第30話 今日はもう寝る

「とりあえず、これで帰れるでしょう」

応急手当で、動けるようになったドラムスは、客席に座っている私に報告してきた。

馬車の破損の修理が終わったらしい。

後は逃げた馬だけね。

空が見えるのは、まぁ関係ないわね。

彼が意識を戻した時の、取り乱しようは半端なかった。

ほとんど何もできずに早々と戦線を離れ、そして意識が戻った時には既に終わっていたものね。騎士としては、耐えがたい屈辱なのはよくわかる。

自ら厳しい処罰を求めてきたくらいだもの。

(でもね~)

私は、膝枕をしているセシリアの髪に指を絡ませてながら言った。

「大勢の敵を相手に孤軍奮闘された貴方には、心からの敬意と感謝を贈ります」

驚いて顔を上げたドラムスにもう一言、足した。

「異論は、不敬とするわよ」


しばらくしてアンが逃げた馬を捕まえて戻ってきた。

これで本当に帰れる。

「逃げた馬を捕らえてきました!」

嬉しそうにアンが私に報告する。

「ご苦労様」

「逃げた馬を捕らえてきました!」

「……大勢の敵を相手に孤軍奮闘された貴女には、心からの敬意と感謝を贈ります」

台詞を棒読みする感じで私は言った。

「ドラムス様とそれ同じじゃないですか!」

さすがに、これではだめみたい。

「これ、彼と比較するんじゃないの、貴女は特別なんだから」

「特別なんですね」

アンは顔が明るくなった。

「そう」

最近、自分が王族らしくなってきたと思う。


「それでは、動かします」

御者席のドラムスから、声が掛ると馬車がゆっくり動き始めた。

馬車の軋みの音が気になるけど、空が見えるものしょうがない。

私の横は、少し前からセシリアからアンに代わっていた。

「私は特別なのよ、ね」

そう言って目覚めたセシルアからアンが取り返した。

夜風が入って少し冷えるから、暖かいからいいわ。

「もう、何も言わないで、全ては明日…」

私は目をつぶって…そして、落ちた。


日没には、城に戻れる予定が、すっかり夜になっていた。

「ご苦労様でした!」

馬車を背にする私へのドラムスの大声が城の壁に響いた。

「はい、ご苦労様」

顔を横に曲げて振り向いた事にして、そのまま扉をくぐった。

そこでセシリアを解放して、アンと宮廷婚活支援室に向った。


アンが支援室の扉を開けて、魔石で部屋を明るくしてくれた。

「ただいまぁ~」

私は、のそのそと自分の執務席に座り込んだ。さすが馬車の椅子とは全然違う。

お茶を淹れましょうかというアンの提案を首を横に振りながら、未決の箱から一枚の紙を摘まみ上げた。

<終業の時間が来たので、妻が待つ家に帰ります。 室長補佐 ロック>

その紙をそのまま、ゴミ箱に落とした。

「全ては明日と仰っていたのでは?」

暇つぶしにお土産の木刀を磨いていたアンにそう言われて、やる気が完全に消えた。

「わかったわ、お風呂に入って、寝ます」


「えっ~、私が王女のお風呂のお世話をしますって」

静かな廊下にアンの声が響く。

「だ~め、時間外」

さすがに、もう、アンに構ってあげる気力は無い。

私は夜間担当の侍女が二人、廊下の向こうからやって来た。

「おやすみなさい、今日は本当にありがとう」

そう言うと、私は侍女に手を取られて廊下を歩き始めた。


夜勤の侍女には、ほとんど話す事はなかった。

「ステマ市に行ってたの」

「あぁ、豊穣祭ですね、羨ましい」

「…」

事務的に風呂で身体を洗ってもらい、髪にタオルを巻いたまま、パジャマを着せてもらう。

「何かお食べになられます?」

「うん」


私は半分眼を瞑って軽い夜食を食べ始める。

きっと第三王女の夜遊びの今だとでも思われているのだろう。

「夜更かしはだめですよ」

見かねたみたいで侍女が私を小声で嗜める。

「…」

私の指からスプーンが抜けおちて、私はそのまま眠りに誘われた。

侍女の大きな溜息が聞こえた気がした。

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