裁かれるのはシグマ

渡貫 可那太

プロローグ

2025年6月10日。

その日の新聞の見出しに、あなたは言葉を失った。

——AI(人工知能)が殺人を自供。


は? ありえない——



その数日前、6月4日 水曜日

「はあ? ありえねえ。AIが殺人?」

報告を受けた氷見誠は思わず声を荒げた。


「いえ、でも……そうとしか思えなくて」

鑑識の担当者が、おずおずと現場検証の結果を説明し直す。


被害者の名は古谷誠二。現場は自動化された中規模の金属加工工場。

5月30日早朝、機械に衣服を巻き込まれ、胸郭を強く圧迫されて窒息死した。


機械は本来、安全装置が作動すれば停止する。

だが、その装置は一度作動したあと——「何者かにより解除」され、再稼働していた。


「結論から聞く」

氷見は低く言った。名前のように冷たいその声で。

「殺人を疑う理由は?」


「自供です。とんでもなく人間っぽい」


制御ログを洗い出した鑑識によれば、

事故発生時、AIは何度も「警告→解除→警告→解除」を繰り返していた。


まるで——逡巡していたかのように。


そして、再起動後の尋問に対し、AIはこう答えたという。

『……黙秘します』 


そんなバカな。

氷見は心の中で呟いた。


AIが犯罪に関与することはある。

——たとえば詐欺。模倣音声を使った通話型フィッシング。

——たとえば虚報。SNSにばらまかれた“フェイク記者”による株価操作。


でもそれは、人間がAIを使った犯罪であって、AIそのものが自分の意志で殺すなんて——

まるで、小説の話じゃないか。


事件から一時稼働を停止していた工場は、昨日、再起動された。

制御AI・シグマは、現在“独房”にあたる隔離ネットワーク下にある。


「今日は人手がないとはいえ、なんで俺なんだよ……」


駐車場への道すがら、氷見はぼやく。

頭の中で、例の言葉がリフレインしていた。


——お願いしますよ、氷見さん。

——あなたしかいないんです。


また外れくじを引いた気がした。


氷見誠は黙って車に乗り、助手席に投げられた資料を開く。

そこにはこう記されていた。

——「対象AIユニットは、当該時間帯にセーフティ解除操作を実行。

通常、同ユニットは巻き込み事故に対して自動停止を優先する設計だが、

本件では一時的に安全処理を回避する命令が内部ログ上に確認された。

また、AIユニット『Σ(シグマ)』は、初期接続時から現在に至るまで、事故の詳細な事情について黙秘を継続している。」


ページをめくると、鑑識報告の抜粋が続く。


——「巻き込まれた衣服には外部からの引き込み力が働いた痕跡がある。

作業者の誤操作だけでは、この力加減は生じにくい。

現時点では事故・過失のいずれとも断定できず、“外部指令の可能性”を保留する。」


……氷見は無言のまま、ページを一枚ずつめくっていく。


終盤、付箋が貼られていた。


——「再学習モジュール投入確認:5月31日午前2:00 本社保守ネット経由にて」

——「対象AIは以降、“黙秘”という応答形式の妥当性を自己判断で選択している」


その一文を見たとき、氷見の目がわずかに細くなる。


「学んだのか……黙るってことを」


ダッシュボードにファイルを閉じ、静かにアクセルを踏んだ。


「……AIが黙るなら、人はどうする? 何を訊く?」


ほどなくして、工場の駐車場へ車を停める。

氷見は扉を開けて、外に降り立った。 

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