ユンデネ編

山間にて

 日の光が差し込む山道にて、ルノとメルトは歩いている。ここは、モール山脈。ユンデネを覆い囲んでおり、町に行くには避けては通れない。


 高くそびえ立つ山々は、遠い昔では神々の化身とも言われたもので、ずっしりと構えるその荘厳さは今でも失われていない。

 そういった信仰の関係もあり、山に穴を開けられない。そのため、ユンデネへは山を越えなければならないのだ。


 ルノたちはエルネの依頼を終えた後、他にも依頼を探して回り、ある程度の資金を手に入れてからフラレスを出発した。

 山道に入るまでは、小さな宿場町などで馬車を乗り継ぎたどり着けたのだが、山のふもとからユンデネまでは、旅人を乗せる余裕のある馬車はなく、歩いていくしかなかった。


「ルノくーん、足大丈夫? 休憩する?」

「メルトさん、ついさっき休憩したよ。ぼく、まだ歩ける」


 ルノたちの歩く山道は整備されており、緩やかな斜面が続いていた。

 しかし、どれだけ小さな傾きでも、普通に歩くのとは大違いである。フラレスを出たのが二週間前、山に入ってからのほうが距離的には短いはずだが、すでに一週間たっていた。


「ごめんよー、ユンデネってすごく行きづらいんだね。うちがおんぶしよっか!」

「だいじょうぶ。それよりも、もう少ししたら休憩所があるって」

「うわーん、ルノくんが冷たいー! つらいよー!」


 フラレスでの一件以降、ルノはメルトとの距離がより縮まったと実感していた。

 外面的にはあまり変わらないようにも見えるが、以前のメルトとは違う点が小さいながらも存在する。


 前まで、メルトはルノに心情的な弱みを見せていなかった。

 だが、最近はたまに、不安をさらけ出すようになっていた。

 トレビオで酔っ払ったときですら、その心の核心を隠していたメルトだが、最近では、少し背伸びして浮いたかかとが地面についているのだ。


 たとえば、吸血鬼狩りの大半には勝ってきたが、自分の油断で危なかったことも多々あったこと。それによる死の恐怖、それを時折話すようになった。

 そして、最後にはこう言うのだ。


『でも、今はルノくんもいるし、常に警戒、絶対安全って感じだから!』


 ルノはこれを、自分を信頼し、頼ってくれているのだと感じていた。


 ――メルトの依存が大きくなっているとは、微塵も思っていなかった。想像すらつかなかった。


 そんなこんなで、ルノが横でウソ泣きするメルトを無視していると、遠くに影が見えた。木の下で座る人だろうか、目を凝らすも見えないので、ルノはメルトの手をひく。


「メルトさん、あそこ」

「どうしたの、冷たいルノくん……お? 誰か倒れてるのか。息はしてるっぽいねーって、いきなり走ると危ないよ!」

「行こ! あぶないかも!」


 ルノはメルトの手をつかんだまま、倒れた人のもとへと駆け寄る。


 ――メルトは、懐に忍ばせた血に意識をやると、近くを見張っていた分身に、さらに警戒を強めるよう指示する。


 倒れているのは若い男だった。目を閉じているが、息はしている。

 歳は15、6の少年で、黄緑がかった長い髪を後ろで一本に束ねている。

 そして、特徴的な杖の紋章の入った白いローブをまとっていた。


「だいじょうぶ!?」


 ルノが声をかけると、男は閉じていたまぶたをゆっくりと開け、瞳を動かす。


「大丈夫です……ただ、もし、貴方がたがよろしければ、ですが、何か食べ物と水を……」

「メルトさん、干魚は!」


 ルノは、長距離の移動になることから購入していた干魚の事を思い出し、メルトに手を出して要求した。


「そのまんま食わせちゃだめじゃない? とりあえず水と……塩もちょっといるかなー。ルノくんはそれを飲ませて。うちはスープ作っとくから、それ飲んで少ししたらスープ飲ませようか」

「まだ休憩所じゃないけど、移動させるのも怖いし、ここで」


 メルトはそう言うとテキパキと準備を始めた。干魚を小さく刻み、それをもとにスープを作っている。

 ルノも水と塩を少しつまんで、男に分け与えた。


「ああ、ありがとうございます。親切な方々」

「いいから、飲んで」


 ルノが少しずつ水と塩を口に含ませると、男は喉を鳴らしそれを飲んだ。


「塩はこっちにも入ってるから、あんまとっちゃだめだよー」

「わかった」


 ルノは、このメルトのたまに見る冷静な面に、彼女の秘密が隠れているのかと一瞬考えた。

 しかし、話してもらうのを待つと決めたことを思い出し頭を振ると、男に水をまた飲ませた。





「いやー、助かりました! 恩人様!」


 じっくり時間をかけ、スープを飲み干すと、男はルノとメルトに頭を下げた。

 そして、すぐに頭を上げると、その目はきらきらと輝いており、ルノたちを見つめている。


「この、マクマル、貴方がたへの恩義、一生忘れず心に刻みます!」


 マクマルと名乗った男はルノたちの手を交互に強く握った。


「う、うん。ぼくはルノです。でも、そこまで凄いことはしてないよ。マクマルさん」

「そうそう、この辺りじゃ倒れる人が多いらしいし……あ、うちはメルトね。んで、マクマルはどんな理由で行き倒れだったわけー?」


 ルノがマクマルの熱心な様子に固まっていると、メルトが腕を組み問いかけた。


「なぜ倒れていたのか、ですね! えー、恥ずかしながら、私はユンデネへと神父見習いとして向かう道中なのですが、ある時は道行く旅人へ、ある時は怪我をした動物へと私の備蓄を差し上げたのです」


「すると、なんと私自身が行き倒れてしまったのです! ですが、貴方がたによりそれは救われた。善行を神が認めてくださったのでしょう!」


 手を祈るように組み熱弁するマクマルを見て、ルノはぼーっと口を開け、メルトはため息をついた。


「よーするに、自分のことをほっといて人に食べ物あげすぎて倒れたのね。どんだけ善人なわけ?」

「いえいえ、私はまだまだですよ! 偉大なるトリト様に恥じないために日々精進しているだけです!」


 そう言って、マクマルは服の中から杖型のキーホルダーを取り出した。


「それはなに?」

「これですか? これは私の信仰するトリト教の神、トリト様のシンボルです! もしかして、これまで宗教が身近になかったのでしょうか?」


 ルノが首を傾けると、マクマルはキーホルダーを両手で握り天を仰ぎ見たあとルノの方へ向き、ルノとはまた違った純粋な信心のこもる瞳を向けた。


「宗教っていうのはちょっとしかわかんない」

「そうだねー、ルノくん、宗教っていうのは、神を崇めて信じることで、いろんなことが起こるっていう教えだよ」


 メルトがそう答えると、ルノは下を向き考える。神とはいったいなんなのだろうか。人と違うところはどこなのだろうか。


「――トリト教なら、確か平気だよね」


 メルトが小さく呟いたが、ルノもマクマルもその声は聞こえなかった。


 マクマルは考え込むルノを見ると、キーホルダーをしまい、手を取る。


「メルト様の言うことは概ね正しいですが、教えというのは、宗教ごとに異なるものです。教えを求める人に、その教えが存在するのですから」

「ですので、正解、などという一つには絞れません。私の信仰するトリト教が、私にとって大切であるのと同じように、他の宗教にもそれぞれの良さがあるのです」


 マクマルの言葉を聞き、ルノは少し考えを整理した。そしてひとまずの結論を出す。


「生きる目的がたくさんあって大きいのも小さいのもあるのと同じってことだね」

「ルノ様はどうやら聡い方のようですね。そう考えていただければいいと思いますよ!」


 マクマルは否定せず、それを受け入れた。ルノは彼の空気感に巨大な善性がにじんでいるように思え、宗教が与えた影響なのかも知れないと考えた。


「それで、話は変わるのですが……この山を越えようとしているということは、貴方がたもユンデネへ向かうのですよね?」

「うん。一緒に行く?」


 マクマルが声を出す前にルノが言うと、マクマルはぱあっと明るい笑顔になった。


「おお! よろしいのですか!」


 メルトはマクマルをちらりと見ると、ぶっきらぼうに手を振る。


「まー、いいんじゃない?」


 メルトが雑にあしらっているにも関わらず、マクマルの笑顔は絶えなかった。


「ありがとうございます! 私、一応戦闘もできますので、どうぞよろしくお願いします!」


 今日何度目かわからない祈りを捧げながら、マクマルは声高々に言った。

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