Scene 3-4「ナンバー07」

 記憶術式の残響が収まったあとも、ユイの身体はしばらく動かなかった。硬い床に膝をついたまま、目の奥に焼きついた光景が離れなかった。


 カイルの姿。

 隣にいた、幼い自分。――僕たちは、確かにそこにいた。それを否定するには、もう遅すぎた。


「……レオン」

 低く名を呼ぶと、すぐに彼が足音を立ててそばに来た。


「無理をするな。あれだけの術式残響を受けたら、身体にも反動が出る」

「……大丈夫。平気だから」

 言葉とは裏腹に、ユイの声はかすれていた。


 ユイの傍らにあったのは、古びた端末の残骸。レオンが軽く接続用の端子を繋ぐと、微弱な起動音が鳴った。


「使えそうだ。残留構文を洗ってみる」

 レオンは小さな術式端末を起動し、手際よく指先を動かした。ホログラムのような記録コードが、端末から浮かび上がる。

「残ってる……管理ログの断片だ」

 浮かび上がったのは、いくつかの識別コードと、構造式。その中の一つが、ユイの目を射抜いた。


「……それって……」

 レオンが隣のコードを指差した。


 Null_07-B


「 Null_07-Bナールゼロセブンビーお前のIDコードだ」

 ユイの鼓動が、一拍だけ止まった。

 次の瞬間、心臓が胸を打ち鳴らすように脈動を始める。


「……やっぱり……」

 ユイは自分の胸元に手を当てた。

 この胸の奥に、自分だけの魂律コードが刻まれている。術式構造の根幹。

 それが、カイルのものと“対”であると認識したとき、息が詰まる思いがした。


「つまり、僕たちは……」

「双子型」

 レオンが短く言った。

「《Nullナールシリーズ》の並列実験個体。魂律構造をベースにした試験体。おそらく、性質を補完し合う関係性で開発された」


「僕が“B”で、カイルが“A”……」

 レオンはふっと視線を落とした。

「……カイルは、お前の片割れだったんだ」

「でも、それは失敗だった」

 ユイの目が静かに燃える。

「僕の中には、ちゃんとカイルがいた。忘れてたんじゃなくて……“いる”って証明が、今、できた」

「……ああ」

 レオンの声にわずかな安堵が混じる。

「お前は、自分を失っていなかった」

 ユイは小さく笑った。どこか泣きそうな顔で。

 レオンは端末の浮かぶ記録ログに視線を落としながら、眉をひそめた。


「奇妙だな……このデータ、途中で編集された痕跡がある」

「編集?」

「いや、正確には“削除と再構成”……元の記録を意図的に断ち切って、別の構造に繋ぎ替えられてる」


 レオンが指を動かすと、コードのラインが複数に枝分かれしていた。そこには、明らかに自然でない“断絶”が存在していた。


「魂律コードは本来、時間軸に沿って連続して記録される。だが、ここには一つ“抜かれた”個体がある」

 ユイの肩がわずかに揺れる。

「抜かれた……? 」

「つまり、07-Aと07-Bの中間、あるいは派生的な個体が一時期存在していた可能性がある。だが、データは物理的に破損してる。復元は難しいな」

 ユイはふと、指先で壁のルーンをなぞった。そこには、淡く削られた痕跡がある。無理やり術式コードを剥がされたような、物理的な“消去”。


「レオン。仮に僕たちが同時期に開発された個体だったとして――」

 言葉を探しながら、ユイは問いかけた。

「僕がここを覚えていなかった理由、何だと思う? 」

 レオンは答えず、しばらく壁の向こうを見つめた。


「抑制だろうな。術式的な、記憶封鎖……あるいは、感情抑圧処理」

「感情抑圧……」

「だが、残響がそれを超えたんだ。今の“共鳴”で、お前は思い出した」


 ユイはゆっくりと頷いた。

「そうだね……思い出したというより、“思い出せた”って感覚だった」

 壁に刻まれた“07”という数字が、今ではただの識別子ではない。

 自分たちの“出発点”。

 そして、忘れていた“約束”の場所。


「レオン」

「何だ? 」

「もしカイルが……もし、まだこの世界のどこかに魂が残ってるなら――」

 ユイの声は小さく、しかし確かだった。

「僕は、もう一度会いたい」

「……そうか」

 レオンは短く答えた。

 それ以上は何も言わず、ただ静かに背を向けた。


 部屋を出る前に、ユイは一度だけ振り返った。白く光っていたルーンの欠片が、今はもう何も映していなかった。それでも、心のどこかで確信していた。


――カイルは、ここにいた。

 この場所で、自分と同じ時間を過ごしていた。

その記憶がある限り、カイルは完全には消えていない。それが、いまのユイの支えだった。

 ユイは、掌を壁に当てたまま、そっと目を閉じた。そこには何もない。ただの冷たい合成素材の壁。けれど――その奥に確かに、記憶があった。

 視界に浮かんだのは、ぼんやりとした白の世界。明滅する灯、規則的な機械音、感情の乏しい視線。その中で、カイルが手を差し伸べてきた光景。


――「ユイは、ここにいていいんだよ」

 あの言葉が、今になって心を抉るように響く。


「……どうして、僕だけが生きてたの」

 ぽつりと零した声に、レオンは応えなかった。

彼もまた、端末ログの断片を睨みつけていた。


「選ばれたから? 」

 ユイは続けた。

「カイルより、適合率が高かったから? 感情制御が効いてたから? ……そんなの、理由になる? 」

 自問のような言葉だった。だが、その胸の奥にあるものは確かな罪悪感だった。


「思い出せなかったのは、術式のせいだ。お前の意思じゃない」

 レオンがようやく口を開いた。

「……でも、僕は“忘れようとしていた”。どこかで……知ってしまったら、全部が壊れるって、思ってたから」

 声が震えていた。


「ユイ」

 レオンは静かに、少年の肩に手を置いた。

「それでも、お前は向き合った。いま、ちゃんと“思い出そう”としてる。それだけで十分だ」

 ユイは少しだけうつむいて、言葉を飲み込んだ。レオンの手の温もりが、今だけは何よりも優しかった。


「……なあ、ユイ」

「……うん」

「お前はずっと、自分は“兵器として造られた”って言ってたな」

「そうだよ。術式適合率、魂律コード、操作性……全部、人工的なパラメータだ。僕は“道具”だった」

「――それでも、お前が泣いたとき、怒ったとき、笑ったとき」

 レオンの声が、少しだけ揺れた。

「人間じゃなかった瞬間なんて、一度もなかったぞ」

 その言葉に、ユイの肩が小さく震えた。

「……ありがと」

 目を閉じ、ユイはその温もりを胸に刻み込むように呟いた。


 ふと、端末に異なるログが浮上した。

 システム層の底に格納された、「非公開構文:E-Class記録ログ」。レオンが術式プロキシを再起動し、慎重に構文を解凍する。


──記録開始:開発コード Null_07 プロトタイプ群試験報告(抜粋)


対応試験個体07-Aおよび07-Bにおける魂律共鳴は予測以上の安定性を見せる。

感情リンク強度は予想の144%。このまま並列実験を継続する予定。

 

ただし、07-A側に一部魂律の再構築反応。

記憶連結不安定化の兆候あり。

 

処置予定:07-A感情抑制、07-B隔離経過観察。

万一、連鎖崩壊が起きた場合は、対応プロトコルに従い片方の個体を“記録消去”に移行。



「……これが、“記録されなかった存在”の証明か」

 レオンの言葉に、ユイは静かに目を伏せた。


「カイルの魂は、記録を超えて、今も残ってる」

「……ああ。お前が思い出した。それで十分だ」

「でも、それじゃ足りない」

 ユイの声は、凛としていた。

「それなのに、僕は忘れて、生きてた……! 」

 声が震えた。

「僕が、ちゃんと残す。カイルの存在を、記録じゃなく、現実に」

 

 

 

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