第2話 プロローグ:だから、めんどくさいって言ったのに
「さて」
私はカップを置き、グレゴール様に向き直る。
「じゃあ、一番目のカミラさんのことを詳しくお伺いしたいわ。くれぐれも、私は乙女だから――言葉は選んでね」
グレゴール様は、カバンからまた書類を取り出すと咳払いをひとつして、語り始めた。
「カミラ・ヴェルディ。侍女長補佐、三十二歳。家柄は中流貴族の分家筋。過去に三度、縁談が破談となっております。理由は、理想が高すぎることと、相手側の家との折り合いが悪く――」
「ふむふむ、拗らせてますね」
「現在は侍女長の補佐として、宮廷内の礼儀作法や接遇を担当。仕事ぶりは非常に真面目で、評価も高く――」
その時、扉がノックされ、ミレーヌが静かに入ってきた。 その後ろに、私の知らない侍女が控えていた。
「王女様、カミラ・ヴェルディをお連れしました」
「ご苦労さま」
「ここでは、殿下の事を室長とお呼びするほうがよろしいかと」
そんなグレゴール様の言葉を容赦なく却下する。
「私、まだ就任してませんから」
「御意」
私は軽く頷き、カミラに視線を向けた。 そして、次の瞬間――私は思わず、紅茶のカップを持つ手を止めた。
彼女は、服は侍女服で地味だけど、美人さんだわ。多少、好き嫌いが別れそう、いや、そんな事はないか。 整った顔立ちに、少しカールの掛かった黒髪は仕事に問題が無いように後ろで小さな茶色のリボンで束ねてある。 立ち居振る舞いは優雅で、何より――色っぽい。
その色気は、意図的なものではなく、自然に滲み出るタイプのそれだと思う。
まるで、空気の中に香水を垂らしたような、柔らかくも濃密な存在感。
最近出会ったインキュバスの精を持った女性に似ている。これじゃ…
(並みの男じゃ釣り合いが取れない)
私は、グレゴール様に視線を戻した。
「……ねえ、グレゴール様」
「はい?」
彼の声が少し上ずっている。
「あなた、今の説明で、彼女の“容姿”について一言も触れてませんでしたよね」
「え、いや、それは……業務的な情報を優先しまして」
「ふうん。三度の破談の理由が“理想が高すぎる”って仰ったけど、相手が彼女に怖気づいただけじゃないの?」
「ま、っそこまでの説明はございませんし……」
「だって、カミラさんのあの色気、普通の軟弱な貴族の男じゃ耐えられないでしょ。女性の私でもちょっと緊張するくらいですから…」
そこでふと我に返った。初対面の彼女に言いすぎた事に気が付いた。
「ごめんなさい、言い過ぎました。あまりに色っぽいので…」
「構いませんよ、慣れてます」
笑顔で私の謝辞を受け入れてくれた。
さすが侍女長補佐か、ちょっと待て…、私は顎に人差し指を当てて考える。
「可愛い王女様」
カミラのつぶやきが聞こえた。そんな言葉の不意打ちに私は顔が真っ赤になった。
「ふ、不敬であろう、カミラ」
グレゴール様は、慌てて彼女を叱責する。
「申し訳ありませんでした」
彼女は私とは違う。私は本気で謝罪したけど、彼女は違う。
カミラは口では謝罪しているけど、内心は悪いなぞ微塵も思っていない。
微笑んだままだもの。
”可愛い王女様”なんて思わず口に出すのが怪しい、侍女長補佐が普通言うかな。
完全にマウントを取り来たと考えたほうが正しいかな、そしてあっさり取られた私。
思えば侍女長と私は少し揉めてた気もする。彼女もそっち派かな。
もったいない気もするけど、彼女を座らせて言う。
「……まあ、いいわ。カミラさん、今日は少しだけお話を聞かせてもらうわね。安心して、私は乙女だから変なことは聞かないわ」
「はい、殿下。お気になさらず、何でもお尋ねください」
グレゴール様は、妙に落ち着かない様子でカップを持ち直した。
私はカミラの色気に一瞬たじろぎながらも、すぐにグレゴール様に視線を戻した。 彼は、カミラの容姿について一言も触れず、ただ業務的な情報だけを並べていた。 その“都合のいい省略”に、私は静かに釘を刺した。
「……グレゴール様。あなた、私の性格はご存じですよね?」
「は、はい。もちろん、殿下のご聡明さとご冷静さは――」
「それ以外の情報もお持ちでしょう?」
「め、滅相もございません」
その額の多量の汗が私に教えてくれる。
「それは職務怠慢ですね、私が騎士ダリウス様を不意打ちですけれど、この拳で倒したのよ。国王、私のお父上もご存じだったのに」
「……っ」
「口より先に手がでるかもしれません。だから、回復魔法とポーションの準備は――お忘れなく」
「こ、心得ております……!」
グレゴール殿の顔が引きつり、椅子の背もたれに微妙に体を引いた。 その反応に、私は満足げに紅茶をひと口。
「改めて、カミラさん。少しだけお話を聞かせて頂けるかしら」
「はい、殿下。何でもお答えいたします」
カミラは微笑んだ。 この感覚、ちょっと覚えがある。それも最近。
それでも身近な話題から行きましょう。
「侍女長補佐なら、ミレーヌはご存じよね」
私の後ろに立つ侍女は驚いているだろう。
「はい、存じあげております。彼女が侍女として城に入る時から」
「彼女の弱みはご存じ?」
「……弱みかどうかは分かりませんが、はいですか」
そう言ってカミラは私の後ろのミレーヌを見て、言葉を足した。
「そのネックレス、買い戻せたのですね。それは良かった」
「どういう事でしょう?」
私はミレーヌに尋ねた。すると、彼女はネックレスを指でいじりながら答えた。
「元々は、母の遺品でした。ただ生活に困って手放したのです」
「私がそれを知ったのは、もう手放した後でした」
そう言ったのはカミラさんだった。
私はグレゴール様の方を向いた。
彼は冷静を保とうとしているけど額の汗が止まらない。
「まさかグレゴール様がミレーヌのために買い戻してくださるとは…」
カミラさんは本当に知らなかったみたい。
「どうせ彼女からネックレスを買ったのはグレゴール様本人でしょ」
それでミレーヌがグレゴール様に協力した理由がわかる。
「あらあら、そういう事ですか」
違う、彼女は知らないわけは無い。
(だから城内のごたごたは見たくないのよ!)
どうやら私の周りは、ケモ耳侍女から、狸親父に女狐までいるみたい。
知らないのは私だけ、だけど私の侍女の事情なんか、どうでもいいの。
そう、どうでもいいと思ってたのよ、だってめんどくさいもの。
なのにどうして私の心にまとわり付いて来るのよ!
勝手にやってればと思ってたのよ。
どうせ私は…
「めんどくさい!」
私は手のひらでテーブルを叩いた。
バンっとテーブルが音を立てて震える。 次の瞬間——天板に無数に亀裂が走る。
メキメキと乾いた音を立てて天板が割れる。遅れてティーカップやソーサーが床に落ちて軽い音を立てながら割れた。木くずの匂いと苦い紅茶の香りが辺りに漂っている。
皆が息を呑む。私の中からだんだん怒りが消えていくのが分かる。
(だから、めんどくさいって言ったのに…)
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