06.呪い
リュイスの言葉で愕然となったアートレイドだが、ここは魔女の山。その山の花を摘むなんて、命知らずもいいところだ。
「シェイナ、どうして……」
自分の手の中にいる黒ねこに、アートレイドは再び視線を落とす。
「薬を作ろうと思ったの。アートが魔物退治してケガしても、すぐに治るような薬を。その材料になる花がここにあるって書いてあるのを見付けたから、少しだけもらおうと思ったのよ」
「俺のため? だからって、どうしてこの山へ来るんだよ……」
その結果がこれでは、あんまりだ。
本の著者は、何を考えて薬に必要な植物が魔女の山にある、なんて書いたのだろう。普通は誰も来ないのに。
そう、普通なら。
シェイナは兄のことを思って、来てしまった。
「この山の周辺に住む人間なら、ほとんど知っていると思うけれど」
魔女の声に、アートレイドとシェイナははっとして顔を上げた。
「この山は、わたくしのもの。わたくしにとっての家よ。そこへ黙って入り込み、あまつさえ花を摘もうとする。それをあなた達人間は、泥棒と呼ぶのではなかったかしら」
「それは……確かにそうです」
ラゴーニュの山は、魔女の山。
昔からそう言われている。人間がそう言うからには、ここは魔女の住む場所、家と認めている訳だ。その理由が恐怖からくるものであろうと、なかろうと。
他者の所有する土地へ入り、そこにある物を黙って自分のものにしようとする。
シェイナがしたことは、泥棒行為と言われても仕方のないもの。どんな事情があったとしても、そう呼ばれる行為だ。
「わたくしは、自分の家を守ろうとしただけよ。そして、泥棒に罰を与えた。それだけのこと。一部では、わたくしが無差別に人間を殺したりしている、という噂が流れているようだけれど、そんな面倒なことはしないわ。むしろ、間違えて入って来た人間を、見逃していることもあるくらいよ。人間というのは、あれこれとよく間違える生き物だから」
山へ入った人間を殺してしまう、冷酷非道な魔女だという噂も確かにある。だが、今の話が本当なら、事実はずいぶん曲げられているようだ。
もしくは、恐ろしい噂をたてることで、山へ近付かないように、という警告なのかも知れない。
「花の一本や二本、いいじゃない」
「お前は自分の家で同じことをされた時、今の言葉を口にできるの?」
リュイスの目が、すっと冷たくなる。
「例えば、お前が丹精込めて育てた大輪の花を、よその誰かが黙って勝手に摘み取ったとしたら。一本や二本くらい、構わない。そう簡単に言えるの?」
「……」
「わたくしは、この山の全てが大事。たとえそれが花びらのひとひら、枯れ枝の一本であってもね」
リュイスの淡々とした口調に、シェイナは何も言い返せない。
「すみませんでした!」
シェイナを抱き締めたまま、アートレイドが深く頭を下げる。
「こいつがこんなことをしでかした原因は、俺にあります。こいつの罰は俺が受けるから、許してやってください。お願いします」
「アート……」
シェイナの声がかすれる。
「お前はその妹を捜しに、ここへ来たのでしょう?」
問われて、アートレイドは頭を上げた。
「え……あ、そうだ。俺も正規ルートで入ってない」
シェイナの罰を受けるどころではない。アートレイド自身も、この山での禁忌を犯したことになるのだ。
見付かる前にシェイナを連れ帰れば、何とかなるかも知れない、という甘い考えを起こして。
「正しい道から来いと言うのは、頼み事をしに来る相手に対してよ。人間だって、誰かの家を訪ねる時は窓からではなく、玄関から入るでしょう? それと同じよ」
こうして聞いていると、リュイスは礼儀に対して厳格なようだ。しかし、人間にとっての常識的なことでもある。
「お前は山へ入ることが目的ではなく、妹を捜すことが目的だった。勝手に入ったことに間違いはないけれど、そういう事情だから許しましょう」
アートレイドに関しては、お咎めなし、ということだ。さっきも聞いた「見逃す人間の部類に入る」ということだろうか。
「でも、その子はダメ。はっきりと、盗みの意思を持っていたわ。そんな子を許す程、わたくしは甘くないの」
「こいつはまだ子どもで……」
アートレイドは何とか情けをかけてもらおうとするが、魔女の態度は変わらない。
「十三なら、もうやっていいことと悪いことの区別はつく年齢のはずよ。魔法書を読めるだけの能力があるなら、子ども扱いはかえって失礼ではなくて?」
リュイスの言葉に、アートレイドとシェイナはどきりとする。
この魔女は、どこまでこちらの事情を知っているのだろう。山へ入った目的もしっかり見抜いていたし、シェイナが魔法書を読めることもわかっている。
それに、さっきは聞き流してしまったが「シェイナがアートレイドの妹だ」ということもちゃんと知っていた。
アートレイドは一度も妹だと言っていないし、シェイナは「お兄ちゃん」と呼んだりもしていないのに。
やはり、ただものではない、ということか。
「俺、宝石を用意できるだけの余裕なんてないし」
ヤオブの遺品などを売ったりしたところで、どれだけの金額になるだろう。そもそも、アートレイドには宝石一つがどれだけの値段になるかも想像できない。
「それ、誰がいつ言い出したのかしらね。お金や宝石で全ての物事が解決できると考える、浅はかな人間の多いこと。確かに、きれいな宝石はわたくしも嫌いではないけれど、一度も要求なんてしていないわ。盗品を持って来られたりすれば、わたくしが指図して盗ませたように疑われかねないもの。そんなことをされたら、かえって迷惑だわ」
「だったら……さっきも言ったけど、俺が代わりに罰を受けます。だから、こいつを元に戻してください」
「ダメよ」
アートレイドが頼み込んでも、リュイスはとりつく島もない。
「自分の代わりに、誰かが罰を受ける。その状態を見て罪悪感にかられる、というのも罰になるでしょう。でも、わたくしはそんな間接的な罰は認められないわ。罰は、当事者が受けてこその罰でしょう」
「何をすれば……こいつを許してもらえますか」
何年かかってもお金をためて宝石を買い、それを持ってくれば許してもらえる。
いっそその方が、ずっとわかりやすくていい。
しかし、リュイスはそれをよしとしないのだ。
「わたくしは、その子に
「自分で……魔女の呪いを解く?」
アートレイドの言葉に、リュイスはわずかに苦笑する。
「呪いではなく、魔法だけれど……確かに、お前達にとっては呪いに等しいかも知れないわね。解けなければ、もう一度わたくしを訪ねなさい。今度は正規ルートでね。それは知っている者にお聞きなさい。わたくしの前で誠心誠意謝罪し、その子が得た魔法の知識を全て抜くのであれば、元の姿に戻してあげるわ」
「魔法の知識を抜くっ? それって、魔法書が読めなくなったり、魔法が使えなくなるってことじゃないの」
リュイスの提示した条件に、シェイナがアートレイドの腕の中で暴れる。
「余計な知識があったから、お前はこんな愚行を犯したのよ。それなら、その原因を排除するのが当然でしょう」
「そんな……」
リュイスの言葉は冷たい。
シェイナの身体から力が抜けていくのが、彼女を抱いているアートレイドには、文字通り手に取るようにわかった。
「二人でゆっくり相談なさい。次にここを訪れるのがいつでも、わたくしは構わないわ」
その言葉を最後に、魔女の姿は忽然と消えた。
今のは夢だったのか、と思いたかったが、アートレイドの腕には打ちひしがれた黒ねこがいる。
間違いなく、全てが現実なのだ。
「魔法の知識を全部抜かれるなんて、あたしはやだっ」
無事に帰宅できたものの、シェイナの姿が戻ることはない。
魔女の条件を改めて考えるにつけ、シェイナは泣きながら暴れた。人間ならテーブルを叩いてわめき、突っ伏して泣く、といった感じだろうか。
シェイナと魔法の勉強を始めてから、およそ六年。その間に蓄えた知識を一瞬にして消されるとなれば、アートレイドだって抵抗がある。
それに、消された後にもう一度勉強し直せる、という保証はないのだ。
リュイスは「愚行を犯した原因を排除する」という言い方をしていた。
また魔法の知識を取り入れれば、今回の原因を再び作り出すことにつながる。
そんなことを、あの魔女が許してくれるのかどうか。
「わかってるよ、シェイナ。ヤオブの魔法書に載ってないか、探してみよう」
シェイナの気持ちもわかる。それに、彼女がこういうことになったのは、兄が魔物退治をしてケガした時の薬を作るためだ、と言った。
遠因がアートレイドにある以上、知識を抜かれても仕方がないから早く戻してもらえ、なんて口が裂けても言えない。
それは妹の気持ちを踏みにじり、見捨てるのと同じだ。
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