7話
7-1
白石が退職した翌日。木曜日。
向太郎が、業務のルーティンで商品企画第三課に備品を補充しに来た。
何の変わりもなく、派遣社員の橋本に備品管理簿へのサインを求める。
「あ、高下主任……」
向太郎がふと課内のパーテーションのある一画を見ると、高下が出てきた。
しかしどことなく違和感を感じる。
(なんか……いつもと違うな……)
高下が無表情なのは相変わらずだったが、きびきびとした雰囲気がなかった。
覇気がない。
「え……あの人、なんか今日暗くないですか?」
向太郎が橋本に問いかける。
「え、そう? いつもと同じじゃないかしら?」
橋本は、朗らかな声で答えた。
(ええ……? 皆気付かないもんなんだ……。まあ、ここには働きに来てるしな……。他人のことなんか気にしないよね。俺もだけど)
心中で呟きながら向太郎は、ありがとうございます、とサインを書いた橋本から備品管理簿をもらう。
業務が終わったので立ち去ろうとすると、そういえば、と橋本は何かを思い出す。
「白石さんが退職したのよね」
「え、誰」
「いや、ほら。あそこの右の席の子いたでしょ。ショートカットの子」
橋本は、社用パソコンだけが置かれた課内の右奥の席を指し示す。
向太郎は、いつか見た泣きながら高下の区画から出てきた女性社員だ、と思い出した。
「昨日、最後の出勤日だったの。彼女」
橋本が世間話を続ける。
「結構あの子、高下主任から色々言われてたから……。ついに退職者が出たって、送別会前から課内でちょっとした騒ぎで持ちきり。高下主任、課長に呼び出されたんだってね。というか、今まで辞めた人がいなかったのが奇跡よね〜」
* * *
ラブハニのライブDVD鑑賞会当日。
向太郎は高下の家の最寄駅に着いた。出口に向かって階段を下る。
前日に高下が最寄駅から自宅まで案内する、と連絡があったので、駅の近くで待ち合わせをしている予定だ。
階段を下って、ワイド改札口を通る。
今の時刻は昼十三時。周囲にはコンビニが一、二軒あるくらいの閑静な住宅街で、人はまばらだった。
「中島くん」
「あ、こんちは。高下主任」
向太郎は、待ち合わせをしていた高下に呼びかけられた。
高下は、アイボリーのVネックのトップスとダークブラウンのボトムスを着ていた。
以前コラボカフェに行って遊んだ時よりいくらかラフな服装だ。
一方、向太郎はというと。
「……なんか君、コンビニの前でたむろしてるヤンキーみたいなんだが」
「ねえ、なんで俺の私服見たら皆それ言うの?」
着心地と機能性重視のゆったりとしたグレーのトレーナーに、だぼっとした黒いスウェットパンツ。
無造作な黒髪。いつも通りの無気力そうな目つき。
手にはライブDVDや菓子が入った水色のエコバッグを持っている。
自称「省エネ主義」らしい、ゆるいコーディネートで向太郎は遊びに来た。
二人でそのまま高下の自宅に向かうために歩き出す。
「何でもいいとは言ったが……まさかここまで寝間着みたいな服で来るとは思わなかったぞ」
「はあー? 寝間着じゃねーですぅ。失礼な。これでも手持ちではよそ行きの服だし」
思わず砕けた口調になる向太郎。その反応に高下は小さく吹き出した。
向太郎は、少しむくれた表情で続ける。
「……渋谷の時みたいな服は、あの時のために買って着たやつなんです。本来俺はこういう服ばっかりしか持ってない……」
「なんでそんなわざわざ服を買ったんだ……」
「街中だし、あんたは性格的にきっちりした服着てくるだろうから、一緒に歩いた時に恥かかせたくなくて……」
「俺のために、か?」
「……うん」
「……別に、そこまでしなくたって良かったのに」
高下は少し驚き、声が上擦っていた。
このように二人で雑談をしながら歩いていると、高下の自宅マンションの前に着いた。
白い十一階建てのマンションだった。
エントランスにはオートロック機能のドアがある。高下がそれに暗証番号を打ち込み、二人で入る。
「なんか普通のマンションって感じ」
向太郎は意外そうにキョロキョロ周囲を観察する。
そのままエレベーターに乗り込んで、高下は六階のボタンを押した。ドアが閉まる。
「高下主任はタワマンの最上階とかに住んで、毎日ワインとか飲んで、夜景とか優雅に眺めてるイメージあったわ」
「なんだそのステレオタイプのイメージは……。俺は快適に住めればどこでもいい。その辺にいる、普通の男だよ」
「いや、あんたみたいなイケメンわんさかいてたまるかよ」
六階に到着し、エレベーターのドアが開く。向太郎は高下のあとをついてマンションの廊下を歩いた。六二〇号室の前で高下は立ち止まり、鍵を回した。
「お邪魔します……」
借りて来た猫のように、向太郎はおずおず部屋に入る。
書斎として使っているらしい独立した部屋とリビングやキッチン……といった1LDKに高下は住んでいた。外にはバルコニーがある。中は広めで、自分の住む木造アパートの部屋とは違うな、と向太郎は感心した。
部屋の中は暖かみのある木材の家具で統一されており、几帳面な高下らしく掃除が行き届いて整理整頓がされていた。
向太郎は高下に持ち寄りの菓子を渡した後、洗面所へ手洗いを促され従う。
その後、どうすればいいか分からず立ち往生していた。何気なく見渡すと、リビングの棚が目につく。映画のDVDが沢山収納されているようだ。
「ね、高下主任。映画好きなの? どんなやつ持ってるのか知りたい。そこの棚、見てもいいですか?」
「ああ」
高下の許可を貰い、向太郎はベージュ色の棚に並ぶDVDのタイトルを順に追っていく。
(ジャンルはヒューマンドラマ、フランスの恋愛映画、たまにサスペンス映画……。俺の好きな、アメコミ映画とアニメはないな……)
棚にあるのは、配信サービスにないような古い映画や珍しいタイトルが多い。
予想通りだな、と思った。高下らしいジャンルの好み。
そして向太郎はメッセージアプリのやり取りを思い出す。高下は時間が空いた時はジムに通って身体を鍛えている、と以前話していた。
叙情的な映画を鑑賞し、身体作りをするエリート。高下は世間が考える「ハイスペックイケメン」のイメージそのものだ。
(なんで高下主任はラブハニ……おとめくんが好きになったんだろう?)
向太郎は一つ疑問に感じた。
高下は現在俗っぽい「アイドル」を生き甲斐としている。
それは今までの高尚的な趣味や人生と対極にあり、結びつかないように思えた。
こんな「ハイスペックイケメン」がどうやってラブハニを知り、どうして彼女たちにのめり込むようになったのか。
向太郎はその理由を考察しながら、そのまま並ぶDVDを見続けていた。
向太郎が映画のDVDの棚を見終わった後、二人で並んでリビングのソファに座る。
照明は映像が見やすいように、少し薄暗くした。
清潔感のあるガラステーブルの上にあるのは、向太郎が持ち寄ったポテトチップスが入った器といくつかのチョコレート菓子の箱、高下が入れた飲み物のグラス。
既にライブDVDのセットはしていた。
高下がリモコンを押すと、天井からスクリーンが降りて来た。
そのまま、テーブルからDVD一体型ホームプロジェクター用のリモコンに持ち替える。後ろを向いてボタンを押すと、メニュー画面が映し出された。
「おお! これがホームシアターってやつ!? すごいですね」
高下が操作を続ける中、向太郎が褒める。
「めっちゃお金かかってそう」
「まあ……少しだけ、な。趣味が映画鑑賞だからアメリカにいた頃、それ用の機材を買ったんだ。少々本格的にしてみただけだ」
高下はコホン、と一つだけ咳払いをして照れた。
本編再生のボタンが押され、ライブ映像が始まった。
画面上のペンライトの海。野太い男性たちのラブハニを呼ぶコール。
「臨場感、うちのテレビとは段違いです」
「そうか。何よりだ」
向太郎は感動した。高下は得意げに笑う。
小さなテレビ画面よりも大画面のスクリーンの方が当然圧倒的に迫力が違う。音響機器も値段が張るものなのか、スピーカーからの音に深みがあった。
趣味も仕事も手を抜かない、高下らしいこだわりを感じる。
『みんな~! 会いたかったよ~!』
今まで向太郎が何度も聞いた木苺みくるの叫び。
彼女の声が、リビングに響いた。
二時間半程度のライブ映像が終わり、メニュー画面へと戻る。
高下がリモコンを操作している。時刻を見ると、まだ十六時前くらいだ。
他人の家なのであまり居座るのも良くないが、解散するには少し早すぎる時間だ、と向太郎は考える。
「高下主任。まだ俺がここに居てもいいなら、今週のゆか姉のドラマ見ませんか」
「いいぞ」
「この配信サービスって、プロジェクターに繋げたら見れます?」
向太郎が自身のスマートフォンを見せると、高下は頷いた。そのまま高下は渡されたスマートフォンをプロジェクターに繋げて映像を再生した。
ゆか姉こと、ラブハニの紫担当・若草ゆかりは女優業もしている。
地上波ドラマだとまだサブ役止まりだが、ネット配信ドラマでは恋愛ものの主役だった。
彼女が主演のドラマのあらすじは以下の通りである。ゆかりの役はクールなキャリアウーマンで、無邪気で素直な部下と恋をするラブコメディ。よくあるストーリーのドラマだ。
向太郎や高下のようなラブハニのファンは、毎週配信されるこのドラマを欠かさず視聴している。
「ぎゃあああああ!? ゆか姉、それは……! それは! 駄目でしょ!?」
向太郎が本編開始早々、手で顔を隠し過剰に騒いだ。
ドラマの内容が先週から今週にかけて佳境に入り、長い黒髪を緩く巻いた右目の泣き黒子が特徴的な女性──ゆかりが演じるキャリアウーマンが部下役の俳優に腰に手を添えられ、情熱的にキスをされているからだ。
「駄目だって! こんなの、みくるん推しの俺でもショックだよ! やだあ! 俺たちのゆか姉を返せよイケメン! キス長えんだよ!」
「……うるさい。黙って見ろ」
「うえええ……俺たちの……俺たちのゆか姉がああ……男と、キキキキス……なんでぇ……」
「……そりゃ、恋愛ドラマなんだからキスシーンくらいあるだろう。逆にない方がおかしい」
向太郎は「うええ〜」と泣き真似をし、高下はそんな彼を見て冷静に全ての発言に指摘した。
「……高下主任、マジレスすんの止めてくださいよ」
向太郎はいつの間にか泣き真似を止め、わざとらしく高下を睨んだ。メッセージアプリ上でやるような、軽口を言い合うじゃれ合いの合図だ。
いつもなら高下もこの手の冗談にノってくる。だが、今日の彼は意外な反応をした。
「……全く。君は……」
何も言い返さず力無く眉を下げて微笑むのみだった。
そのまま「ほら、話の筋を見逃してしまうぞ」と、スクリーンの方を向くように向太郎へ指示する。
向太郎は先程から、高下に対して違和感を覚えていた。
ライブ映像を鑑賞していて、感想を話しかけても高下はちゃんと返答してくれる。しかし、どことなく上の空なのだ。
(今日ずっと、この人の様子がおかしい)
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