第2話 オスガキ詠唱のち聖者、ときどき貞操の危機=命の危機


 この世界の女性は非常に美しく、そして逞しく、体格がいい。


 端的に言えば太くて大きいのだ。


 一方で男性は、小柄で儚い種族として庇護対象になる傾向がある。


 この世界の常識としては、女性が肉体的に優れるのに対し、男性は魔術的な素質に優れる。それゆえ男性は、貴族達専属の錬金術士や付与術士として抱えられることも多いらしい。


 無論、女性が魔法を扱えないわけではない。女性は騎士団にも多いし、強力な攻撃魔法や治癒魔法を扱う者はいる。


 傾向として、女性の中で魔法を扱う者が少数派であるというだけだ。そしてそれ以上に、男性が少ない。


 教会で聞いた話では、この世界の男女比率は1000:1であるとか、そういったレベルのようだ。実際のところ、私は私以外の男性を見かけたことがない。

  

 私が産まれた村でも、私以外の男性の姿はなかった。女性同士の結婚、そして神聖魔法による妊娠が一般的になり、女性だけの町村も珍しくない。


 巨大都市国家ヴァレスグランドを守護する、誇り高き聖ヴァレスガード騎士団。この騎士団に所属しているのも女性のみである。


「治癒の光よ。この勇敢なる者達を照らしたまえ」


 打ち捨てられた廃村の広場。

 治癒魔法を詠唱する私の前では、20人近くの女性騎士達が座り込んでいた。


 ある騎士は痛みを堪える顔で膝を着き、ある騎士は仲間を横抱きにして、ある者は地面に両手両膝をついて血の咳をしていた。 


 獣型の呪瘴魔との戦闘で、負傷した女性騎士達である。勇敢に戦い傷ついた彼女達を癒すのは、私の大切な務めだった。


「この者達の傷と痛みを拭い、穢れを祓い、疲れた心にも安らぎを……」


 私の詠唱が完成し、淡く輝く魔法円が女性騎士達を包む。やわらかな翡翠色の光が溢れ、揺らぎ、私が着込んだローブが靡いた。


 傷ついた騎士達一人一人の身体に、私の魔力が染み込んでいく。


 静謐な空気のなかに潤いと温もりが満ち、女性騎士達の表情が和らいだ。痛みと傷、疲れを癒した彼女達が、苦痛の緊張から解放されて、ほぅと溜息を溢す気配があった。


 ちなみに私の詠唱は、バフ魔法や浄化関わるものはオスガキ化するが、治癒や回復、鎮静魔法に関しては通常の詠唱で効果を発揮できる。

 

 ボブ曰く、『俺の力がユニークスキル化してるから、そういう仕様だと思え』とのことだった。


 仕様ではなくバグなのではないかと指摘したかったが、不毛なのでやめた。


 とにかく、である。


 オスガキ詠唱によって、女性騎士達を限界まで興奮させて強化、その後に治癒と鎮静魔法によってケアして落ち着かせる。それが今の私の役割だ。


「まだ身体が癒えていない方は居られますか? どうか遠慮や我慢なさらずに、申し出て下さい」


 戦いで傷ついた騎士達を無事に癒すことができた安堵もあり、私は微笑みながら彼女達を見回した。できるだけ、一人一人と目を合わせるように。


「皆さんの勇敢さに報いるのが私の務めですから」


 すると女性騎士達が、妙に赤い顔で一斉に私から目を逸らした。


「くっ……! さっきまでオスガキだったくせに!」

「急にガチ聖者になられると、こう、なんていうか」

「どう腹立てていいのか、脳が混乱するのよね……」

「生意気なオスガキ笑顔のせいで下腹部があっついのに……!」

「そこで、あの静謐な聖者微笑を浴びるのが堪らないのよ」

「温度差で整うわぁ……、おほ~ムラムラするぅ」

「というか、普通に好きになっちゃうから困るのよね……」


 悔しげというか、もどかしげというか、悩ましげというか、自分の感情を持て余しているというような呟きが木霊する。


「オイ。襲われないように気を付けろよマジで。分かってると思うけど、女騎士共のガタイの良さ、半端じゃねぇからな? 腕づくで組み敷かれたら終わりだぞ?」


 私の影がゆらゆらと動き、私にだけ聞こえる声で言ってくる。


「これも口を酸っぱくして言ってることだが、この世界の貴族共にとっては、男をパックンチョといっちまうのは普通のことだからな? 貴族に召し上げられた男で、御手付きになっていないヤツなんて皆無だからな?」


 早口でまくし立てるボブの不安そうな声は、過保護な母親のようだった。よほど消滅したくないらしい。


「そんな心配は無用だと、何度も言っているはずだ。そもそも私は、誰かに召し上げられている身ではない。教会組織の一員だ」


 囁くような小声を自分の影に落としたときだった。

 

 重装鎧に身を包んだ女性騎士二人が、私の傍に歩み寄ってくる。


「団員達の回復は確認した。クリスの詠唱の御蔭で、今回の討伐も無事に終えることができたよ。ありがとう。この土地の浄化も済ませてくれたようだし、仕事が早くて助かる」


 私を見下ろしてくる、落ち着いた灰色の瞳。穏やかでありながらも、その奥には鋭い光が湛えられている。


「撤収準備だ! バドバール砦に戻るぞ、みんな!」


 周りの女性騎士達に号令をかける、堂々とした声。

 他者を率いて戦い慣れている者が持つ、自信と貫禄に満ちた声である。


 エレナ・ボーヴェル・アシュトレイ。

 聖ヴァレスガード騎士団、2番隊隊長。

 貴族アシュトレイ家の次女。大剣使い。


 180センチを超える長身。

 厚みと幅に恵まれ、女性的な美しさを備えた体躯。

 腰まで届く艶やかな銀髪。凛然とした美貌。

 眼差し、立ち姿に溢れる力強さ。

 その佇まいには、明確に武人の威風が漂っている。


「貴様のバフ魔法が強力なのは身に染みて理解しているつもりだが、……あの詠唱は何とかならんのか」


 エレナの隣で腕を組み、何とも言えない表情をしている女性が言ってくる。


 ディルゴ・ヴォルカリズ・レジナール。

 聖ヴァレスガード騎士団、3番隊隊長。

 貴族レジナール家の次女。巨大な戦鎚を担いでいる。


 190センチ超の長身と体躯。

 豊満かつ筋肉質な肉体。凄まじい美貌。

 褐色の肌。ボリュームのある紅の長髪。

 威圧感に満ちた傲慢さ。常に他者を見下すような目つき。

 右頬に傷痕。赤い瞳。その底に宿る、理知的な輝き。


「後方支援としてが私が役立っているのなら、光栄なことです」


 頭を下げる私の身長は、160センチ程度。エレナとディルゴの二人が並んでいるのを見上げると、まさに壁のようにも感じられる。


「ただ、私のバフ魔法の詠唱に関しては固有スキルのようなものなので、御容赦いただければと思います」


「砦にいるときならとにかく、立場も言葉遣いも、戦場では重要ではないさ」


 エレナは微笑みながら、たっぷりと私の目を見詰めて肩に触れてくる。大きな手で私を包み込むというか、抱き寄せるような手つきだった。


「呪瘴魔と戦うとき、貴族も平民も、そして教会も関係が無い。そのことは団員達も理解している。誰も気にしていないよ」


まるで口説くような優しい声音のエレナは、その大きな身体をそっと屈めて顔を近づけてきた。


「それはそうと、砦に還るまでに数日かかる」


「あっ、オイ、やべぇぞ!」心底怯えたボブの声。


 無意識なのかもしれないが、エレナはゆっくりと唇の端を舐めてみせる。その舌の動きは、彼女が内に秘めた情欲を雄弁に語るようだった。


「その間は、私がキミを護ろう」


 より熱っぽい眼差しになったエレナが、僅かに鼻息を荒くして耳打ちをしてくる。私の体温を求めるような、囁くような甘い声で。


「今夜は一緒に寝ような?」


「いやだぁ! 消えたくなぁーい!!」


 ボブの情けない悲鳴。

 私の影だけが、ぶひょんぶひょんと暴れる。


「いえ、私は――」

 一人で大丈夫ですと言おうとした。できなかった。


「おいエレナ。待て。お前は此処に来るまで、散々クリスと一緒に居ただろうが」


 赤い目を怒らせたディルゴが、エレナから奪い返すように私の身体をぐいっと抱き寄せてくる。物凄い力だったが、私を抱き留める手つきは優しい。


「砦に帰るまでは、クリスは私の傍に置く」


 力強く宣言したディルゴは、抱き寄せた私の左の首筋と頬に手を滑らせて、それから私の左耳を軽く撫でた。怖いぐらいに淫靡な動きだった。


 私の肌の感触を味わっているのか。


 ディルゴに抱き寄せられたままの私は、チラリと彼女の横顔を見上げてみる。彼女は陶然と目を細めて、灼熱の吐息を吐き出していた。


 そんなディルゴを黙ったまま見据えているエレナは、口許に笑みだけを残し、眉間に皺を寄せている。彼女の灰色の瞳に、無機質な敵意がメラメラと揺れていた。


 だがディルゴの方は、そんなことは知ったことではないという風だった。


 彼女は唾を飲み込み、それから狂暴さを湛えた赤い瞳を切なそうに潤ませ、私を見下ろしてくる。濡れるような声。


「なぁ、クリス? 今日の夜、共に水浴びをするぞ。私の背中を流せ」


「えーん!! やめてやめてーーー!!」


 ボブの泣き声。消滅の恐怖による、素のギャン泣き。私の影だけが必死にバタバタと動いて、私を置き去りにしてどこかに逃げ出そうとしている。


 大妖魔が体裁もへったくれもない無駄な足掻きをしている間にも、再び睨み合うエレナとディルゴ。


「裸の付き合いは悪くないが、クリス相手というのは見過ごせないぞ。ディルゴ。騎士団の風紀が乱れる」


「風紀などという単語が貴様の口から出てくるとはな」


「私はクリスを護るだけだ。私の傍にいるのが、クリスの安全だからな」


「笑える冗談だ。アシュトレイ家らしい」


「なんだと」


 言い合うエレナとディルゴが戦闘体勢に入りそうになる。


 魔法戦も白兵戦も一級品の2人だ。彼女達が喧嘩を始めれば、止められる者はいない。

 

「エレナ隊長とディルゴ隊長、また決闘しそうになってる……」

「今日はゼルマリア隊長が絡んでないだけマシよ」

「リリアス隊長かユーリ隊長がいれば……」

「幹部騎士の隊長達って、普段は凄く頼りになるし尊敬できるんだけどなぁ」

「クリスさんのことになると、急に揉めだすのよね」

「まぁ、気持ちは分かるわ。うん……」


 遠巻きに様子を見守っている女性騎士達も、口々に言いながらもハラハラとした様子だった。


「喧嘩するほど仲が良いとは言いますが、そこまでにしましょう」


 私は敢えて明るい声で言いながら、エレナとディルゴの二人を交互に見上げる。


 私の脳裏を過っていたのは、有能な若手社員の意見がぶつかり合う場面だ。会社に勤めていたころは、そういった若者2人の仲裁に入った経験もあった。


「大きな傷を癒したばかりの団員も多いので、砦に戻るまでは、僕も彼女達の傍に控えておきます。傷が開いてしまうこともありますから」


 そう伝えながら、私は肩に回されていたディルゴの手を解いた。


「む……。そう、か。それもそうだな」

 

残念そうに眉を下げたエレナが、取りあえずといった感じで笑みを作る。


「回復魔法薬もあるが、お前が着いてくれる方が万全ではあるな」

 

ディルゴの方も、さっきまで私に触れていた手を名残惜しそうに引っ込めた。


「あ……、焦ったぁぁぁ……」

 力が抜けるほどに安堵したボブの溜息。

 私の影がふにゃふにゃになっている。


「砦に帰るまでは私を含め、治癒した団員たちのことも護ってください」


 私はエレナとディルゴを見上げて、身を預けるつもりで微笑む。すると彼女達は、驚いたような表情のまま、初心な少女のように真っ赤になった。


「あ、あぁ! もちろんだ! 任せてくれ!」


張り切った声を上げたエレナが、胸の前で拳をつくってみせる。


「ぃ、言われるまでもない。完璧に護ってやる」


どこか不機嫌そうな表情のディルゴの方も、やけに優しい声音だった。


そう言い残した二人は、他の騎士団員たちを纏めるべく私に背を向けて歩き出す。


「ふふふ……。見ただろう、ディルゴ。私に向けられたクリスの微笑みを。あれは恋する男子のものだ。間違いない」


「貴様の目は節穴か? あの微笑みは私に向けられたもので、私への抱擁の代わりだぞ? クリスは私に惚れているんだからな」


「なかなか逞しい妄想力だ。恐れ入るよ」


「なんだと貴様」


言い合う彼女達の背中を見送っていると、疲れたような切ない声でボブが言ってくる。


「おい……。あんな超絶肉食系貴族の童貞女騎士が、まだ砦には何人も控えてるんだぜ……。完全に終わってるだろ……。無理だって。死ぬって。もう逃げようぜ? な?」


「そうはいかない。彼女達の勇敢さに報いるのが、私の務めだ」


「そんなぁ~……」また溜息が聞こえて、私の影が萎れるように縮んだ。



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