興」
どころか、
「我が国日本が、攻められることになる」
ということで、
「国防」
というものが最優先となったのだ。
半島からせめてくるとなると、筑紫の国が攻められる可能性が一番高いということで、筑紫の国の方々に、防衛施設を築くことになるのだが、それが、
「古代の山城」
といわれる、防衛施設であった。
実際には、近代城郭のような、門や、石垣もなければ、濠もない。
しかし、当時の武器に対しての十分な防衛ができるほどの施設であったおは間違いないようで、筑紫国のあちこちに作られたという。
これが、今も残る城の始まりといってもいいだろう。
実際に、半島から日本に攻めてこられることはなかったが、国防の基礎ということで、それ以降も、城というものは、いろいろなところに作られたということである。
それが武家時代になってから、さらに増えた、一番増えた時期というと、たぶん、
「鎌倉期から、南北朝の時代」
くらいからではないだろうか?
今残っている
「お城」
と呼ばれるところの築城年ということになると、その時代は、
「南北朝の時代と呼ばれる、14世紀頃が結構多かったりする」
という。
山城ということで、山の上に出城を作っておいて、その麓に屋敷を作る。
敵に攻められた時、屋敷を捨てて、裏にある城に立てこもるということで、
「籠城に適した」
という山城は、重宝されたことだろう。
「敵が、こもっている城を取り囲んで攻めに入った時、まわりの山に築かれた、
「支城」
というものから、兵が出張ってくると、取り囲んで、攻城戦を挑んでいる方からすれば、
「逆に挟み撃ちに遭ってしまった」
ということになるだろう。
その時代から、
「攻城戦」
「籠城戦」
というものが考えられるようになり、いろいろな策が、城に弄されることになるのだろう。
南北朝から広がったというのは、
「建武の新政」
の際、楠木正成が、
「赤坂城」
であったり、
「千早城」
において大活躍をしたことで、その大切さが注目されるようになったからなのかも知れない。
しかも、室町幕府というのが、弱体幕府であり、守護大名の力が大きかったことで、安定しない時代であり、のちの戦国時代の入り口を作ってしまったということで、
「群雄割拠という時代における守りのかなめ」
ということで、
「近代城郭」
というものが生まれてきた。
お城内部に、攻め込まれにくいような仕掛けが施してあったり、攻めてきても、一網打尽にする仕掛けなどである。
「攻城戦には、籠城側の三倍の兵の数が必要だ」
と言われるが、
「城というのは、元々籠城するためのもの」
として建設されたものなので、
「それも当たり前」
というものである。
そして、戦国時代に入ると、戦い方もいろいろ開発されるようになり、守りとしての城も、当然、形が次第に変わってくるというのも、無理もないことだったのだろう。
今まで山の上にあり、
「川が濠の役目をしている」
というところであったり、
「山の一方が断崖絶壁で、石垣の役目をしている」
というような、いわゆる、
「天然の要塞」
というもので防御していたものから、次第に、
「平地に降りてくることで、実際の領地の統治のために使われる」
ということもできるようになったことで、まわりには、
「城下町」
というものができて、
「経済の発展」
にも役立ち、大名の生計が立つということにもなったのだろう。
昔であれば、
「歴史好き」
などというと、
「変わってるな」
と言われ、
「あんなやつに近づかないようにしないと」
というくらいに、変わり者扱いされたものだった。
しかし、そのうちに、
「旅行に出かける人が増えた」
ということで、その土地の歴史を楽しむ人が増えたことで、女性の中にも、
「歴史が好きだ」
ということで、
「歴女」
と呼ばれるような人が増えたことで、
「歴史の楽しさ」
というものが、年齢層や、性別関係なく、ファンが増えてきたといってもいいだろう。
それに、昔から信じられていたことが、最近の歴史研究や、発掘技術の発展によって、
「今まで常識と言われてきたことが、実は違っていた」
ということが次々に話題になることで、
「逆に、それまでの歴史を知らず、新たに勉強するほうが、新しいものを受け入れられる」
ということで、
「勉強するのに、遅いということはない」
と感じさせるのであった。
そもそも、昔から、
「どうしても、歴史は好きになれない」
と言われていたのは、
「歴史を暗記の学問だ」
と考えられてきたからだろう。
それこそ迷信というもので、確かに、年代を覚えたり、人物を覚えたりと、覚えることがたくさんあるわりに、
「その人が何をした人なのか?」
ということは、教科書では、数行に書かれているだけで、それこそ、
「何かをやったというれっきとした事実がない限り、本来であれば、時代の最重要人物であるにも関わらず、本当に数行だけで終わってしまう」
ということである。
しかし、歴史の真実がどんどん変わっていく中で、
「それまでの常識が、非常識」
ということになっていくのだから、それだけ、
「歴史という学問時代が変革している」
といってもいいだろう。
「そういう意味で、戦国時代は、情勢がコロコロ変わるし、その詳細なところも、どんどん明らかになってくる。
それが面白いわけで、
「歴史を好きになる」
という人が、
「戦国時代から入る」
というのは、そのためであろう。
だから、歴史好きの人に、
「どの時代が好きですか?」
とアンケートを取るとすれば、
「戦国時代」
「幕末から、明治維新にかけて」
「平安末期からの、武士のおこりから、源平合戦くらいまで」
というのが、そのベストスリーに入るだろう。
結局は、
「動乱の時代として、歴史のミステリーのような事件があったり、さらには、人間的に魅力的な人物がたくさん出てきたり」
ということで、興味を持つことになるのだ。
しかも、それまで歴史に興味を持つことのなかった、女子供が、歴史に興味を持つということの理由として、
「アニメやゲームの影響」
というものが多い。
特に戦国時代などでは、
「かっこいい武将のイラストが、女性ファンを引き付け。稀代のヒーロー」
ということで、祀り上げられるのだ。
「実際の史実とは若干違った」
としても、あるいは、
「似顔絵をまったく無視した、想像上のイケメン」
として描かれるのだから、それも無理もないことなのかも知れない。
「想像上のイケメン」
ということで、
「本当の肖像画」
というものを見て、幻滅する人もいるのではないかというレベルであった。
ただ、それでも、
「きっかけが何であれ、歴史を好きになってくれるのはありがたい」
と思っている人もいれば、
「そんな不純なところからであれば、別に好きになってもらう必要などない」
と思っている人も多いことだろう。
実際に、歴史上の人物として、
「勝手に祀り上げられた人も結構いるようで、似顔絵も実際のものが残っていないにも関わらず、それこそ、イケメンに作り上げる」
ということをしているのだから、本当の歴史好きは、
「にわか歴史ファン」
というものを、小ばかにしているかも知れない。
確かに、他のブームというのは、
「そのもとになったブームがなくなれば、それまでのファンがどっと離れていく」
というものが当たり前になる。
しかし、歴史の場合は、結構しつこいもので、
「それだけ、ゲームなどの影響が強い」
ということなのか、それとも、
「ゲームの影響とはいえ、一度ついたファンは、そう簡単に離れない」
ということになるのだろうか?
それを考えると、
「ゲームが元々だったとはいえ、せっかく歴女になったというのだから、このまま女性の歴史ファンが多いというのは、悪いことではない」
として、
「女性ファンを受け入れる」
という気持ちになっていた人も結構いるに違いない。
長瀬は、歴史が好きだったので、小説を書くようになると、まわりから、
「歴史小説を書いているのでは?」
と思われていたようだが、そんなことはない。
歴史をテーマにした小説の中に、大きく分けて2つのジャンルのものがある。
一つは、
「歴史小説」
というもので、もう一つは、
「時代小説」
と言われるものである。
名前やニュアンスから考えると、
「歴史小説というのは、歴史をテーマにしたもので、時代小説というのは、時代劇なのではないか?」
というイメージなのだろうが、実際には、れっきとした使い分けに対しての、理由というものがあるのだった。
というのは、まず、
「歴史小説」
というのは、あくまでも、
「史実に忠実で、時代考証もしっかりしたものでないといけない」
という定義がある。
つまりは、
「学術的な嘘は書いてはいけない」
ということである。
だから、歴史小説家というのは、史実をしっかりと調べて書かないといけない。
「読者が勘違いするような作品を書いてはいけない」
ということになる。
つまりは、
「ノンフィクションだ」
ということだ。
しかし、時代小説というものは、時代劇の時代に限ったことではなく、
「戦国時代であっても、さらにその前であってもかまわない」
しかし、これはあくまでも、
「娯楽性の高い」
ということでの、
「エンターテイメントの世界」
ということで、
「史実をテーマにした架空小説、つまりフィクションだ」
ということになるのだった。
そんな時代小説に対しては、
「どこか邪道だ」
と考えることが多かった。
あくまでも、架空の話ということで、歴史好きに対しての冒涜のように思えたからだ、
この思いがあったからこそ、
「アニメやゲームを見て、歴史の世界に飛び込んでくる、歴女と言われる連中を、自分の中で許すことができない」
と思っていたのだ。
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