第43話 文化祭その七 ~休憩所~

 生物部のコオロギ大脱走騒動をなんとか鎮圧し、冷や汗を拭いながら帰ろうとした矢先に、今度は迷子の姉弟を発見。

 必死の思いで迷子センターに送り届け、ようやく一息……と思ったのも束の間。今度は水泳部の屋台がメイドに対抗して「水着エプロン焼きそば」とかいう暴挙に出始めたとの通報が入った。

 流石にコンプラ的にマズすぎる。もはやテロ行為だ。文化祭実行委員の総力を挙げてこの蛮行を阻止した。


 実行委員。覚悟はしていたけど、当日のトラブル対応がここまで戦場だとは思わなかった。


 そもそも私、野々宮清美が文化祭実行委員に立候補したのは、自分をあえて困難な状況に置いて成長させるためだ。俗にいうパワーレベリング……リア充的に言い換えれば「自分磨き」ってやつである。

 願ったり叶ったりではあるはずなのだ。


 それもこれも、リトっちとの関係が進んでいない原因が、私の未熟さにあると思ったから。

 要するに、大学生のリトっちと比べて、高校生の私はガキ過ぎるのだ。精神的にも、経験値的にも。

 そもそも進展云々以前に、これが恋かどうかすら未だに自分の中であやふやなのが不味い。彼女とどうなりたいか、ビジョンが見えてないのだ。


 とにかく何でもいいから一つの活動に打ち込んで、成功体験というやつを積めば、ほんの少しでもあの人の隣に立つにふさわしい「大人」に近づけるかもしれない。そうすればいろいろと見えてくるものもあるかも……。そんな安直な計算があった。


 しかし、まあ、なんというか。

 そのせいで、文化祭当日に折角遊びに来てくれたリトっちを放置して迷惑をかけてしまっては、元も子もないのであった。


「リトっち~! ごめん! お待たせ!」


 私が再びリトっちと合流できたのは、映画の後別れてから実に二時間も経過した後だった。

 柔らかい日が差し込む中庭のベンチ。

 喧騒から離れたその場所で、彼女は文句ひとつ言わず、絵画のようにきれいな姿勢で座って私を待ってくれていた。


「お疲れ様、清美。とりあえず、一息つきなよ」


 駆け寄る私に、リトっちはスポーツドリンクのペットボトルを差し出してくれた。ありがたい。走り回りすぎて、水分補給する暇さえなかったのだ。


「ありがと、いただきます」


 キャップを開けて、一気に半分飲み干す。喉を通る冷たい爽快感が、体中に溜まった疲労の熱を吹き飛ばしてくれるようだった。

 ボトルを手に、リトっちの隣に腰を下ろす。隣から香る落ち着いた香水の匂いに、張り詰めていた神経がようやく緩んだ。


「大変だね、実行委員」


「イヤほんとに。トラブルだらけっすわ。あーしの学校、アホばっかりかも」


 コオロギの脱走は百歩譲って事故だとしても、水着エプロンは完全にテンション上がりすぎたバカの所業だ。思い出すだけで頭が痛い。


「治安が悪くないならいいじゃないか。お祭りなんだ、少しくらいバカやってるほうが楽しいよ」


「そういうもんっすかねー。つか、待たせちゃってホントごめんなさい。退屈じゃありませんでした?」


「いいや、文化系の部活の展示を回ってたよ。どれも面白かった。あと映画をリピートしてたよ。やっぱり面白くてさ、三回も見ちゃった」


「あは、短編だからって見すぎでしょ」


 リトっちは楽しそうに笑ってくれた。その笑顔に救われる。

 もう一口ペットボトルのドリンクを飲みながら、しばしの静寂を楽しむ。

 耳を澄ませると、校庭の屋台村や体育館の方から、がやがやとにぎやかな声が遠く聞こえてくる。世界でここだけが切り取られたように静かだ。


「ねえ、清美。こうしてるとあの時のことを思い出すね」


「あー、水族館のテラスで閉園近くまでずっと駄弁ってた時のことっすか?」


 そう言えばあの時も、こんな風に喧騒から少し離れた場所で、二人並んでベンチに座っていたっけ。あの時も今日みたいにいい天気だった。


「てか、ようやく呼び方が戻りましたね。いつの間にかまた『清美さん』呼びになってて、ちょっと寂しかったっすよ」


「や、それは……ごめん」


「まあ、久しぶりだから良いんすけど」


「久しぶりだからというかなんというか……。キミの友達の前で呼び捨てはどうかと思って」


「そんなこと気にしなくて良いんすよ。好きに呼んでくださいよあーしのことは」


「そうだったね。そういう約束だった」


 リトっちは申し訳なさそうに手を合わせた後、改めて私の方を向いて、柔らかく微笑んだ。

 その瞳が、お日様の光を受けてキラキラと輝いている。


「あの時は、いろいろな話をしたね。好きな音楽とか映画とか、学校の友達の話とか」


「っすね。楽しかったすよ。リトっちのこといろいろ知れて」


「そうだね、あの時はまだ、ただの『ネットの友達』の延長でしかなかったから」


「ただの『プロアイ』仲間でしたね」


 懐かしい響きだ。でも、今の空気はあの時とは明らかに違う。

 心地よい沈黙が流れる。リトっちが、何かを言おうとして、言葉を選んでいるのが伝わってくる。


「……今はどうだろう」


 一転、リトっちの眼差しが真剣さを帯びて、私を射抜いた。


「今の私はキミの、『それ以上』になれているだろうか」


 どきり、と心臓が跳ねるような音を立てた。

 これは、そういう意味に受け取っていいやつ? それとも……。


「あ、あーしは……その」


 やばい、私、また顔真っ赤になってる。熱い。

 結局、私は自分の気持ちがまだ全然定まっていない。これがちゃんとした「恋」なのかすら、未だに自信を持って定義できていないのに。

 なにか気の利いたことを言わなきゃいけないのに……結局私は未熟なクソガキのままで、口をパクパクさせることしかできない。


「清美。私はね、キミのことが好きだよ」


「――っ」


 あ、やばい、心臓が、破裂しそう。

 先に、言われちゃった。

 心臓がさっきから早鐘を打って痛いくらいだ。頭も真っ白で、気の利いた言葉なんて一つも出てこない。

 でも、嬉しい。好きって言われて、すごく嬉しい。やっと言ってくれた。

 ――やっと?


 ああ、そうか私――。


「――待ってたんだ、好きって言ってもらえるの……」


 ポロポロと、目から涙がこぼれていくのがわかる。

 情けないなあ。もっとどっしり受け止めて、大人っぽく「私も好きです」って返す場面じゃんか、ここは。

 恋が何かわからない? 一体何に迷ってたんだろう。

 こんなに胸が苦しくて、こんなに嬉しいんだ。最初から恋に決まってたじゃん、こんなの。


「わ、わたし。わたしも、あなたがすきです」


 リトっちに縋りつくようにして、声を絞り出す。

 ホント情けないなあ。スズっちとかならきっと、もっとスマートに返すんだろうに。


「うん。待たせちゃってごめんね」


 リトっちの手が、優しく背中に回るのを感じる。

 柔らかくて、あたたかくて、大きな感触に包まれていくようだった。

 これが、恋が叶うってことなんだ。嗚呼、やっと理解わかった――。

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