19話

19

「榊さん!」

 次の月曜日。ダブリューライジング・商品企画第三課にて。

 自席で仕事をしている榊は、向太郎に呼びかけられた。

「中島くん、急にどうしたの」

「すみません、今業務中なんで手短に!」

 向太郎は一枚のポストイットを渡す。

「お願いします! それじゃ」

 そこにはこう書かれていた。

『今週金曜日の夜七時くらい、職場近くのファミレスで! 話したいことがあります』


 * * *


「えっと……? 中島くん? 君、何がしたいの……?」

 テーブルにはサラダ付きのステーキ定食、ミニピザ、サイドメニューのフライドポテト、ケーキ数種など諸々の料理──。

「え? 何って……これ、俺が全部食べるんですよ。まずは」

「え……? え?」

 向太郎にファミレスへ呼び出された榊は、混乱していた。

 その週の終わり。金曜日、夜十九時三十分頃。 

 流石は華の金曜日である。家族連れや向太郎たちと同じく会社帰りのような人間がごった返し、ファミレスでは少々待たされた。

 店員に席へ案内されると、向太郎はすぐにタッチパネルの機械をぶんどり慣れた手つきでメニュー番号を入力していく。

 無我夢中で自分の分を入力し終えた後、榊に「何か食べます?」と機械を渡す。

 榊が自分の分を入力し終え注文完了のボタンを押して──そして時間が経った頃。二人のテーブルに次々とメニューが運ばれてきた、というわけだ。

「全部食べるって正気……!?」

 榊は驚愕しながら尋ねる。

「勿論。俺、ライブの前とか勝負事の時は友達とファミレスでこうやってめっちゃ食べてスタミナつけるんです。アイドルのライブは長時間立ちっぱなしの叫びっぱなし。ほぼスポーツの試合とか、ちょっとしたハイキングとかと同じくらいカロリー消費するんすよ。ほら……腹が減っては戦はできぬ、って言うでしょ」

 向太郎は当然の如く答え、無心で料理をかき込んでいく。

(え……? 何この子……? 瑞季も時々突飛なことするけど、中島くんもよく分かんないんだけど……?)

 榊は注文したエビピラフを食べながら、掃除機のように口に料理が吸い込まれていく向太郎を見て、まるで未確認生物にでも遭遇したかのように口をあんぐりさせてその様子を観察する。

「ここまでよく食べると壮観だな……」

 奇妙な感想が浮かんで、思わずこぼしていた。

 そして──。

「あのさ……」

「ふぁい?」

「なんでオレのこと、ファミレスに呼んだの? てかさっきの戦がどうとか、って何?」

 真意を問いただす。

 榊の質問に向太郎は口の中に入っていたステーキの一切れを飲み込んで、発言する。

「ああ、そのことですか。こないだ榊さんから高下主任を諦めろ、とか言われて宣戦布告されたので仕返しですよ」

「し、仕返し……?」

「そ。話したいことがあるから、二人きりで話せるところ、色々考えたんです。まず密室だからカラオケがいいかなって思ったんですけど、歌わねえのに行くのも微妙だし、ネカフェもなんか違うし……。で、ファミレスが思い浮かんだわけ。ここなら一応仕切りついてるし、周りはうるさいから誰も俺たちの話なんか分かんないでしょ」

「そ、そう……かな……?」

 向太郎の理屈に対して納得がいっていないが、榊はひとまず流すことにした。

 すると。

「ああ、それから……」

 何かを思い出したらしい向太郎が、小馬鹿にするようににやつく。

「別に雰囲気もクソもないけど、ここで十分でしょ? 高下主任となら、もーっとオシャレでいいところに連れてくんだけどなあ〜」

 ──カチン。

 目の前の男からの挑発に、榊の頭の中ではそのような擬音が浮かんだ。

 不意打ちで向太郎が頼んだショートケーキを、勢いよく苺ごとフォークで刺して自らの口に運ぶ。

「あー!? 俺のショートケーキ! しかも苺ごとなんて……! 何するんですか!?」

「沢山頼んでるんだし、一つくらいいいでしょ。あ、オレが食べた分は払うよ」

「そういう意味じゃねえよ! ああ〜……もう! ケーキの中でそれが一番楽しみにしてたのに〜……! 後でゆっくり食べようって取っといたのに!」

「だって食べちゃいけない、なんて言われてないから」

「めっちゃムカつく!」

「ははっ。好きなものは最初に食べておくべきだったね、中島くん」

「……俺、榊さんとマジで主義主張合わねえかも!」

「奇遇だな。オレもそう思う」

 榊はショートケーキを食べながら、優雅な所作でコーヒーを飲む。思わぬ子どもじみた反撃に、向太郎は恨めしい表情で睨んだ。

「……榊さんって会社の時と俺といる時、全然違う感じですよね。ラスボスって感じがする」

「……どういう例えだよ、それ」

「いや、なんか……会社にいる時は高下主任とか皆には男アイドルみたいにキラキラしてて愛想良いのに、俺にだけ愛想悪いし意地も悪いことしてくる。威圧感かけてくるし。前に連れて来られた高そうなバーも高下主任とのデート場所とかだったし、ほんっと気味悪ぃ」

「そりゃそうでしょ。恋愛のライバルに優しくしてどうするの」

「……敵に塩を送るってことわざ、知ってます?」

「オレは敵と思った人間には徹底的に排除するタイプだから、そういうことはやらないよ。やっても無駄だし。合理的じゃないよね」

 余裕そうな笑みを浮かべる榊に、向太郎は苦虫を噛み潰したような表情をした。

「……いきなりファミレスなんかに来いって言うから最初は驚いたけど、ようやく状況を把握できたよ」

「会社では業務中呼びかけてすみませんでした。ていうか、あの時の答えが出せました」

「……ふーん?」

「で、答えなんですけど。俺は高下主任を諦めない、です」

 普段の業務中では聞いたことがないような、向太郎のはっきりと芯の通った声だった。

「榊さんと高下主任がまだ付き合ってないなら、俺が高下主任をもらいますから」

 榊にとって、予想外の答えだ。

「……オレ、あの時君に言ったよね。性的指向は中々変えられないから、ゲイの瑞季を満たすことはできないって」

「そうですね。今までは俺は女の子が好きで、当たり前に女の子と付き合ってました。理想のタイプは推しの女アイドルとか、清楚系巨乳美人だったし……」

「君、本当に男の子、って感じのテンプレのタイプだね……」

 榊は肩をすくめる。

「君と瑞季がくっつくだなんて、色んな証拠を出してあり得ないってことは散々説明したはずなんだけど。それで? 話の続きは?」

 促された向太郎は、先程のように迷いなく言葉を発した。

「まあ、この通り……異性愛者でしたけど。それを超えて、俺は高下主任が好きなんです。少しでもいいから、俺といて幸せだなって、高下主任にいつか思わせたい。そうなれるように頑張りたいと思ってます」

 話を聞きながら、榊はコーヒーとショートケーキの残りを味わう。

「……駄目押しで繰り返し言うね。オレは君に、頭と本能は違う、今まで刻まれた価値観は身体にずっと染み付いてるよ、ってことも言ったよ」

「……はい、覚えてます。だからこそ、高下主任と話し合ったり、あの人が大好きだって意思で、歩み寄りたいんです」

 向太郎の結論。

 榊はくすりと笑う。

「……甘いね。口で言うほど簡単なことじゃないと思うけど?」

「確かに、難しいことかもしれないです。高下主任を悲しませることがあるかも。……でも、そうなっても。高下主任を見捨てないで、支える準備はできました」

 向太郎からいつもの無気力な様子はとうに消えた。

 榊の脳まで射抜きそうな、「高下を愛し抜く」という意思が宿ったような目。信念のある微笑み──。覚悟した男の顔つきに変わって、宣言した。

「高下主任のためなら、本能なんか捻じ曲げてやる」

 啖呵を切られた榊は、食べ終わったショートケーキの皿を隅に置いて、再びエビピラフの皿を手前に持ってくる。

「……中島くんって、変わった子だね」

「そうですか?」

「うん。普通はさ、今までの自分の価値観のほうが正しい、って思っちゃうじゃん。だからもし同性を好きになったとしても、中々認められないんじゃない? 君みたいに思い切りがいい子は初めて見た気がする」

 そう言うと、食事を再開した。一方の向太郎も、ステーキ定食を食べ終わりミニピザに手を付け始める。

「……そうですね。俺も最初は高下主任を好きなことを認められなくて、あの人のことをずっと『仲が良すぎる友達』だと思い込んでました。実家では父さんと俺以外男がいなくて、他の家族は皆女ばっかりだったから、高下主任は俺にとって兄貴みたいな存在になってて甘えたくて……多分それが暴走したのかなーって……悩みました」

 向太郎は苦笑した。

「……そうやってもたもたしてたら、色々出遅れちゃったんですけどね。しかもまあ……あることで失言して怒らせちゃったから、今あの人と絶交状態っすよ。榊さんに大見得切ったけど、情けないですよね。俺って……」

 そのまま、向太郎はミニピザを食べるのを少し中断する。

 榊は何か事情がありそうだと察したが、詮索せず「そっか」としか答えなかった。

「でも、さっきも言ったけど。色々考えた結果……やっぱり俺は高下主任を諦めたくないですよ。あの人のためなら、性的指向なんて超えてずっと一緒にいたい。あの人にはそれだけの価値がある。……榊さんだってそう思うから、大手のエリートだったのに新興のうちの会社なんかに転職してきたんでしょ」

 向太郎の指摘に榊は静かに頷く。右手側にある、コーヒーの水面をぼんやりと眺める。そしてゆっくりと向太郎に言葉をかけた。

「……中島くんはさ、嫉妬しないの?」

「何が」

「オレ、こっちの会社に来てびっくりしたんだ。……瑞季が、他の社員と仕事の話以外でも色々雑談してたこと。話しかけられてたこと。あいつ、前の職場ではオレ以外にちゃんとした話し相手なんかいなかったから、絶対見なかった光景だった」

 営業職で二人が同期だった時代のことが、榊の脳裏に浮かんだ。

 事実無根の噂や陰口で、煙たがられていた高下。それを良しとして自分以外にまともな人間関係を築かせなかった。

 それが、二人が別れた後の数年間で様変わりした。高下は社員に話しかけられて、笑っていた。

「……正直、見てて頭がおかしくなりそうだった。オレだけが、瑞季の良さを知っていればいいのに、って。笑いかけんじゃねえよ、って。じゃないと……オレなんか──」

 ──高下に黙ってアメリカに行かれた理由の一つ。それについて、榊は彼に捨てられたんだろう、と内心考えていた。

 喧嘩別れして、高下がアメリカへ転勤してしまって以降音信不通になり、榊は一時期不眠症になっていた。時折、二人で撮った写真を眺めては部屋で泣いたこともある。文字通り、榊にとって高下は唯一無二の存在だった。

 だから転職した高下を長い間探して、探して、探して、探し当てて。新しい勤務先が判明すれば、眠れない夜には転職サイトの検索欄で会社名を書き込んで、スマートフォンの画面を連打し続けた日々を超えて──。

 打合わせ室で数年ぶりに対面した日。変わらない高下の美しい顔を見て、本当は抱きしめたかった。今度はオレを置いて行かないでくれ、と足元に縋りつきたかった、と榊は回想する。

 それくらい、ずっと会いたくて焦がれていた。

「……オレと瑞季が別れた理由。あいつの海外転勤だったんだ。あいつはキャリアを積みたいから勝手に決めたって言い張るけど、オレは本当の理由はそれだけじゃないんだと思う」

「……? どういうことですか?」

「……オレは瑞季に、愛想尽かされたんだと思う。外面ばっかり良くて、中身がないのがあいつにバレて、きっと捨てられたんだろうなあ……」

 なんでもそつなくこなすゆえに、熱中するものがなかった──そんな榊と違って、高下は芯の強さも秘めていて、将来の展望をしっかり持っていた。

 周囲と関わったら、皆高下に魅了される。

 もし、高下が周囲と打ち解けあえて健全な関係を持てるようになったら、彼に空っぽでつまらない人間だとばれて落胆され見限られてしまうだろう──だから彼に対して「お前を理解できるのはオレだけだ」と甘く洗脳し続けたし、周囲に弁解もせず悪化する状況を利用して束縛した──。

「……そう、かな? 高下主任は、そんな酷い人には見えないよ」

 コーヒーの水面に映る歪んだ自分の顔を眺めて、今までの行いを省みると向太郎が否定する。

「俺、たまに業務であんたたちが出かけるところ見るけど、高下主任は榊さんを頼りにしてると思います……。俺が、悔しくなるほど」

 榊は顔を上げた。

「榊さんは、失望されて捨てられたって思ってるみたいだけど。そんな人なら、あの人が仕事でいつも側に置かないと思います。何か、理由があるんじゃないか、って思います」

「……理由?」

「はい、内容までは流石に分からないですけど」

「ははっ……そうかな。そうだと、いいな……」

「榊さんでもこんな悩み持ってたんですね」

 向太郎が慰めた。

「まあ、榊さんが不安になるのも分かるよ。高下主任って言葉足らずすぎるしさ。本当は優しくて……ちょっと熱血タイプ? そういう面白い人なのにいつも意地張ってて損してた。ああやってちゃんと他人と仲良くできるようになったのも、つい最近の話なんですよね」

「……え、そうなの?」

「はい。それまでずーっと他人と仲良くしたいくせにできなくて、寂しそうにしてたんです」

 同期として働いていた頃も、他人から正当に評価されたがっていた高下の姿。

 榊は、向太郎の言葉に心当たりがあった。

「……あと、榊さんからの質問の答え。そりゃ、俺以外の人と笑って話してるともやっとすることもあるけど。俺はそれ以上に、あの人が他人と楽しそうにしてるほうがいいなーって思いました」

 向太郎は嬉しそうに語る。

「……俺以外にでも、ちゃんとあの人を見てくれる人が増えるのは嬉しいよ。だって、あんなにいい人がずーっと独りだったなんて、可哀想じゃん」

 ──俺は、中島くんと同じくらいの頃……そんなこと全然考えられなかったな。

 榊はミニピザを再び食べる向太郎を見て、悟る。

「……だからかな? 俺も周りのやつらに負けないように、高下主任に釣り合うやつになりたいと思ってます。俺、夢ができたんです」

「……夢?」

「高下主任が企画した、化粧品を売ること。だから人事調査で、営業部に行きたいって希望出しました。まあ、この話は高下主任を好きって自覚する前の話なんですけど」

 向太郎は控えめに微笑んだ。

「……俺、今までずっとこのまま楽に生きてえって思いながらダラダラ過ごしてました。今の部署はそんなに難しい業務ないし、定時で帰れるし、趣味に時間使えてサイコーって。でも、あの人の仕事の考えが、俺の考えを変えてくれたから……」

 向太郎はどこかへ想いを馳せた眼差しをして、遠くに目を向ける。

「で、俺は……営業マンになって、高下主任の支えになりたいんです。あの人の作った商品、色んなところに売り込めるような、ね」

 目標を口にした後、向太郎は得意げにしつつも「まずは高下主任と仲直りするところから始めなきゃですね」と前向きに振る舞い、食事を続けた。

 ──ちゃらんぽらんなやつだと思ってたのに、侮りすぎたな。

 榊は食べっぷりの良い向太郎を見ながら、隠れて少し笑う。高下が彼に恋をした理由がなんとなく理解できた気がする。

(きっと瑞季も……中島くんのこういう、打算がなくて献身的で、度胸があるところが好きになったんだろうな)

 向太郎というライバルへの感心と、向太郎を好きになった高下への少しのシンパシーを感じながら、榊はコーヒーを飲んだ。


 

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