魔界への侵食

 邪眼族の女剣士、ナガンの額の邪眼がゆっくりと開き、それに追順するように細い瞳孔の両目が目を覚ました。



「ジャ? 寝とったのか、わらわは……」


「おはようナガン。いや、おかえりと言った方が良いか」


 私は、血の付着した布で包まれたテントの中、ナガンのそばに座っていた。私の脇にはノエルが黙って立ち、その光景を見守っている。



「ジャア! 貴様、ササーガ! そうじゃ貴様と戦争をしとった! 続きじゃ!」


 ナガンは素早く身を起こして構え、自分の刀剣がどこに落ちているのかを探すような仕草を取った。その闘気に衰えはない。それを見て私はなだめる。


「おお、生き返ったばかりだ、あまり激しく動くなよ?」


「生き返っ……!? な、何を言っとるんじゃ!!」


 私の膝の脇には血の溜まったトレーが置いてあり、そこには血の付いたメスが入っている。それをそっと外側にずらし、下に置いてあった板を持ち上げた。


「決闘でお前を殺しただろ? それで邪眼族の中身がどうなってるのか気になってな、腹を開いて中を観察してたんだよ。」


 そう言って板に書かれた生体解剖図を見せつけた。ナガンの顔を模写し、胸から腹下までを一直線に切り開き、肋骨、肺、腸等を描いたものだ。するとナガンは自分の腹、その綺麗な腹筋パックが並んだ腹をさすった。


「ジャ!? 腹を開いた!?」


 私の見せた生体解剖図と自分の腹を交互に見比べて、歪んだ顔を見せている。


「そんなわけあるか! わらわは死んでない! 生きておるじゃろうが!!」


「だから、殺してから蘇らせたと言ってるだろうが。第五時空干渉、聖秘術・ティドゥ・メサッシによる空間破壊の一撃で、内側から脳を破壊したからな、気づかないのも仕方ない、気持ちよくて花畑でも見えたんじゃないか? 」


「花畑……」


 ナガンはその光景に見覚えがあると言った表情でこわばった。


「腹の中はだいたい見終わって満足したのでな、たった今、秘術で蘇生したんだよ。」


「う、嘘じゃ……そんな、わらわが……!!」


 私は解剖図にメモを書き込みながら、ボソボソと呟いた。


「十二指腸に相当する器官の強度は……食肉性の胃袋内の酸性濃度は……横隔膜と肺の間に退化したエラのような器官が……」


 私がボソボソ言う程にナガンのストレスが溜まって行くのが見てわかった。



「おい! 許さぬ! 勝手に臓物を晒しおって! 決闘じゃ! 決闘の続きをするのじゃ!!」


「まだ言ってるのか……まあ良い。ナガンよ、お前との決闘は大いに金になった。この国では今後、決闘賭博を国営の興行として定期開催する事にした。つまりは毎週戦争を行うという事だ。どうしてもやりたければその時に来い」


「ふざけるなっ! わらわは今で良い! 今貴様を殺す……! 刀など無くてもわらわは強いっ!!」


 ナガンは立ち上がり、六本の拳を揃えた。


「ならば殺して出ていけ、どうせ私はすぐ復活する、私の本体は第十一時海ミ・ルテ・アッーシェンにしかないのだからな」


 ナガンは右足を一歩にじりだし、左三本の腕をまとめて拳を放つ構えをとった。それに対して私は解剖図から目を上げ、下からナガンを睨みあげた。


「だがお前、目的を見誤るなよ?」


「ジャ? わらわの目的は戦争じゃ! 変わらぬ! 戦いに飢えたこの血を沸かす事こそが目的じゃ!!」


「ククク……しっかり見失ってるじゃ無いか、お前自身をな? せっかく目が三つもあるのにな?」


「……なんじゃと!?」



「戦いに飢えているなら、なぜこんな辺境である十区をうろついていた? 先月倒したというミノタウロスも八区の魔物、低ランク狩りもいい所だろう」


「ぬかせ! 牛共は強かった! 血肉を賭けて争い、この戦いへの疼きを癒してくれたわ!!」


「なるほどな、低ランク狩りのナガンよ。それならば、なぜ同じ邪眼族や、凶悪な龍神族を相手に戦わんのだ。強いやつは、いくらでもいるだろう?」


 ナガンは足を大きく踏み込んで、地面を揺らした。衝撃でメスを入れたトレーが跳ね上がり、弾けるように散らかった。


「わらわを愚弄するのか! それは邪眼族の掟じゃ! 龍神族との長きに渡る抗争で魔界は荒れた! その休戦の掟じゃ!」


「お前こそこの魔神ササーガを愚弄するのか? 我は教皇、いずれ魔界を統治する魔界教皇ササーガである。邪眼族の掟など知らん。魔界の掟は私が創る」


「何を訳の分からん妄言をぬかしておるか! 」


 ナガンの目尻が痙攣し、牙が唇にくい込んで、張り出すように揺れていた。そんなナガンを下から指さした。


「ナガンよ、お前が求めているのはな、戦争では無い。」


「ジャ?」


「お前は戦士として完成されている、誇り高き戦士だ。お前が求めているのは、虐殺でも無いし、蹂躙でもない。戦いが戦いとして成立する、対等な戦いだろう?」


 ナガンはその三つの目を横にそらして、答えなかった。それを確認して私は続けた。


「お前はそんな好条件を一人で求めているから、月イチ程度でしか良好な戦闘が出来ないのだ。だから面白くない。それがお前の本質だ」


 三つの目のうち、額のひとつだけをこちらに向けた。


「ぬかせ……知ったような口を……」


「ならば私を殺して去れ、私はすぐに生き返るが、それまでの間、国政は止まるから国への妨害だ。決闘に負けて妨害に勤しむ戦士など、心底興味が無い。だからその後は二度と私の国に近寄るな。」


 そう言いながら、私はトレーから跳ね出したメスを一本一本拾いあげ、綺麗にトレーへと並べて行った。そして最後の一本を拾うと、それを自分とナガンの視線の間に挟んで見つめた。


「だが私は、これから毎週決闘博打を開催するし、他の区の種族との戦争を重ねていく、私の歩く道はずっと戦争が満ちている。そしていずれは龍神族もな」



 ナガンの怒りに満ちていた顔が、困惑に歪んで来ているのがわかった。それを察して次は優しく話しかける。


「ナガンよ、お前は今熱くなって、視野が狭くなっている。一日考え、本当に私を殺して決別する方が気持ちが収まると言うのなら、明日殺しに来い。私は逃げも隠れもせんし、抵抗もしない」


 ナガンは持ち前の尻尾をムチのようにしらならせて、床を叩いた。


「はんっ、ならば首を洗って待っておれ、ただしわらわが殺しに来たら、その時は抵抗はしろ! 決闘じゃ!!」



 そう言ってナガンは振り返り、テントの幕に手をかけた。私はその背中にハッキリと答えた。


「私は抵抗しない。時間の無駄だ、利益が無いし、興味が無い。」


「チッ」


 小さく舌打ちをすると、ナガンはテントをくぐって外に出た。




 ……その瞬間だった。



 ウォオオオオオ!!


 テントの外からけたたましい歓声が響き渡る。それは、闘技場に押し寄せていた多種族多様な観客達の声だった。


「生き返った!」 「本当に生き返ったぞ!」

「これが魔神の力か!?」 「完全に死んでたのに!!」


 その声の嵐を浴びせられたナガンの顔は見えなかったが、拳が震えるほどに強く握りしめられ、揺れる尾がテントの天幕を垂らして閉じた。最後に向こうへと歩き出すその足の影だけが、テントの幕に影絵のように映り、その影は遠くへ消えていった。




 すると、すぐさま隣で立ってたノエルがしゃがんで顔を寄せて来て、耳元でヒソヒソと声をかけてくる。


「ちょっと……死ぬかと思いましたよ……っ! めちゃくちゃ怖くないですかアイツ……!!」


 その問いかけに対して、私は普段の魔神のトーンは使わなかった。


「いやぁーねぇ……! ホント怖すぎっ! マジでいつぶん殴って来るものかと……」



 ノエルは昨日、資源略奪か極刑かのギャンブルを私に仕掛けて来て、私の計略に敗北した。その支払いはもちろん極刑……死であり、ギャンブルに対してどこまでも誠実であり狂ってる彼女は、その支払いも渋々ながら受け入れていた。


 なのでテントを張った後、私の魔界での立ち位置、最高幹部アトラにすら食われるか否かの綱渡りをしていると言う事情を説明し、私と生死を共にする運命共同体。魔界統一ギャンブルに共に挑むという事で新たな関係を契約した。


 血のテントも、蘇生も、解剖図も全ては嘘。

 それっぽい用語も全部思い付き。


 解剖図は肺や心臓、腸の動きなどを。音をもとにして確認して作った解剖予想図だ。まあ……だいたい陸上大型生物なら肺と心臓と腸を書いとけばそれなりに合ってくる。


 なのでナガンとの交渉というこのギャンブルにも、ノエルを同席させていた。嘘がひとつバレれば二人とも殴り殺されるという、この薄氷の上の舞踏会で共に踊る……


 魔界における唯一のパートナーだ。



「でもでもぉ……! スリルあったよね!!」


 ノエルは顔を赤くして恍惚とし、息を荒らげていた。


 ……このドM体質にだけは、永久に共感出来なそうだ。






 翌日……


 .  北

 .  【十区・廃棄区画】

 .  【九区・亜人族】【八区・獣人族】

 .【七区・岩石族】 【六区・巨獣族】【五区・海洋族】

 .  【四区・荒廃都市】【三区・禁域】

 .  【二区・邪眼悪魔】【一区・龍神族】

 .  南


 ノエルが会議室の大看板に文字を羅列していた。

「これが魔界の勢力図ですねー!!」


「南に行くほど終わってんな」


「あっはは、そうかも? でもどこの地域も小競り合いはあるからねぇ、バビット族が住んでる九区でも種族間は険悪だし」


 会議室には私とノエルの二人きり、私はリラックスして会話していた。魔神演技は正直疲れる。ノエルから出てくる情報は興味深く、十区から一区にかけての情報で一気に世界が広がった。


「なるほどな、四区の荒廃都市ってなんだ?」


「なんか四角い岩がドカーンといっぱいある所で、大昔に人間が湧いてきた場所って話だけど、今は死霊しかいなくて陰気臭い場所だよ」


 ……四角い岩、ビル群か。人間は絶滅してると言う話だが、ビルごと転移してくるとなるとなにかありそうではあるか……八区より下に行きたくは無いけど



「なるほど、ならば区の番号通り、北から順に支配地域を広げるのが得策だろうな」


「九区のバビット族は耳が良くて素早いですよー!」


 ノエルは素早い動きでシャドーボクシングをしている、おそらくウサギのフィジカルなので、ただの人間である私なんかよりはよっぽど強いんだろうが、その動きは可愛いだけであった。


「バビット族って攻めちゃって良いのか?」


「バビットは家族は大事にするけど、種族でまとまって無いし、定住しないでほとんど出稼ぎに出てるから、見つけたら一匹ずつ口説くしかないんじゃないかな? 野生のは見た事無いねぇ、耳が良くて、よく逃げるし」


 ……夢のバニー村は存在しないのね。


「なら亜人族、ダークエルフから攻略しちゃおっか」


「おお、魔術使いの奴らですねっ! あいつらムカつきますからねぇ!!」


 ノエルは再びシャドーボクシングを始めた。


「えっ、魔術使いなの? それはちょっと早いかも、やっぱりもうちょっと弱そうな部族にしちゃおうかなあ……」



 その時突然、会議室の扉が勢いよく開いた。その中央にナガンが立っている。私はすぐに深く座ってた椅子から姿勢を正し、威厳ある声掛けを行う。


「フフフ……どうしたナガン、やけに気張っておるではないか」


 私の急な転身を、ノエルは呆気に取られた顔をして見つめていた。


 ……危なかった。ノエルと二人と思って完全に油断していた。魔神様演技、普段から使ってないと……ダメですかね?


 昨日説得したが、結局やって来たナガン。既に剣を六本構えており、いつでも飛び出せる臨戦態勢だ。


「決めたぞ、ササーガ!  貴様に死闘を申し込む! 今度は私が負けても蘇生はするな! 命尽きるまでの……」


 ……なるほど、観客の反応で負けた事までは認めたか、そこまでは計算通り。


 観客に対しては、ナガンの頭の中を溶かして殺したと、大々的に報告を行った。そして蘇生の為にテントを張ると言ってショータイムとしたのだ。私の勝利と蘇生は嘘だが、それもあとでナガンに会った観客が真実にしてくれる。……しかし、戦闘はもうやりたくない。


「すまん、決闘などしてる時間は無い。ちょうど今、次の戦争の会議をしていてな、ダークエルフと戦争をするのだ」


 それを聞いてノエルの耳がピタピタと動いた。


「えっ! それもう決定だったんですかっ!」


 ……くっ! そこは反応合わせてくれ……!


 しかし、その一言でナガンは構えを緩めた。


「ジャシャシャ!  ダークエルフと戦争だあ?  やつら奇妙な術で森をうねらせ、足取りをつかません、戦争など成立する訳が無かろうが!」



 ……そうなんだ。

「ナガンよ、だからお前は戦争にありつけないのだ、既に計画はある」



「ええっ!? そうなんですか、流石ササーガ様! 私もダークエルフって、どうやって捕まえるか気になってたんですよ!!」

 ……ノエル、お前は騙されるな! 騙す側だ……っ!!


私は額に手を当て、不敵に笑って見せた。


「ククク、エルフと言えば森焼き……だろ?」


 それを聞いたノエルとナガンは、無表情で固まり、無言で私を見つめていた。

 ……なんだよ! その反応……なにこれ、滑ったの!?


 しばらく沈黙が走り、ノエルの唖然とした顔から、口角が歪んで上がった。

「森焼きなんて、恐ろしい事……そんな平気でおっしゃるとは……」


 ナガンも引きつりながら、目を見開き、口角が上がっている。

「貴様……まさに本物の悪魔じゃな……」



「ぬかせ、我を悪魔ごときと並べるのではない。我は魔神、魔界教皇ササーガである……!」



 ……森焼きって何!? 私、そんな恐ろしい事言ってるの……!?



 勢いとその場しのぎの発言で始まった計画だったが、止められぬ歯車が、侵略の炎は既に、魔界の北端から小さく広がり始めていた。



 魔軍内訳

 ササーガ・人間、食料枠

 アトラ・象の体躯とゴキブリの速度

 ノエル・経理、情報、バニーガール

 コボルト軍・工兵、1400人

 ディグラス・無限の食欲、制御不能


 ナガン・剣の達人、ゲスト枠



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