《走れる》しか取り柄のない僕が、異世界で失った過去を取り戻す 〜期待0の最弱紋章で、最難関ダンジョンを攻略を目指す〜【一章完結保証】

ケイティBr

喪失

『気をつけろ! 罠だ!』



 ――石畳を蹴る音が、耳の奥でやけに大きく響いていた。



 誰かの叫び声、それと同時に僕の足元が鈍い音を立てて崩れた。魔力で仕掛けられた落とし穴、初歩的なダンジョンの罠に、まんまと引っかかってしまったのである。



「うわっ……!」



 バランスを崩して前のめりに倒れる。背中を土煙が叩き、視界の端でクラスメイトたちの背中が次々と遠ざかっていく。彼らの足音が遠くなり、僕一人、この冷たい石畳の上に取り残される。



『転倒だ!』実況の声が響く。

 嘲笑――異世界のやつらは、転生者の失敗を見るのが好きらしい。

 どうして僕がこんな場所にいるのか……それは――



☆  ☆  ☆



 高校二年生になったばかりの春だった。



 その日は、修学旅行の帰り道、星蘭せいらん高校のクラスで京都へ行った帰りだ。

 僕たちは、思い思いに観光をして、これからの受験シーズンの到来に将来の夢を語り、時には受験なんてくだらねー。とボヤきながらワイワイとした空気を楽しんでいた。



 観光バスに乗り込み、日本一の広さを誇る湖へ向かっている濃い霧の山道を走っていた。窓の外は闇に沈み、ヘッドライトの光さえぼやけて頼りない。山の斜面に張り付くようにカーブする道路は、まるで巨大な蛇のように続いている。



 車内はクラスメイトのあるグループの笑い声が響いていた。恋バナに興じる女子グループ、クラスの美男美女が集まってる一軍グループ。修学旅行の興奮で、彼らは浮き足立っていた。

 けれど僕は、その輪には加わらず、窓際の席で黙って外を眺めていた。視界を流れる山並みを見つめながら、心の中で走っている自身の姿を思い描く、あの峰まで、一気に駆け上がったら気持ちいいだろうな。



 そんな僕の隣には、西園寺 美優さいおんじ みゆが座っている。

 彼女は、愛嬌のある少女で、周りを明るくする才能の持ち主だが。昔は体が弱かった。そんな美優みゆとは、家が隣で小学校の頃から一緒の彼女は、僕のことを誰よりもよく知っており、数少ない話し相手なのだ。ただ、ちょっと気になることもあった。それは――



「シュウちゃん聞いてる?」

「あぁ、うん聞いてるよ」


 もう高校生なのにちゃん付けなのだ……僕はもうすぐ高校卒業するのにな。


「陸上を続けてればよかったのに……」

「……無理だよ。母さんに負担かけられない」


 美優みゆが、窓の外を見ながらぽつりと言った。その横顔には、僕への心配があり、言葉にはしっとりとした物が滲んでいる。

 僕は苦みを噛み砕き、バスのカーテンの隙間から外を見る。やつれた母の姿が僕の瞳の中で像を描く――


『母さん、また夜勤?』

『うん、ご飯は作っておいたから一人で食べてね』



 僕は頭を振り、夜の道を走るランナーへ視線を送る。僕も強化合宿に参加していたらあそこで走っていたのかもしれない。

 足がうずいた。だけど、今更、靴紐を結ぶ気にはなれなかった。



「でも、シュウちゃんは走ると、誰よりも速いし。きっと、全国大会にだって行けたのに」

「もう遅いよ。三年になったら受験もあるし」

「それなら……大学に入ってからとか」

「ごめん、ちょっと眠いから……」



 僕が話を打ち切ると、美優みゆは寂しげに笑った。二人の間に気まずい沈黙が生まれる。この話は、実は何度もしている。その度に僕は、居心地の悪さを感じていた。空気を変えようと喉を震わせようとした時――



「ブレーキが……効かない!?」



 運転席の方から切羽詰まる声がした。まずいことに今は下り坂だった。止まることのできないバスは、スピードがグングンと加速してしまう。そのままカーブを進み、車内が斜めになる。眠っていた者も跳ね起きる。美優みゆが僕の袖を掴む。震えている……悲鳴が車内に響き、みんなの顔が青白くなる。タイヤが軋み、視界が揺れる。



「きゃああっ!」

「何が起きてるんだ!」

「落ち着つくんだ! みんな伏せて何かに捕まるんだ!」



 騒然となる車内で、座席を必死に掴む生徒、泣き叫ぶ女子、必死に何かを掴もうとするクラスメイトたち。そんな中、担任のあかつき先生が、クラスメイトたちへ指示を飛ばすが、それは間に合わず――訪れる浮遊感、窓の外へ視線を送ると景色が斜めになる。

 さらに傾いて、急激に変わると、深い谷底が口を開けている。そうして、重力に引かれ無常にも崖へと向かっていく。それもほんの少しの間だ。

 地面へ激突して衝撃を受けた瞬間、天地が逆さまになる。体が吹っ飛ぶ、窓ガラスが砕け、カバンが空中を飛び交い、私物がぶちまけられ、カラフルな色と共に悲鳴が混じり合う。そして――



「シュウちゃん!」



 美優みゆの叫び声が、耳に届く――すぐさまその方向へ視線を向けると、彼女の手が僕に向かって伸びているのが見えた。手を伸ばすが届かない。暗闇に消えてしまう。

 視界が白く弾けて明滅する。僕の足がなにかに挟まり、嫌な音がした。続いて激痛が走って、衝撃で息もできない、喘ぎながら体をよじる……が、意識が保てない。



☆ ☆ ☆






 血と鉄の匂いが鼻を突く。錆びた金属と、生暖かい液体の臭い。体のあちこちが痛み、特に右足に激痛が走る。その感覚によって自分がまだ生きているのだと、実感させてくれる。

 でも、僕には、自分の生存よりも優先するべきことがある。激痛に抗いながら周囲を探り、声をあげた。



「み……美優みゆ!」



 僕は必死に彼女の名前を呼んだ。視界は真っ暗だが、手探りで周囲を確認する。どうやら目の前にあるのは、座席のようだ。それを押しのけようとするが、体に力が入らない。諦めず悪戦苦闘をしながら、僕は瓦礫の中から這い出た。すると目の前には――

 美優みゆが、投げ出されていた……

 血だまりの中で、月に照らされた彼女の顔は恐ろしく青白い。いつもの人懐っこい笑顔は、もうそこにはない。半分開いた唇からは、小さく血が垂れている。



 ――下半身が無い。間違いなく絶命している。

 けど、彼女の手は、まだ僕の方に向かって伸びていた。



「大丈夫……大丈夫だから、目を開けろよ……! すぐにお医者さんに診てもらおう。知ってるよな。僕、足速いんだぜ」



 僕はそんなことを言ってしまった。

 美優みゆの手を握り締めるが、温もりのない、冷たい手。さっきまで確かにそこにあったはずの命の灯火が消えていた。けれど、その状況を僕は、受け入れることができなかった。



「おい、起きろよ! 陸上の話、まだ終わってないだろ! 嘘だって、なんでもないよ。って言ってくれよ!」



 声が枯れるまで叫んだ。でも美優みゆは応えない。急に起こった出来事で感情が追いつかない。けど、こんな状況でも訪れる生理現象が、残酷にも眼の前の光景が現実だと伝えてくる。

 これが悪夢だったらよいかったのにそんな逃避にも似た思考の中で、何度嗚咽を繰り返しただろう……幾度も彼女の名前を呼んだが、応えることはない。そんな絶望の中で、日が昇り周囲を照らす。



 そこで僕はやっと、周囲の様子を見やることができた。

 社内の人影は誰も動かない。昨夜まで笑い合っていた仲間たちが、みんな冷たくなって転がっている。その光景は、まさに地獄絵図だった。

 なぜだ。なぜ僕だけが……そんな中、僕のスマホが震えているのに気づいた。それは、母からの電話だった。

 昨夜中、ずっと心配していたという。僕は、美優を失った衝撃で、気づくことが出来てなかったんだ。


 

「なんで、僕だけ……」



 僕の右足の骨は完全に砕けていた。骨が皮膚を突き破り、激痛で全身が震えている。翌日、救助された僕は1人だけ生き永らえ、病院へ搬送された。集中治療室の術後、医師は言った。



「もう普通に歩くことは出来ないだろう」と。

 たった一晩……一瞬の出来事で僕は、大切な幼馴染と唯一だった取り柄を失った。





☽ ☆ ☽ ☆




 そして、時は流れ10年後――

 残暑がまだ残るある日の夕暮れ、高校生らしき男女が仲よさげに歩いている。そんな学生たちとは、違って僕は大人になり、不自由な足とともに生きていた。リハビリを重ね、杖をつき歩けるようになったが、当然、走ることはできなかった。右足に力を入れると、鈍い痛みが膝まで響く。夢もなく、なんの為に生きてるのかもわからず、ただ日々を過ごしていた。



 今の僕は、母が過労で亡くなってしまい……身寄りももうない。それでも生きる為に事務職に就いた僕。

 毎日同じデスクで同じ作業を繰り返す。人付き合いもそこそこにし、時折、窓から見える青空を眺めて、走り回っていた頃の自分を思い出す。

 あの日、失ったクラスメイトの笑い声。過去の出来事が何度も脳裏に蘇る。最後に聞いた美優みゆの叫び。それらがずっと耳から離れなかった。夜中に目が覚めると、彼らの顔が浮かんで眠れなくなる。

 僕だけが意味なんて、あるのだろうか。走るのが好きだった――今では、それもできない。一体、何のために生きているのだろうか。



 会社からの帰り道で、踏切の警報が鳴り響いていた。

 赤いランプが点滅し、遮断機が下りる。いつもの通勤路。いつもの風景。



 ――でも、その日は違った。

 線路の真ん中に、白い小さな影があった。僕はぎょっとしつつ、その影を凝視した。それは白い猫だった。

 前足で赤いボールを弄んでる。きっとそのボールを追いかけて線路に入ってしまったのだろう。白猫は、近づく列車の音に気づいていない。



「だ、だれかタマを助けて!」



 線路の向こうで、遮断器に遮られた飼い主らしき小学生くらいの女の子が叫んでいる。きっとあの猫の飼い主なのだろう。そうか、あの猫はタマって言うのか……

 僕の心臓が締め付けられる。列車のヘッドライトが妙に明るい。まだ百メートルは先だが、あの速度では止まれない。

 気づけば僕は駆け出していた。もつれる足、痛みで悲鳴を上げる右足。それでも構わず走る。

 久しぶりの疾走感。風が頬を切り、脈が激しく脈打つ。足の痛みなんて、どうでもよい。



「受け取って!」



 僕は、猫を少女に向かって放り投げた。線路の外にいた女の子が猫を抱いて受け止めて、赤いボールが地面を転がる。安全な場所まで送ることが出来た。

 それから少女の驚いた顔が視界の端に映る。彼女の丸い瞳は、僕を見つめていた――次の瞬間、轟音と閃光。迫る列車の中で、僕の口角が自然と上がっていた。



「……走れた」



 あの日の後悔、誰かのために走った。目の前の小さな命のために。この日の為に僕は、今日まで生きてたんだと、確信して電車のヘッドライトに目を向ける。



 その向こうには、引き攣った顔の運転手、きっと彼は今日のことを忘れることは出来ないだろう。僕は、目を伏せて彼から視線を外した。その視線の先には、赤くキラキラした物が転がっていて、手が思わずそれを拾い上げた。



 衝撃と共に意識が白に塗り潰される直前、再び声がする。



『――諦めないで! まだ終わりじゃない。走って!』


つづく

―――――――――――――――――――――――――――

あとがき

カクコン11向けの作品です。

11万文字、一章完結まで、毎日更新で走り切ります。

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よろしくお願い致します!

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