転生したらニワトリだった俺、神鳥の力で美少女パーティーをもふもふスローライフに導きます ~最強の力はもっぱら料理と洗濯用です~
速水静香
第一話:神様、好きと『なる』は違います
大学の講義というものは、どうしてこうも眠気を誘うのだろうか。
教授の単調な声は、まるで心地の良い催眠術のようだった。
俺は必死に意識を保とうと、机の下に隠したスマートフォンに視線を落とす。
そこに映し出されているのは、講義のスライドでもなければ、友人からのメッセージでもない。
俺が溺愛する、一羽のニワトリのライブ動画だ。
このニワトリの名前はまだない。いや、しっくりくる名前が見つからなくて、かれこれ半年以上も名無しさんなのである。
画面の中の名無しさんは、見慣れた我が家の庭の土を、小さな足で一心不乱にかき分け、ミミズを探している。
その真剣な眼差し、獲物を見つけた時の俊敏な動き、そして誇らしげに胸を張る姿。
完璧だ。完璧すぎる。
思わず口元が緩むのを、必死でこらえる。大教室は静まり返っているが、その静寂の中では様々な人間模様が繰り広げられている。
堂々と居眠りをこく者、器用に教授の死角に入ってゲームに興じる者、SNSのタイムラインを無限にスクロールする者。
皆、思い思いにこの退屈な時間をやり過ごしている。
だが、そんな彼らの中でも、自宅の庭からリアルタイムで配信されるニワトリの映像を鑑賞しているのは、おそらく俺だけだろう。客観的に見て、かなり怪しい光景であることは自覚している。
「ぷっ……」
隣の席に座っているやつが小さく噴き出した。
「お前、また見てんのかよ。本当に好きだな、ニワトリ」
「ああ。この、生命の躍動感。たまらないだろう」
「いや、全然。レポートの締め切り、今日までだぞ。大丈夫なのか?」
「大丈夫だ、問題ない」
まったく問題ではなかった。昨夜のうちに完璧に仕上げて、すでに提出済みだ。俺はニワトリを愛でる時間を確保するためならば、どんな努力も惜しまない男なのである。
俺のニワトリ愛は、今に始まったことではない。物心ついた頃には、すでに鳥類、特にニワトリの魅力に取り憑かれていた。あの美しいフォルム、つぶらな瞳、そして何より、時を告げるあの神聖な鳴き声。全てが俺の心を鷲掴みにして離さないのだ。祖母から譲り受けたこの一羽は、俺の人生における光そのものだった。
友人たちからは「変わってる」とよく言われる。
好きな食べ物を聞かれれば「親子丼」と答えるし、焼き鳥屋にも行く。だがそれはそれ、これはこれだ。愛しているからこそ、その命に感謝していただく。それが俺なりの流儀だった。
そんな俺の日常は、あまりにも平凡で、退屈で、そして幸せなものだった。この先も、大学を卒業して、そこそこの会社に就職して、週末には愛するニワトリと戯れる。そんな、代わり映えのしない、けれど穏やかな日々が続いていくのだと、何の疑いもなく信じていた。
そう、あの瞬間までは。
◇
その日の講義が終わり、俺はいつものようにまっすぐ家に帰った。玄関を開けると、庭から元気な鳴き声が聞こえてくる。
「コッコッコッ!」
「ただいま。今日も元気だな」
庭に駆け寄ると、名無しさんが俺の足元にトコトコと駆け寄ってきた。俺はその小さな頭を優しく撫でる。光沢のある茶色と黒の羽毛が、夕日を浴びてきらきらと輝いていた。ああ、癒される。一日の疲れが、この瞬間のためにあったのだと思えるほどに。
夕食を済ませ、自室でくつろいでいた時のことだ。部屋にいるはずもないのに、不意に誰かの視線を感じた。いや、視線というよりは、もっとこう、圧倒的な存在感とでも言うべきか。部屋の空気が、ゼリーみたいにねっとりと重くなったような、奇妙な感覚。
なんだ? 泥棒か?
いや、だとしたらもっと物音を立てるはずだ。俺は身構えながら、ゆっくりと部屋の中を見渡す。窓もドアも閉まっている。誰もいない。気のせいか、と安堵のため息をつこうとした、その時だった。
『やあ』
頭の中に、直接声が響いた。男性とも女性ともつかない、やけに軽々しい声だった。
「だ、誰だ!?」
俺は思わず叫び、部屋の隅に転がっていた、漫画雑誌を手に取って構えた。武器としてはあまりにも心許ないが、何もしないよりはましだ。
『落ち着いて、落ち着いて。ボクは君に危害を加えたりしないよ』
「どこにいるんだ!」
『うーん、どこにでもいるし、どこにもいない、かな? とりあえず、君の目の前にいると思ってくれていいよ』
目の前。そこには、俺の勉強机と、読みかけの本が置いてあるだけだ。ふざけているのか。いや、この状況でふざけるような奴がいるとしたら、相当な変人だ。
『いやあ、それにしても平和だねえ、この世界は。平和すぎる。刺激が足りないよ、刺激が』
声は、まるでテレビのチャンネルを変えるような気軽さで、とんでもないことを言い始めた。
「はあ? 何の話だよ」
『だからさ、ちょっとしたスパイスを加えようかと思ってね。で、白羽の矢が立ったのが、君ってわけ』
「意味が分からない。あんた、一体何者なんだ」
俺の問いに、声は少しだけ楽しそうな響きを乗せて答えた。
『ボク? ボクは神だよ。まあ、分かりやすく言うなら、『コケコッコ神』とでも名乗っておこうか』
「……は?」
コケコッコ、神?
なんだそれは。新しい宗教の勧誘か? にしては、手が込みすぎている。というか、ネーミングセンスが壊滅的すぎるだろう。もっとこう、威厳のある名前はなかったのか。
『ひどいなあ、君。せっかく君に合わせて分かりやすい名前を考えてあげたのに』
「心を読まないでくれ! というか、俺に合わせるってどういうことだよ!」
『だって君、ニワトリ、大好きでしょ?』
その言葉に、俺は一瞬、言葉を失った。確かに俺はニワトリが大好きだ。SNSのアカウントも、アイコンはもちろんニワトリ。投稿内容の九割がニワトリに関することだ。友人たちからは「ニワトリのアカウント」と認識されている。だが、それを神と名乗る存在に指摘されると、なんだかものすごく恥ずかしい。
「そ、それがなんだって言うんだよ」
『いやね、退屈しのぎに、誰か一人を異世界に送って、その様子を観察しようと思ったんだ。で、誰がいいかなーって探してたら、君が目に留まってね。面白いじゃん、君。こんなにニワトリを愛してる人間、初めて見たよ』
異世界。
その単語を聞いた瞬間、俺の頭の中は、今まで読んできた数々のライトノベルやマンガの知識で埋め尽くされた。トラックに轢かれるとか、通り魔に刺されるとか、そういう死亡フラグ的なイベントは一切なかったぞ。ただ普通に大学から帰ってきて、部屋でくつろいでいただけだ。
「ちょ、ちょっと待て! 話が飛躍しすぎだ! 異世界ってなんだよ! それに、退屈しのぎって……。そんな理由で、人の人生をめちゃくちゃにする気か!」
『人生なんて、そんな大げさなものじゃないよ。ちょっとした環境の変化さ。大丈夫、君ならきっと楽しめるって』
「楽しめるか! 俺には! この世界で! 愛でるべきニワトリがいるんだぞ!」
そうだ、名無しさんはどうなる。俺がいなくなったら、誰が世話をするんだ。考えただけで、腹の底から怒りがこみ上げてきた。
『ああ、その子のことなら心配いらないよ。君のお母さんが、ちゃんと面倒見てくれるから。君がいなくなったことには、誰も気づかない。そういう風に、世界をちょちょいと修正しておくからさ』
「ふざけるな! そんなこと、許されると思ってんのか!」
俺は手に持っていた雑誌を、声が聞こえてくるであろう空間に向かって投げつけた。もちろん、雑誌は虚しく床に落ちるだけだ。
『おっと、危ないなあ。まあ、君の気持ちも分からなくはないよ。でもね、もう決定事項なんだ。神の決定は、絶対なの』
その声には、先ほどまでの軽々しさとは違う、有無を言わせぬ圧があった。部屋の空気が、さらに重くなる。まるで深海にでもいるかのように、身動きが取れない。
「なんで……なんで俺なんだよ……」
絞り出した声は、情けなくかすれていた。
『うーん、強いて言うなら、君の魂が、とっても『美味しそう』だったからかな』
「美味しそう!?」
意味が分からない。意味が分からなすぎて、逆に少し冷静になってきた。こいつはダメだ。話が通じる相手じゃない。
『まあ、そんなわけだから。そろそろ行ってもらおうかな。ああ、そうだ。一つ、サービスしてあげるよ』
「サービス……?」
『君、ニワトリが好きで好きでたまらないみたいだからさ。夢、叶えてあげる』
「夢……?」
なんだろう。異世界で、伝説のニワトリをテイムできる能力とかだろうか。それなら、まあ、少しは考えてやってもいい。いや、よくない。断固拒否だ。
俺が内心で葛藤していると、コケコッコ神は、心底楽しそうに、こう言った。
『君を、ニワトリにしてあげる』
「…………はい?」
今、こいつは何と言った?
ニワトリに、してあげる?
俺を?
ニワトリに?
思考が完全に停止した。頭の中が真っ白になるって、こういうことを言うんだな。理解が追いつかない。理解したくない。
『良かったね! これで四六時中、大好きなニワトリでいられるよ! さあ、新しい人生、いや、鶏生を、存分に楽しんでくれたまえ!』
「待て! 待ってくれ! そんな夢、見たことねえよ! 好きと『なる』は全然違うんだって! 話を聞けえええええ!」
俺の必死の叫びは、虚しく部屋に響くだけだった。徐々に、意識が薄れていく。視界がぐにゃりと歪み、手足の感覚がなくなっていく。
ああ、これが、転生というやつなのか。
それにしても、理不尽すぎるだろう。
せめて、もう少し、こう……感動的な展開とか、使命を与えられるとか、そういうのはないのか。
薄れゆく意識の片隅で、俺は最後の力を振り絞って、心の中で神に中指を立てた。
そして、俺の耳に最後に届いたのは、荘厳なファンファーレでも、女神の優しい声でもなく。
あまりにも間の抜けた、盛大な鳴き声だった。
『コケコッコォォォォォォォォォッ!』
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