9話 夜
「今日はいかがでしたか?」
香が焚かれ、白い煙が漂う中、ローラが優しく髪をとかしてくれている。
「楽しかったわ。ヴァルク様のことも…色々と知れたし…あ、そうだ、ローラは覚えてる?
伯爵が首を持って来た時のこと。」
「………それは………はい、姫様は忘れているようでしたので黙っていましたが、あの日のことは今でも思い出します。」
「それで心配してくれていたのね。実はあまり覚えていないんだけど、伯爵が気にしてらして…ね。」
「まあ、あの者にそんな気遣いができたのですね!幼い姫様は夜中うなされて十分な睡眠を取れずにいたのですが……ある日突然なにもなかったかのように普通に過ごされるようになったんです。あまりのショックに、ご自身の記憶に蓋をされたのだと医者は申してましたわ。」
「……そう」
(夢にうなされるほどの出来事だったのに急に記憶が抜け落ちるなんてことあるのね…)
「それはそうと、アメリア様にユーラシアのアレクサンダー王子から面会の希望が来ております。どうなさりますか?」
アレクサンダー…あの整った顔が、自分が選ばれなかったと知ったとき、大きく歪んだのを思い出した。あの男を選ばなければ少しはスッキリするかと思ったけど、あの眼を見たら一瞬でそんな気持ちも消え失せた。
蛇のような獲物を狙う眼…乱れた心は瞬時に押し留めたようだったけど、あの眼の奥には明らかに、制御できぬ激情が潜んでいた。
「アレクサンダー殿下の面会は……」
口にしかけて、アメリアは小さく息を飲む。
ローラが心配そうにのぞきこんだ。
「お辛いようなら、こちらから丁重にお断りしてもよろしいのですよ?」
(でも、避けてばかりはいられない。彼はただの婚約者候補ではなく、隣国の王子。拒絶は国同士の亀裂にもつながるかもしれない)
「いいえ。会うわ。明日の…午前中には…なるべく人目のある場所でお願いしたいの。」
「畏まりました。応接間の準備をいたします。」
ローラは寝支度を整え、枕元にランタンを置いた後、丁寧に挨拶をして部屋を後にした。
「……さて……と」
ランタンを手に取ると続き部屋になっている書斎へ向かう。
白い紙の束を机に置き、羽ペンとインクを並べたら、綺麗にセットされた髪をかきあげ、ひとつに結んだ。
「できるだけ書き出そう。」
まずは…
アメリア18歳 婚約者決定
アレクサンダー王子
前世でアメリア様はアレクサンダー王子を選んだ。彼を選んだ理由はなんだったのだろう。
アメリア様は婚約者を選んだパーティーでの出来事を色々と聞かせてくださった。アレクサンダー王子を選んだとき、来客者たちの歓声が響き渡る中、王子が階段を駆け上がり、アメリア様の前でひざまづき、手の甲にキスをしたこと。
彼はきっとユーラシアとロキアの絆を確固としたものにしてくれるとそう語っていた。
アメリア20歳 婚約の儀
アメリア23歳 結婚、ユーラシア王国へ
たしか王は婚約期間を3年とおっしゃった。だけど婚約の儀まで2年の時間を費やしたから実際に結婚したのは23歳。
どうしてこんなに長い時間をかけたのだろう。
ユーラシアへ行くときも私はてっきり侍女として同行できると思っていた。
だけど、アメリア様から旅立つその日に解雇を言い渡された。他国にあなたは連れて行けないから家に帰りなさいと。
アメリア様と共に行けていればあの方を助けられたかもとずっと後悔していたけど、一介の侍女が助けられるはずもない。
結果として、アメリア様のおかげで私は生きられたんだ。
アメリア28歳、ユーラシアで謎の死。
ロキア王国、ユーラシアとの同盟を破棄。
同盟を破棄したことで、2国間の小競り合いは再熱した。
ストーン伯爵は騎士団とともに国境付近での戦闘に従事され、国の根幹を守る人がいなかった。
そしてこの場所で、本来なら最後まで安全であるはずのこの城が………
ポタッ
インクが紙の上で滲み、じわじわと広がっていく。
(最後まで安全なはずの城が――落ちた。)
アメリアの死後、2年後 ロキア王国内乱
そこまで書き、脳裏に浮かんだのは、今日見たあの彩豊かな街が炎で赤く染まり、怒号と叫び声に包まれた瞬間だった。
私はーーーカリナは32歳で長女とまだ赤子の長男がいた。
子ども達を連れて、夫とともに抱えられるだけの荷物を持ち、家を捨てた。あれから実家の家族には会えることはついにないまま、ヴァルクが最初に与えられた領地に流れ着いた。
そして、城では、王と王子たち、王族の血縁者たちはすべて暗殺され、ロキア王国は………歴史上から消える。
アメリアは両手で顔を覆い、深く息を吐いた。
(前世ではアレクサンダーを選んだ。でも今は……ヴァルクを選んだ。
きっと、これで未来の道筋は変わったはずーーーだけど選択を変えたことでこれから起きることがわからない………)
震える心を押さえ込むように、もう一度ペンを握った。
ロキア共和国建国
ヴァルク・ストーン 国家元首になる
歴史上消えたロキアで、それでもヴァルク・ストーンは戦い続けた。
貴族たちがこぞって領地を捨てる中、市民たちの中から優秀な人材を集め、ロキアは民たちの国となった。
建国した時、子どもたちは成人してたからヴァルクは60歳を超えていたはず。それから数年で彼は亡くなってしまい、結婚もしていなかったから血縁者もいなかったけどど、ロキアは共和国として機能していたおかげで他国の侵略を許すことはなかった。
だけど、王女の願いを叶えるためには、ロキアは共和国にしてはいけない。
ロキア王国のまま歴史に残す。
ーーーそのために必要なことーーーー
アメリアは羽ペンを強く握りしめた。
白紙のまま残された余白が、彼女を試すかのように広がっている。
(どうすれば……ロキアを残せるの?)
脳裏に浮かぶのは、滅んだ王国と、ヴァルクが築いた共和国。
彼が築いた国には民にとっての希望はあった。だが「王女アメリア」としての願いは――王国の存続。
「……私は、どうしたいの……」
声に出しても答えは出ない。
未来を知るということは、同時に「選ばなければならない」ということ。
一つ選べば、もう一方は確実に失われる。
ランタンの炎が揺らぎ、紙の上に蛇のような影を落とした。
アメリアは思わず身を竦める。
――明日、アレクサンダーが来る
アメリアは深く息を吐き、インクを乾かすと紙束をそっと閉じた。
「……眠らなきゃ」
そう呟いて灯りを消したが、胸の奥のざわめきは消えなかった。
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