21.力の幻影
ベグスバーノの後ろで、魔骨の置かれたテーブルからゆっくりと何かが立ち上がるような気配がした。
目には見えない。だが、大きな力がゆらりと動いているのは感じる。この世界への入口で見た、蜃気楼のようなゆらぎだ。
角度によって、かろうじて輪郭がわかる程度。だが、その輪郭を目で追うと、とんでもない巨大生物にも思えた。
アートレイドは見たことがないはずなのに、その巨大生物は「竜の形」へと変わって行くようにも感じられる。
シェイナにもその力の形が見えたし、魔法使いではないフローゼにもその異様な雰囲気が感じられた。竜の形まではよくわからなくても、その気配に総毛立つ。
その竜が、自分達の方を見据えた……気がした。
あの力がこちらへ向かって来たら、誰も助からない。
直感で、アートレイドはそう思った。
どれだけ抵抗しようと、どんなに強固な防御の壁や結界を出そうと、まるで歯が立たない。がんばれば立ち向かえる、というレベルを完全に超えているのだ。
竜の形をした力が、アートレイド達へ襲い掛かる。口を大きく開き、すべてを飲み込もうとしているかのようだ。
そんなことをしても、守れるはずはない。そうわかっていても、アートレイドはシェイナごとフローゼを抱き締めた。少しでも二人の壁になれるように。
あまりの恐怖に、フローゼもシェイナも悲鳴すら出せない。
目を強く閉じる。そのまぶたの裏が、真っ白になった。白く燃え盛る火が、自分達を飲み込んだような感覚におちいる。
目を閉じているのに、自分達の周囲にある物全てがあっけなく消し飛んで行くのが見えた……気がした。
だが、数秒後。
アートレイドがそっと目を開けると、自分自身はその場にちゃんと立っていた。抱き締めていたフローゼも、彼女の手の中にいるシェイナも。
確かに今、強い力を全身に感じた。白い火と熱気に包まれた気がした。あれは絶対に錯覚なんかじゃない。
それなのに、何事もなく全員が生きている。
不思議に思ったアートレイドだったが、次の瞬間、息を飲んだ。
「ディラルトっ?」
「まだ……動くな」
アートレイド達は無傷だ。
しかし、アートレイド達とベグスバーノの間に立つディラルトは、満身創痍の状態になっていた。ゆったりと束ねていた髪もほどけて。
「なぜ……なぜだ。なぜお前は、まだ立っていられる」
傷付きながらも立っているディラルトに、ベグスバーノが驚愕の表情をあらわにする。
生きていられるはずがないのに。今の力に抗うことができるのは、世界中を探してもいないはずなのに。
ひどく傷付いているとは言え、目の前にいる男は立っている。その後ろにいる二人とねこにいたっては、完全に無傷だ。
こんなことはありえない。
「え……あれ?」
気配が変わった気がしてアートレイドが周囲を見回すと、景色がすっかり変わっていた。
さっきまであった城が、なくなっているのだ。
アートレイド達、そしてベグスバーノは暗い空の下の荒野に立っていた。あの巨大な城が、跡形もなく消え去っている。
全てが消し飛んだように思えたのは、錯覚ではなかったということか。
「さっきの力で、消されたってことなの?」
果てしない荒野を見回し、フローゼの声が震えた。
「ここにいるの、あたし達だけ? さっきの城にいた魔物達は?」
他人の心配をしている場合ではないが、全く何もないのが気になった。
自分達が別の世界にでも飛ばされたのかと思ったが、そうではない。
確証がある訳ではないが、そんな気がする。
「ふん。大して役に立たん奴らなど、消えたところで傷手はない」
ベグスバーノがそう言い放った直後、再びさっきまでのような城が現れる。これも力の一端なのだ。
城にいた魔物達は、さっきアートレイド達を消すはずだった力で消されたらしい。きっと自分に何が起きたかわからないまま、魔物達は死んでいっただろう。
「手下は大事にしないと、いざって時に足をすくわれるぞ」
「わしの足をすくえるなら、大したものだ。右腕として抜擢してやる」
ベグスバーノの言葉に、ディラルトは小さくため息をついた。
「足をすくわれた時点で、お前は失脚してるってことになるんだぞ。抜擢も何もないだろう。まったく……」
額から流れる血を、手の甲でぬぐう。その手も傷だらけだ。
アートレイド達は何とかしたいと思うものの、まだ動くなと言われたし、言われなくても動けない。動けたとしても、何をどうしていいか見当も付かなかった。
「同族の力とは言え、亡くなってもその力が消えないのは本当に厄介だな」
「……何、だと? お前、何を言っている」
ベグスバーノが眉根を寄せた。
「凝縮されているから、なお厄介だ。この姿だと、完全防御も難しいし」
ディラルトは一度目を閉じ、再び開くとベグスバーノを見据えた。
「……お前に、もうこの力は使わせない。多くの命を救うために働いた竜が、多くの命を失うようなことに荷担する、なんて知ったら、安心して眠れないからな」
「お前……まさか」
ベグスバーノと同じく、ディラルトの後ろで聞いていたアートレイド達は、呆然とするしかなかった。
彼は骨の持ち主であった竜を「同族」と言った。今の話し方では、ディラルトも竜ということになってしまう。
この姿では、という言い方をした。それはつまり「他の姿もある」という意味のはず。それが「竜」ということ。
まさかと思うが、それ以外に考えつかない。
そんなことがあるのだろうか。竜が人前に現れ、人を助けるなんてことが。
しかし、こんな時に嘘やはったりは言わないだろう。
人間の魔法使い達が手も足も出なかった魔物を、一気に消滅させた。呪文もなしに、魔物の動きを止めた。魔骨によって増幅された魔性の力から、アートレイド達を守った。
どんなに強い力か想像もできないが、竜ならそれも可能である気がする。
「あらゆる世界を支配したい、と言うなら……自力でやってくれ」
ディラルトが、すっと手を横に動かした。その途端、彼の頭上に影が現れる。ディラルトの濃い青の瞳と同じ色の影だ。
その影は竜の形になり、ベグスバーノへと向かった。正確には、魔骨の山へ。
さっきベグスバーノが力を使った時、アートレイドはその力が竜の形になったように思えたが、今度ははっきりと竜の姿が見えた。
ベグスバーノが使った力とは違い、恐怖は感じない。それどころか、とてもきれいだ、と思える。
だが、この力もまた抵抗できるレベルをはるかに超えている、とアートレイドは本能で感じ取っていた。
「や、やめろ! やめてくれっ」
自分にとって何かまずいことが起きる、と直感したのだろう。
慌てたベグスバーノが、魔骨の前に立ちはだかる。
しかし、青い竜の影はそんな魔性の身体をすり抜け、魔骨の山へと飛び込んだ。白かった魔骨の色が、一気に変わる。
青い竜がすり抜けた後の魔骨は黒ずみ、燃えかすのようにぼろぼろと崩れた。
「ああっ、嘘だ。そんな……わたしの、わたしの魔骨が」
「それは、お前の物じゃない。オレの同族の
確認しようにも、アートレイド達には元から魔骨の気配を感じ取ることはできない。
だが、こうして端から見ているだけでも、魔骨からその力が消えたのだろう、とわかった。あそこまでぼろぼろな状態の魔骨で、さっきのような力が使えるとは思えない。
ベグスバーノが無事な魔骨を探そうと、燃えかすの中に手を突っ込んだ。黒い粉が灰のように宙へ舞い上がる。
もう、魔骨と呼べる物は一つも残ってはいない。
離れた場所で、アートレイド達もそのことを認識した途端、目の前の景色がまた変わった。
「何? 今度はどうなったの?」
シェイナは何度も光景が変わって戸惑っていたが、フローゼは周囲を見て少し落ち着いた。
「ここ……村の近くの森だわ」
不気味な城は消え、城があった世界も同時に消えたのだ。
彼らがいるのは、アートレイド達がベグスバーノの作った異空間へ入る前までいた森の中。
魔骨の力が消えたため、ベグスバーノの世界も消え去ったのだ。異質なあの空間がなくなったことで、元の世界へ戻れたのである。
「ふう……」
「ディラルト! しっかりして」
近くの木にもたれたディラルトに、フローゼとシェイナが駆け寄る。
「あの強さの力を受け取るのは、さすがに堪えるな。あんな量の魔骨、力を消すだけでも結構大変だっていうのに」
本当なら、力を抜くだけの作業で済ませたかった。それだけで、事態は十分に好転するはずだったから。
しかし、その前にベグスバーノが魔骨の力を使って攻撃してきたため、余計な力を使う羽目になった。
攻撃と同時に城も魔物達も一気に消す、という不必要なデモンストレーションなどしてくれたものだから、アートレイド達を守るために相当な力を使うことになってしまったのだ。
さらに大量の魔骨から力を抜いたことで、今のディラルトは立つだけで精一杯の状態にまで体力が落ち込んでいた。
「アートレイド」
力のこもらない声で、ディラルトは少年魔法使いの名を呼んだ。
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