第20話 崩落

 里の周囲から雪が消え、春の気配が山全体に満ちる頃、春分けはるわけ祭が始まった。

 近隣の里からも人が集まり、祭は長ければ五日ほど続くという。初日に山に入った新人狩人達が狩ってきた獲物を里人全員で分け合い、それをそろって食べることで終わる。

 毎年、全員に行き渡る量が捕れるまでに数日はかかるので、その間留守番組は癒しの洞窟の前に集まり、若い狩人たちの無事を祈りながら夜通し酒を酌み交わすのだという。


「というわけで、君は引率よろしくね」

「は?」


 春分け祭の朝、アユースは突然そう告げられて目を丸くした。


「え、だって、君も里の仲間でしょ?」

「じゃなくて、なぜ僕が? 僕はまだ弓の腕だって半人前だし、狩りの見本にはならないよ。もっとベテランがいくらでも——」

「そのベテランからの推薦なの。『白銀狐を仕留めた気配察知能力と、魔獣に対する知識は誰よりも上だ』って。今回の引率に必要なのは弓の腕じゃなく、いざという時の判断力だから」


 シルヴィアーナに諭すように言われ、それならまあ、と思い直す。


「君は?」

「もちろん私も同行するわ。ケガ人が出るかもしれないし、治癒魔法の使い手も必要でしょ」

「うーん、結構過酷な通過儀礼だね」

「まあ、森での狩りは生活の礎だし、弓は何より大切な相棒だからね」 「ふーん、まるで伝説に出てくるエルフみたいな価値観だ——」

「エル——!!」


 アユースの軽口に、シルヴィアーナは息を呑んで両手で口を覆った。顔からさっと血の気が引いていく。


「な、何? どうしてそんなに驚いてる?」

「い、いえ……」


 慌てて表情を取り繕おうとするが、額にはうっすら冷や汗がにじんでいる。


「え? もしかして体調悪い? だったら——」

「いえ……なんでもないわ。どうしてそう思うの?」

「え、だって君たちは森と共に生きて弓が得意で、精霊に愛されていて、他国と積極的に関わらない。僕だってここに来るまで君たちのことは何ひとつ知らなかったくらいだし……」


 アユースの言葉に、シルヴィアーナは顔を伏せて押し黙った。

 だが、アユースは『また何かのタブーを踏み抜いた』と恐縮し、そんな彼女の様子に気を回す余裕がなかった。


◆◆


 今年の春分け祭に参加する新人狩人は全部で六名。アユースと顔なじみの者も多い。里の全員に見送られ賑やかに里を出発した一行は、沢沿いの道をゆっくりと登っていく。

 里の近くにはもう雪はないが、木々のこずえから見える山の頂には万年雪が残っている。森に入ってしばらくすると、地面にも所々に残雪が見られるようになった。


「じゃあ二手に分かれてさらに上に向かう。アユース、君はこっちに、シルヴィアーナは向こうを頼む」


 今回のリーダーを務めるベテラン狩人が手早くグループを分け、それぞれ沢の右岸、左岸の獲物を狙う手はずを整えた。ここから先は沢が深くなり一部は崖になる。両岸は完全に姿が見えないほど遠くはないが、途中にあるかずら橋まで自由な行き来はできなくなる。


「じゃあ、また後で」


 そう言い交わすと、アユースとシルヴィアーナはそれぞれのグループと共に歩き出した。

 やがて、アユースのグループは木立の向こうに鹿の姿を発見した。誰かがゴクリと唾を飲み込む。ベテラン狩人がハンドサインで新人に指示を出し、全員が無言で散開した。

 アユースは後ろに下がり、若い弓手を前に出してじっと見守る。三人の若手は弓を引き絞り、鹿が動いて射線が開くのをじっと待った。


「今だ!」


 途端にひょうと風切り音が響いた。それぞれが放った三本の矢はほとんど同じ前脚の付け根に突き立ち、鹿は鳴き声も上げずどうと倒れた。


「よし、いいぞ! この調子だ」


 ベテランに褒められてハイタッチをする三人を眺めながらアユースまで何だかポカポカとした気持ちになる。

 ふと顔を上げると、はるか対岸のシルヴィアーナと目が合った。

 彼女は小さく手を振り、アユースも振り返す。木々の隙間から見える彼女の笑顔に、アユースも自然と笑みがこぼれた。

 その後も順調に獲物を増やし、午後に入った所で一行は水場を求めて沢に下った。


「アユース、そっちはどう?」

「うん、あんな感じ」


 対岸から笑顔で尋ねてきたシルヴィアーナに、血抜きのため獲物を沢に浸す三人を指さす。


「順調みたいね。これなら早ければ明日にも里に戻れそう」

「そっちは?」

「ええ、ウサギが四羽、野豚が一頭」

「おお、凄い」


 どうやらシルヴィアーナのグループも猟果は上々らしい。

 しばらく獲物の処理を手伝いながら、シルヴィアーナがなんとなしにつぶやく。


「アユース、君も楽しそう」

「うん、若い子たちが成長する姿を見るのは嬉しいものだね」

「何? その年寄りみたいな言い方」


 シルヴィアーナがクスリと笑う。


「ところでアユース、里での暮らしにも慣れた?」

「ああ、もうすっかり。こんな平和な日がずっと続けばいいのに」 「……そうね」


 シルヴィアーナの表情がほんの一瞬曇ったが、またすぐに笑顔を作る。


「アユースさん!」


 そこに一番の若手が目を輝かせて声をかけてきた。


「あの、白銀狐を仕留めた時の〝気配の消し方〟、俺達にも教えてもらえませんか?」

「え、ああ、いいよ。……じゃあシルヴィアーナ、また後で」


 そのまま引きずられるようにたき火のそばに向かう彼を、シルヴィアーナはほんの少し寂しい気持ちで見送った。


◆◆


「ん?」


 再び山肌の獣道に移動し狩りを再開してからしばらく。アユースは遠雷のようなかすかな響きを耳にして足を止めた。

 同時に、鳥たちが一斉に木々から飛び立つ。動物たちが何かから逃げるように駆け抜けていく。

 嫌な予感が背筋を走った。

 ポカポカと日差しは暖かく空には雲ひとつない。万一にも雷が落ちるような天気ではないはずなのだが。


「あの、ちょっと」


 引率役に声をかけようとした彼は、遠く山の稜線に突如雪煙が立ち上ったことに気づいて思わず息を飲んだ。


「雪崩だ!!」


 ベテラン狩人の叫び声が響いた瞬間、全員の顔から血の気が引いた。  対岸からも誰かの叫び声が聞こえる——シルヴィアーナだ。


「全員荷物を捨てろ! 尾根に走れ!」


 言われるまでもなかった。だが、この場所は運悪く両側に崖が切り立っている。もう少し登るか、あるいはかなりふもとに戻らないと尾根には上がれない。

 それでも、わずかな高みを目指して全員が走った。

 だが、遅い。

 雪崩はごうごうと轟き、激しい雪煙を上げながら、物理的な死の壁となって彼らの頭上に迫る。

 逃げ切れない——アユースは瞬時にそう判断した。

 シルヴィアーナから学んだ「精霊魔法」? 

 駄目だ、交渉している時間がない。

 二人で研究中の精霊「点火句」では?

 不安定な上に出力がまったく足りない。

 この質量を止めるには、圧倒的な物理干渉力が必要だ。


(……王国魔法構築式しかない!)


 たとえそれが、敵にかがり火を見せるような愚行だとしても。

 目の前の仲間を見捨てる選択肢は、彼にはなかった。

 アユースは咄嗟に振り返り、仲間と雪崩の間に立ちはだかった。

 掌に、禁忌として封印していた莫大な魔力を集中させ、膨大な魔法演算術式を脳内に積み上げる。


展開ディプロイ——ッ!!」


 次の瞬間。

 一行の視界は、爆発的な閃光と白一色に染まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る