10.新たな魔法使い
息が切れ、次に攻撃を受けても完全に弾き返せる、という自信が失われていく。
そんな時に、そんな声が聞こえた。
途端に、空の魔物が火に包まれる。火の中で魔物は悲鳴を上げているような表情だったが、声は聞こえてこない。攻撃を受けると同時に、声を奪われたようだ。
火柱となった魔物は、次々に地面へと落ちる。そのまま黒焦げになり、塵となって消えてしまった。
それなのに、地面には何の跡も残っていない。魔物の痕跡も、火で焦げた跡も。
空の魔物が全て落ちて消え、それを見た地上にいる魔物達はたじろぐ。
そして、声がした方を一斉に向いた。アートレイド達も、つられるようにしてそちらを見る。
そこには、長身の青年がいた。二十代半ばくらい、か。濃い青の瞳を持ち、銀色の真っ直ぐな髪を後ろでゆるくまとめている。
アートレイドは、もちろん彼を知らない。ネイロス達からも青年の名前が出ることはなかったので、この村の人間ではないのだろう。
この青年が誰であれ、どうやら今の魔法は彼の仕業らしい。
アートレイド達と同時に、魔物もそう判断したようだ。
攻撃対象が変わり、根のような手が青年に向けて一斉に伸ばされる。だが、青年へ届く前に、その腕が切り落とされた。
肩辺りから切られ、ぼとりと地面に落ちたかと思うと、その腕が一瞬で灰になる。
「逃げる気はない、か」
やけになったのか。こちらへ向かって走り出した魔物達を見て、青年がため息をついた。
次の瞬間、全ての魔物の身体が火に包まれる。空を飛んでいた魔物達と同じだ。一気に燃え尽き、灰となってその姿を消す。
「すっげぇ……」
息を切らしながら、アートレイドは魔物が消えた辺りを見詰めていた。
たった今までそこに魔物がいた……なんて、信じられない。静かな村の黄昏時の光景が、いつものように流れていた。
知らない人が通りかかっても、何かが起きていた、なんてわからないだろう。
「みんな、大丈夫?」
アートレイドの力が抜けたと同時に、フローゼに張られていた結界が消えた。
透明なかごに入れられたような状態だったフローゼは、すぐそばにいるアートレイドに駆け寄った。それから、視線を祖父や父へも向ける。
「ああ、大したダメージを与えられなかったけど、かろうじて俺もダメージは受けてないから」
息が切れているのは、防御の壁が持ち堪えるように必死だったからだ。
ネイロスやユーリオンも、何とかケガは免れた。あれだけ攻撃が通じない魔物を相手にして誰もが無傷で済んだのは、不幸中の幸いだ。
ネイロスが、現れた青年の方を向く。
「きみも魔法使いなのか。助かったよ。礼を言う」
「通りかかったら、大きな影がいくつも見えたからね。不穏な気配だし、カラスにしてはやけに大きいから、気になって来たんだ。負傷者がいないなら、よかったよ」
現れた青年は、穏やかに微笑んだ。女性受け間違いなしの美形だが、美しさ故の冷たい感じはない。
「他に魔物は……」
ユーリオンが家の前から見える範囲で見回すが、悲鳴は聞こえないし、おかしな影が飛び回っている様子もない。
どうやら、あの魔物達はネイロス邸にのみ現れたようだ。
「しかし、一体どうして魔物が村の中に……。わしが生まれる前も生まれてからも、この村でこんなことはなかったが」
魔物の集団が村に現れるなんて、聞いたことがない。少なくとも、このパルトの村では。
近くには山や森があり、そこへ行けば魔物と遭遇することはある。だが、現れる場所は限定されていた。
「ねぇ、早く家の中へ入らない? 私、外にいるのが怖いわ」
どんどん暗くなる時間帯に、たくさんの魔物が現れたのだ、フローゼが怖がるのも無理はない。
寒気がするのは、昼間より気温が下がったせいだけではないだろう。
「きみは、行く所があるのかね?」
ネイロスが青年に尋ねた。
「いや、目的地はあってないようなものなので」
「それなら、今夜はうちへ来るといい。今からでは、どこへ移動するのもままならんだろう」
「それはありがたいな。では、遠慮なく」
ネイロスはディラルトと名乗った青年を招き入れてから、念のため家全体に結界を張った。魔物の仲間が襲って来た時のためだ。
さっきと同じレベルの魔物なら、こんな結界などものともしないだろう。それでも、効果が全くないということはないはずだ。
破るのに多少の時間はかかるだろうし、その間にこちらも臨戦態勢に入れる。
もろちん、何もないに越したことはないのだが……。
☆☆☆
あんなことがあった後だ、誰も食欲はなかった。
しかし、また何かあった時に、空腹で動くことになると困る。何より、せっかくの料理がもったいない。
フローゼは皿にシチューを入れ、半ば強制的に食べるようにそれを個々の前に置いていった。
アートレイドはフローゼを手伝い、パンの入ったかごなどをテーブルに置く。
その一方で。
「シェイナ、ちょっとおいで」
「え……な、何?」
家に入ると、ユーリオンがひょいと黒ねこを抱き上げ、イスに座ると自分のひざに置いた。その流れがあまりにも自然だったので、シェイナはされるがままだ。
「さっき、魔物を引っ掻いただろ。爪を見せてごらん」
有無を言わさず、ユーリオンは小さなねこを抱え込むようにして前脚を調べ始める。
「ど、どうってことないわ……たぶん」
「そうだといいけれどね。単なる獣ならともかく、魔物相手にいきなり爪の攻撃なんて、無茶にも程がある。肌が木のような質感に見えたけれど、魔物なんだ。縄張や大きさを示すために、熊が木を傷付けるのとは訳が違うんだよ。きみは攻撃魔法は得意じゃないのかい?」
「……あんまり」
できなくはない。でも、手の方が先に出る。
「じゃあ、これからは先頭きって前へ出ないこと。頼まれてもいない魔物退治で命を落としたら、泣くに泣けないよ。ああ、ほら。少し欠けてる」
ほんのわずかだが、欠けている爪が数本。
やはり、あの魔物の固さは相当なものだったのだ。折れたり割れなかっただけでも、運がよかった。
羽のある魔物の方なら、多少でもダメージを与えられたのだろう。昨日も何とかなったから。今回は相手が悪かったのだ。
「これくらいなら、すぐにわかんなくなっちゃうわ」
着替えたりする必要はないので、服に爪が引っ掛かって、ということはない。特に何かを触ることもないので、シェイナとしては問題ないつもりだった。
だが、ユーリオンは首を横に振る。
「駄目だよ。こうなってしまった原因は、魔物なんだから。ちゃんと処理しておかないと、歩いているだけで、そのうち割れてくるかも知れないだろう」
「まさか……ユーリオンさん、考えすぎよ」
「きみは爪が割れたことはない? 状態にもよるけれど、ものすごく痛いんだよ」
「そ、そうなの……?」
あまり臆することのないシェイナが、珍しく戸惑っていた。
アートレイドなら「何してるんだっ」などと怒鳴るところ。シェイナもそれに対し、勢いで言い返すことが多い。
だが、ユーリオンは静かに諭すので、いつもと勝手が違う。そのため、どう対応していいのかわからないのだ。
「魔物が関わった時は、これくらい注意した方がいいんだ。それに、きみは女の子なんだよ。爪の先だろうと、もしおかしな傷が残ったりしたら大変だ。ほら、動かないで。じっとしていれば、すぐに終わるから」
ユーリオンは小さなヤスリを取り出し、シェイナの欠けた爪の部分をこする。
「親父が娘を扱うのって、あんな感じなのかな」
その様子を見ていたアートレイドは、不思議な感覚を覚えていた。
たとえ同じように諭しながら世話をしたとしても、自分では何か違うような気がする。
「んー、どうなのかしら。扱われる方としては、あんまり気にしたことがないけど」
「あの子は、人間なんだね」
「え……」
カップを出す手伝いをしていたディラルトが何でもないことのように言い、アートレイドは一瞬返事に詰まった。
彼はまだ、シェイナを近くでじっくりと見ていないはずだ。
家の中へ入ってからはすぐにユーリオンがひざに乗せてしまったし、ディラルト自身もこうしてフローゼの手伝いをしている。
普通なら、ねこがいるな、と認識する程度だろう。
ユーリオンと会話をしているシェイナを見れば、単なるねこではない、となるが、ディラルトも魔法使いのようだし、人間の言葉を使う魔獣や魔物は知っているはず。だったら「そういうものなんだろう」と推測されてもおかしくない。
にも関わらず、あまりにもあっさりと見破られ、アートレイドはすぐには言葉が出なかった。
これまで、どんなに腕のいい魔法使いと会っても、事情を話すまではシェイナが人間と気付かれたことがないのに。
「シェイナはアートの妹なの。魔女に呪いをかけられて、黒ねこにされたのよ」
戸惑って返事ができないアートレイドの代わりに、フローゼが答えた。
「魔女の呪い、ね。なるほど」
「厳密には魔法だけど。俺、解呪の方法を探してるんだ。ディラルトは
こんな簡単にわかるのなら、何か知っているのでは……と思って尋ねてみた。
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