「さくらの森の静かな声」——命の終わりに寄り添う人たちへ
@k-shirakawa
第1話 さくらの森の午後
義母が「さくらの森」に入居したのは、春の終わりだった。桜の花が散り、若葉が風に揺れる頃。施設の名にふさわしい、穏やかな季節だった。
初めて訪れたその日、私たち家族は少し緊張していた。義母は長年自宅で過ごしてきた人で、介護施設に入ることに抵抗があった。だが、明石施設長の柔らかな笑顔と、落ち着いた語り口が、その空気をすっと和らげた。
「ここでは、皆さんが自分らしく過ごせるように心がけています」
その言葉に、義母は小さく頷いた。中島介護士が義母の手を取り、居室へと案内する姿は、まるで家族のようで優しさをまとっていた。
義母の部屋は、窓から陽が差し込む明るい空間だった。壁には家族写真を飾り、愛犬のぬいぐるみをそっと置いた。義母はそのぬいぐるみを見て、ふっと笑った。
「しょうがない子ね」
愛犬の名前を口にしながら、義母はそのぬいぐるみを撫でた。私たちが飼い主ではあったが、実は義母が一番可愛がっていた。愛犬は義母の姿を見ると、甲高い声で鳴いて甘えたものだった。
施設での生活は、思った以上に穏やかだった。明石施設長は、入居者一人ひとりの表情をよく見ていた。中島さんは、義母の好みや習慣を丁寧に聞き取り、日々のケアに活かしてくれた。
「今日はお天気がいいので、少しお庭を歩きませんか?」街中に会ったため庭は施設の屋上だった。
そんな声かけに、義母は少し照れながらも応じた。歩行器を使いながら、ゆっくりと庭を歩く義母の姿は、どこか誇らしげだった。
私たち家族も、安心して仕事に打ち込むことができた。施設からの連絡はこまめで、義母の様子を写真付きで知らせてくれることもあった。その写真には、義母の穏やかな笑顔がいつも写っていた。
「ここに来てよかったね」
妻がそう言ったとき、私は心から頷いた。義母が安心して過ごせる場所を見つけられたこと、それを支えてくれる人たちがいること——それは、何よりの救いだった。
家族参加ができる遠足やお出掛けには妻は行けなくとも私は必ず参加した。
そして、私たちは知らず知らずの内に、「さくらの森」の静けさに、心を委ねていた。
つづく
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