第8話
「気は済みましたか?」
言われた通り、私の胸に顔を埋め背中に腕を回して抱きしめてくる雨宮透の頭を撫でた。優しく、優しく、彼女の抱きしめる力が弱まるまで撫で続けた。
なんで彼女が私にハグをしてきたのか。
この時ばかりは嬉しさよりも困惑や心配の方が勝っていた。
けれど撫でる手は一度も止めなかった。ひたすら胸に顔を擦りつけてくる雨宮透に口を挟むこともしなかった。
ただ、本当に彼女が気が済んだと感じるまで、私は待ち続けた。
「……うん。もう大丈夫。落ち着いた。なんかごめん、見返り中だったのに」
「いや、もうこれで今日の見返りは充分ですよ」
理由はともあれ、本来今日は二千円の見返りとして片手で彼女を自由にできるだけの権利だった。
服を脱がすことも禁じられていたし、最初だから踏み込んだことも出来そうにない。かと言って自分から彼女を抱き寄せたとしても、今のような充実感は得られなかったように思う。
考えなしとは言え私は一番最初の手段として彼女の頭に触れた。
言葉で心に触れようとした。
それがきっかけとまでは言えないけれど、それが一因で雨宮透にハグをさせることが出来たのなら、むしろ今日の成果は大収穫と言えよう。
だからこれ以上の見返りは断った。
今日はこれ以上はもう求めるつもりは無かった。
けれど雨宮透は分かっていないようで、首を傾げる。
「……?…どうして?いいよ、途中で私が勝手なことしてマシロの見返りを中断させたんだから、ほら、つづきやって?」
私の胸から顔を離して態勢を整えた彼女はやっぱり透明だった。
実を言うと胸に顔を埋めていた時は彼女の顔が見えなかったから、不透明で色の滲んだ雨宮透が見れるのかもと淡い期待を抱いてたりもした。
けれど顔をあげて私を今見つめている彼女はやっぱり無表情で。
ただ、表情は普段と変わりないんだけど。
行動が少しなんと言うか。
その………。
まったく雨宮透に似合わない言葉だとは思っているんだけども。
甘えたさん、のような気がした。
今も「さぁどうぞ、続きをやってやって!」って言ってるみたいに頭を私に差し出してくる。上目遣いで。「撫でて撫でて」と。愛くるしい飼い犬みたいに。
本人は今どんな感情でそんな行動をしているんだろう。
殻を隔てた心の内側では、本来の雨宮透という女の子は、こんな風に甘え下手で、でも温もりを求めているのかもしれない。
きっとそんな殻の内側と外側には明確な線引きがあって、さっきハグしてきた雨宮透はきっと一時的にその線引きが曖昧になってしまった可能性も高い。
だからさっきまでハグをしながら頭を撫でられていたことと。
今から見返りとして頭を撫でさせてあげるという解釈の違いが起きている。
そこで再び明確な線引きをするために。
でも私は考えた。
ここでもう一度二千円の見返りをただ実行して、頭を撫でて終わる。
それはちょっと、今になると逆にこの充実感が冷めてしまう気がした。
もしもまだ彼女が見返りの途中であると判断しているならば、他のことをやってみたい。
お財布には彼女にあげる二千円を除いてあと千円残っている。
ふとそういえば、お財布に数か月前におばあちゃんがくれた五千円分のQUOカードが入っていることを思い出した。しかも未使用。
基本的に学校帰りは寄り道をしたとしても本屋で、そこで何か買う際も両親が定期的に買ってくれる図書カードを使う。それ以外にQUOカードを使うような寄り道はしないし。外出もしないタイプだ私は。
つまるところ、今後も未だお財布の中にいる五千円QUOカードは使い道が無いと言うことだ。
これは、どうだろう?
「ねぇ雨宮さん。雨宮さんに渡すお金って、現金じゃないとダメなんですか?」
「………?と、言うと?」
「例えば、QUOカードとか」
「………………。基本的には、現金がいい。けど、なに、どうしたの?今日マシロが払う二千円って、QUOカード?」
「あー、そうなんですか。いや、二千円は現金なんですけど、それとは別で五千円分のQUOカードを渡すのでその分の見返りを求めることは可能なのかな、と」
「五千円分も?……、もし今日はじゃあ特別とか言ったら、見返りで何がしたいの?」
そう問われて、自分は五千円で何がしたいのか考える。
すぐには思いつかないけど、当然頭を撫でる以外の行為がいい。
うーむ。
むむむ。
……ここは逆の発想で、雨宮透が五千円に見合うと思う行為を私にするというのはどうだろうか。
そこに行われる内容自体はなんでも良くて、ただ雨宮透という目で追いかけ続けてきた存在が私のために私に何かをするという事そのものに惹かれている自分がいる。
だから私はお願いした。
この案を採用することにした。
するとそれを聞いた雨宮透もまた考え始める。
多分、QUOカードを受け取るべきか否かをまず考えていて。
その次に見返りとして何をするか。彼女自身がどこまでの行為を許容できるのか。それを考えている。
そうして時間にして一分とちょっと。
彼女は言った。
「わかった。QUOカードを貰うかわりに、私がマシロに見返りをしてあげる」
「なにしてくれるんですか?」
「………私が、したいこと」
そう言って雨宮透は私の顔に手を伸ばす。
頬を両手で優しく挟まれて、若干上を向かされ、顔の向きを固定される。
「(………ん?)」
想定していたどんな状況とも異なる状況。
段々と雨宮透の顔が近づいてくる。
彼女はベッドの上で膝立ちになり、私を上から見下ろすようにその綺麗な顔で迫ってくる。
目と鼻の先にまで彼女の顔が迫ったとき、彼女の前髪が私の瞼をくすぐった。
ここで知る。
雨宮透から度々漂う甘い香りが彼女の使っているシャンプーの匂いだということを。
鼻の先が触れ合う。
雨宮透が顔を傾け角度を変えた。
今度は、唇が触れ合う番だった。
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